237【格闘技の秘術】
何が起きたのか分からなかった。髑髏の闘士に二丁斧で斬り掛かったところまでは、ハッキリと覚えている。
しかし、戦斧を振り下ろした刹那――気がつけば、上空を見上げていた。そして、地面に後頭部をぶつけていた。
分からない……。
何が起きたのか、分からなかった。
捌かれた?
投げられた?
何かを食らったのは間違いないだろう。しかし、何をされたのかが理解できなかった。
「くぅぅ……」
倒れるアイアンバッファローの視界が歪んで見えた。青い空がグニャグニャと揺れている。空も雲も、気味が悪いほど歪んで見えた。
そこに大きな影が割り込んできた。骸骨の闘士が、膝を立てて落ちてくる。
「追撃っ!?」
咄嗟にアイアンバッファローは体を返し、シローのニードロップを回避した。スポーツウェアの膝が、地面に音を立てて突き刺さる。
『ちっ、躱されたか――』
「あ、危ない……」
ヨロヨロと立ち上がるアイアンバッファロー。その膝には力が入らない。足元が震えていた。後頭部を打ち付けた衝撃が、まだ残っているようだ。
「て、てめぇ……何をしやがった。魔法か?」
後頭部を擦りながら問うアイアンバッファローに、シローは隠さず答える。
『俺は闘争に魔法は使わない。それは、自分が身に付けた武術に絶対の自信があるからだ』
「ならば、今のは何だ!?」
シローは左手を前に出し、ブルース・リーのように指先でクイクイっと手招きしてみせる。
『知りたければ、掛かってこい。見せてやるからよ』
アイアンバッファローは二丁の戦斧を力強く握り締め、腰を落とした。脂肪を落として軽くなった身体に勢いを溜める。
「遠慮なく行かせてもらうぞ!」
『参れ!』
「参る!」
――爆発。アイアンバッファローが地面を蹴った。
低空のダッシュで飛び込み、左手の戦斧を下から打ち上げる。逆袈裟斬り。しかし、その斧は容易く躱された。
同時に、シローは滑るように巨漢の足元へと潜り込む。そして、まるで置石のように静止した。
「なにっ!?」
攻撃を空振ったアイアンバッファローは、その勢いのまま、足元に突如現れた置石に躓いたように下半身をすくわれた。
それは本当に石にでも躓いたかのようだった。シローの背中の上を転がるように前のめりに倒れる。
顔面から転倒したアイアンバッファローが、地面を派手に転がった。すぐに片肘を立てて体勢を整えるが、シローは凛々しく立ち尽くして待っていた。余裕を見せて、攻めてこない。
「舐めるな!!」
激昂したアイアンバッファローが跳躍する。飛び片足蹴りで襲い掛かる。
だが蹴り足は髑髏の横を過ぎて狙いを外した。その代わり、白骨の腕が股下を抜け、アイアンバッファローの顎を掌底で捉える。そのまま頭から地面に叩き落とされた。再び後頭部を強打する。
ガンッと鼓膜を揺らす轟音。視界が派手に揺れ、青い空がドロドロに波打っていた。
「こ、このクソッ!」
直ぐに立ち上がるアイアンバッファローは、揺らぐ視界を無視して斬り掛かる。しかし、斧を振るう手首を取られた。
途端、視界が回転した。
「えっ……?」
世界が回って逆さまになる。否、自分が回されていた。次の瞬間――脳天を地面に叩きつけられる。
「げふっ!?」
醜い家畜のような声がアイアンバッファローの口から漏れ、体が倒れ込む。
投げ技だった。まるで魔法のような投げ技。見たこともない妙技である。
倒れたままのアイアンバッファローが、虚空に向かって問う。視線はシローを見ていなかった。
「なんだ、この術は……」
『合気道って言う、俺の国の武術だ。不思議だが、理にかなった技だろう』
「な、なんとなく分かる……。俺は、自分の力を返されているんだな……」
『まあ、そんなもんだ』
「凄いな……」
『俺も、実戦で使えるようになるまで時間が掛かった。それでも、いまだに道半ばだ』
アイアンバッファローは体を震わせながらゆっくりと立ち上がった。筋肉質な巨体をシローに向ける。
そして、二丁の戦斧を高く振り上げた。その構えは熊の如く、両腕を頭よりも高く上げて広げていた。体躯を大きく見せて威嚇する。
「自分は、アルル闘技場で総合最強部門三位にまで登り詰めたことで、強くなったつもりでいた……」
『若い頃には、よくある勘違いだ』
「しかし、世界は広い……。まだまだ頂天は高いのだな……」
『俺より強い奴なんて、いくらでもいるさ――』
シローの脳裏に数人の人物が浮かぶ。
鬼頭二角、鏡野響子、ジョジョ、レオナルド――。おそらく他の権利者も、化け物のように強いのだろう。
ダンッと地面が揺れた。アイアンバッファローが踏み締めた音だった。
「お願いがある!」
『なんだ?』
「最後に、貴様の本気が見たい!」
シローは骨の拳を握り締め、口元に運ぶ。冷たい息を拳に吹き掛けながら呟く。
『痛いぞ〜、俺の本気は――』
「望むところだ!」
シローは片足を高く上げ、後方に四股を踏む。その脚力で会場全体が揺れた。地鳴りに観客たちが静まり返る。
「……」
観客席のチルチルが息を飲む。ソフィアや他の客たちも、声を失っていた。
深く腰を落としたシローは体を真横に構え、左手を前に、拳を握った右手を腰元に引いた。空手のオードソックスな構えに窺える。
明らかに狙っているのは正拳突き。それは、素人にも分かる構えだった。
それが、魂心の一撃である。




