223【寝首狙い】
その晩、シローたちはマリマリの別荘に泊めてもらえることになった。三人が別々の部屋を用意してもらえる。
一方、オルオルも別荘に泊まった。そこは、子供のころ、自分用に用意してもらった部屋である。
オルオルは、鏡の前で丸刈りにされた頭を眺めながら怒りに顔を歪めていた。刈り込まれた坊主頭に憤怒の血管が走っている。
「畜生、畜生、畜生が!!」
愚痴るオルオルは手に持ったダガーの刃を鏡の中の自分に突き立てた。ガラスが割れる音と共に無数の亀裂が鏡面に走る。
「納得が行かねぇー!! 何故だ、何故だ、何故なんだ!!」
腹正しい。何もかもが腹正しかった。シローに頭を刈られたこと、チルチルに後継者を奪われたこと、自分を粗末に扱う母親にも、老執事にすら腹が立った。納得が出来ない。
「こうなったら、あの糞野郎だけでも、ぶっ殺さないと納得が行かないぞ!」
オルオルはベッドの下から布に包まれた棒状の物を引っ張り出した。その布を剥がして中身を取り出す。
それは、ソードだった。
子供の頃に父親から初めてもらった剣である。この剣で幾度も素振りに励んだ思い出があった。
子供のころは、オルオルも普通の子供のように剣士に憧れたものである。元剣士のヴィエヤールに稽古をつけてもらったこともあった。
しかし、オルオルには剣の才能は微塵もなかった。だからすぐに戦士への憧れを捨てた。それからは商道に励んだ。
だが、その商道の才能も妹にあっさりと抜かれた。だからチルチルに獣人化が見られた時には歓喜した。邪魔者が消えてくれたと喜んだ。
なのに、天才の妹が帰ってきた。しかも、意味のわからない許嫁を連れてだ。
ゆえに、何もかもが納得出来なかった。腹正しかった。
「こ、これであの糞野郎を串刺しにしてやるぞ!」
シローが武術の達人だとはオルオルも聞いていた。だが、寝首を狩ったのならば殺せるだろうと考えた。
それが、甘い考えだとも知らずにオルオルは部屋を出る。夜中の廊下を忍び足で進んだ。
「く〜くっくっくっ。喉をかっ切り、腹を割いて、腸を引きずり出してやるぜ!」
ここは子供のころから知っている母親の別荘。子供のころは、妹と隠れん坊を楽しんだ家だ。どこに何があるかも知っている。そして、どの部屋に誰が泊まっているかも聞いていた。
ここはホームだ。何が起きても隠蔽が可能。殺人だって問題にならない。隠そうと思えば隠せる。自分にとっては、有利な場所である。
だから、相手が誰だろうと恐れるに足らないのだ。
「ここが、やつの部屋だな――」
オルオルはシローが泊まっているはずの部屋の前に立つと、腰に下げていた剣を鞘から抜いた。廊下の窓から差し込む月明かりに刀身が輝く。そして、音を立てないようにドアノブを回した。
僅かに開いた扉の隙間から室内を覗き込む。そこには、部屋の中央でこちらに尻を向けながら腕立て伏せに励むシローの姿が見えた。深夜なのにトレーニグに励んでいるようだった。
シローのほうは、覗き込むオルオルには気付いていない様子である。
「ちっ――。あの野郎、まだ起きてやがるのか……」
扉を閉めるとオルオルは出直すことにした。そして、一時間ぐらい経過すると、再びシローの部屋を覗き込む。
すると今度は片腕で腕立て伏せに励むシローの姿が見えた。
「あの野郎、まだトレーニングに励んでやがるのか。早く寝ろよな……」
そう呟いたオルオルは出直すことにした。そして、再び一時間ぐらい過ぎるとシローの部屋を覗き込む。
すると今度は逆立ちしながら片腕で腕立て伏せに励むシローの姿が見えた。
「あの野郎、いつまでトレーニングをしてるんだよ。それに、どんどんトレーニング内容がハードになってるじゃねえか……」
オルオルが静かに呆れていると、指先で跳ねたシローが足から着地して、扉の陰に隠れていたオルオルに話し掛ける。
『寝首を狩りたいようだが、それは不可能だぜ。何せ俺は眠らないからよ』
「ぬぬぅ……」
バレている。潜んでいたオルオルが扉を完全に開くと室内に踏み入った。その手にはソードが握られている。
「こうなったら、正面から殺るしかないのか!」
オルオルの中で決意が固まった。寝首を狩れなくとも、こちらには武器がある。剣を持っている。相手は素手だ。戦力差は明らか。勝てると思った。
オルオルは知らなかったのだ。シローが空手家であることを――。素手であっても武器使いに勝てることを――。
「ぶっ殺してやるぞ!!」
剣を前に構えたオルオルが叫ぶ。
シローは暗闇の中で立ち尽くしながらオルオルに問うた。
『お前は、人を殺したことがあるのか?』
オルオルは少し間を置いてから答えた。
「人を、殺したことは――ない。でも、モンスターならば、殺したことがある!」
シローは回答を聞きながら指関節をポキポキと鳴らす。そして、自分のことを返した。
『俺も人を殺したことが無い。仲間だな!』
刹那。ダンっと、音が鳴った。シローが前に跳ねた音である。
途端、オルオルが構えていたソードの刀身が半分に折れて壁に突き刺さった。
シローがダッシュ後に、中段廻し蹴りで、剣を断ち折ったのだ。
その蹴りの一振りを目の当たりにして、オルオルは腰を抜かしてへたり込む。鉄を折る蹴りなんて見るのが初めてだったからだ。
しかも、持っていた剣を蹴られ折られたのに、自分の手には衝撃が微塵も感じられなかった。
まるで、バターの棒を、焼けた内部で切ったかのような感触しか感じない感覚だった。
それは、有り得ない感触である。
『もしもだ――』
シローは能面を外して素顔を晒す。髑髏の面を見せながらオルオルの顔面に近付けた。
『もしも、俺がチルチルと結ばれるようなことが、本当にあったのならば、お前は俺の兄に成るんだ』
「そ、そうですね……」
『お前が、俺の兄ならば、兄らしく生きてもらわねば困る。だから、もっと兄らしく凛々しく生きろ。それがお前のこれからの勤めだ』
「えぇ……???」
『分かったら、とっとと寝ろ!』
そう言いシローはオルオルの額にデコピンを打ち込んだ。その一撃で廊下まで転がって吹き飛んだオルオルが、後頭部を壁にぶつける。
「い、痛た……」
オルオルが額と後頭部を押さえているとシローが『おやすみ、兄さん』と言って扉を閉めた。その口調は、オルオルが初めて聞くシローの穏やかな声色だった。
「ぅぅ……」
ひとり廊下に残されたオルオルは、呆然としていた。やがてトボトボと歩いて自室に戻る。
オルオルは、シローの暗殺を諦めた。自分の実力では、到底敵わないと知る。




