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220【オルオル】

「おはよう御座います、シロー様」


『ああ、おはよう、ソフィア――』


 シローが朝起きて宿屋の一階に降りてみると、昨晩いたポニーテールの男は居なくなっていた。


 あの男の佇まいは忘れられない。かなりの剣の使い手だったと思う。おそらく、エペロングでは足元にも及ばないほどの使い手だっただろう。


 シローがこの異世界に来て以来、魔法の実力ではヴァンピール男爵が一番だっただろうが、剣の腕前ではあのポニーテールの男が一番強いのではないかと思われた。


 それ即ち、物理の実力が一番強いということになる。


 素手での殴り合いではシローが一番強いのは明白。だが、武器を有した戦いになると、どう転ぶかは立ち合ってみなければ分からないと思った。


 それだけの達人だと思われる。


 だから、あの男とは機会があれば立ち合ってみたいと願ってしまう。武人のさがだろう。


『まあ、いずれ機会が来るやも知れない……』


 運命とは、愉快なものだ。あれと運命が繋がっていれば、いずれは機会が来るはずである。そう、シローは信じていた。


「何がですか、シロー様?」


『なんでもないよ、チルチル。さあ、パリオンに向かうぞ』


「はい!」


 こうしてシロー一行は、アン・ファス村からパリオンに旅立つ。


 夕方頃――。パリオンの町並みが見え始める。するとシローはお約束の通りにバイクをゲートマジックの中に隠して歩いてパリオンの正面入り口を目指した。旅商人たちの列に交ざってゲートをくぐる。


「シロー様、宿をどうしますか?」


 ソフィアが訊いてきたが、シローの代わりにチルチルが答えた。


「お母様の別荘に向かいましょう」


「別荘?」


 ソフィアは知らないのだ。チルチルがコメルス商会のお嬢様だということを。だから、何を言っているのか意味不明なのだろう。


 そして、防壁をくぐったシローたちは、町外れの別荘を目指す。完全に日が落ちる前には、外れの別荘に到着する。


 別荘の入り口前では、執事のヴィエヤールが出迎えてくれた。いつぞやの老執事である。


 老執事は丁寧に頭を下げた。


「お帰りなさいませ、チルチルお嬢様。それにシロー様――」


『爺さんも元気だったかい?』


「はい――」


『ところで、マリマリに繋いでもらいたい』


「では、それまで客間でお待ちください。いま、連絡を取ります」


『頼んだぜ』


 こうして客間に通されたシローたちは、お茶を飲みながらマリマリの到着を待った。


「ど、どういうことですか……?」


 まだ状況が把握しきれないソフィアが訊いてきた。するとチルチルがお茶を啜りながら静かに答える。


「コメルス商会の会長である、マリー・マリアンヌ・コメルスは、私の母親です」


「ッ!!??」


 背筋を伸ばして驚いて見せるソフィアが呟いた。


「なんか、育ちが良い娘だと思っていたら、かなりの大物だったのね……」


「我が家からは、追放されていますがね」


 そう言うチルチルだったが、淡々と喋っていた。本人の中では吹っ切れているのだろう。すでに過去の出来事のようだった。


 すると、客間の扉が開いた。室内に入ってきたのはスーツの若い男性。七三の黒髪で、痩せ型の体型。凛と背筋を伸ばしているが、顔付きからは不快感が滲み出ていた。嫌な感じの青年である。


 男は客間に入るやいなや下手くそな俳優のように声を張って挨拶を語る。


「やあやあ、これはこれは我が妹よ。久々だな!」


 喋り方も不愉快な男だった。


「オルオル兄様……」


 チルチルの表情が曇ると同時にシローの殺気が大きくなる。しかし、その敵意を感じ取れないオルオルが調子に乗って饒舌に話し続けた。


「母上から聞いたぞ。なんでも誘拐されて、奴隷として売られていたらしいじゃないか。今ではメイド風情に落ちて、糊口をしのいでいるとか。名門コールグランゼ学園の優等生も、落ちたものよのぉ〜」


 チルチルは実兄を無視しながらお茶を啜っていたが、ソフィアはこめかみに太い血管を浮かべていた。


 おそらくメイド職が糊口をしのぐ仕事だと思われているのが我慢できないのだろう。必死に堪えているのが分かる。


 すると、ソファーからシローが立ち上がった。その背後には黒いオーラが怒りとなって揺らいでいる。


 そして、ユラユラと肩を揺らしながらオルオルの前まで近づいて行く。その歩き方はチンピラだった。柄が悪い。


「な、なんだ……?」


 さすがのオルオルもシローのオーラに気付いて戸惑う。しかし彼は、まだ自分が失礼なことを口走ったことに気付いていない。鈍感にも程がある。


 怒りを滲ませる白式尉の能面がオルオルの顔面に近付いた。それはまるで、ヤンキーがガリ勉生徒にイチャモンを付けるときの角度である。


『なあ、坊主――』


「えっ、えっ、えっ……??」


 オルオルは坊主と呼ばれる年ではない。もう十八歳だ。立派な社会人である。コメルス商会内でも仕事を始めている。しかも、幹部クラス。


 それが、訳もわからない客人に、唐突に喧嘩を売られているのだ。お坊ちゃま育ちの彼では状況を正しく把握できていなかった。


 シローがオルオルの襟首を鷲掴んだ。そして、持ち上げる。


「ひぃぃいいいいい!!!」


 つま先が床から離れると、オルオルは豚のような悲鳴を上げる。


『久々に可愛い妹に出会った挨拶が、それか!?』


 シローの声色に潜む脅迫にオルオルはチビりそうになっていた。金持ちのエリートが受ける脅迫ではない。


「き、貴様、無礼だぞ!!!」


 精一杯の反論。しかし、それがシローの怒りを頂点に導く。シローの怒りが噴火した。


『舐めんな、糞餓鬼!!』


「ひぃぃいいいいいいい!!!」


 片腕で持ち上げられていたオルオルの身体がさらに急上昇する。そして、激音で部屋が揺れた。


「げっふ!!!」


 天高く持ち上げられたオルオルの脳天が客間の天井に突き刺さっていた。顔半分まで埋まっている。オルオルの身体は、絞首刑の囚人のように手足を垂れ下げていた。


「ずずずずずぅ〜〜」


 哀れな兄が天井に突き刺さっていたが、チルチルは冷静にお茶を啜っている。何もなかったかのように振る舞っていた。




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