214【グールの乙女】
間宮総子は、軍医のもとで看護師を勤めていた。まだ、十八歳の花盛りに戦争に巻き込まれて散ることとなる。結婚もしたばかりであったのにと悲しまれた。
彼女は昭和二十年八月一日に、空爆を受ける。
彼女が死んだのは、新潟の長岡空襲の時である。焼夷弾の爆撃で、頭から火のついた油を被ったのだ。
全身火傷を受け、皮膚が爛れ、いつもなら自分が看護師として、患者を解放していたはずの病院で治療を受けるはめとなっていた。
見慣れた病室。見慣れた壁。見慣れた医師。見慣れた同僚の看護師たち。しかし、彼女は見慣れていたベッドに寝かされ、初めて見る角度で病院の天井を眺めていた。
動けない――。身体は激痛を放ち、指すら動かすのが苦痛だった。息をして、胸を弾ませるのすら痛かった。歩くどころか、ベッドから立ち上がることすら出来なかった。上半身を起こすのすら無理だった。
彼女の外見は、包帯で全身を巻かれてミイラのようになっていた。その下は、80%以上の皮膚が火傷。もう、男性か女性かも分からないほどの有り様だった。
片目は瞼が火傷で貼り付いて開かない。口も半分ほどくっついてしまった。左手も火傷で開かない。片耳も失くなっている。声も出ない。長くて美しかった髪もすべて失っていた。
まるで、怪物だった。
夫からは離縁を言いつけられたが、そのことについては彼女に伏せられた。しかし、なんとなく彼女も察していた。
夫は、一度だけ見舞いに来たが、その後は一度も姿を表さなかった。だから、見放されたと思った。
悲しかった。寂しかった。辛かった。
そして、死にたかった。
だが、それで有りながらも矛盾した思いに見舞われる。
痛くて、苦しくって、悲しかったが、死にたくなかった。もっともっと人生を謳歌したかった。それが叶わないことが無念だった。
入院は二週間ほど続いた。
そして、止まない痛みに心が病んだ。今まで間宮総子が抱いたこともない感情に見舞われる。
妬みである。
やがて、間宮総子は世界を恨んだ。自分を治療してくれていた軍医や同僚の看護師たちせら憎んだ。
何故に自分がこれだけ苦しんでいるのに、彼らは他人を献身的に看病できるのか……。
かつては自分もそうだったはずなのに、それすら理解できなくなっていた。
皆、死んでしまえば良いのにと思い始めていた。
怨みとは、妬みとは、人を変えるのだ。鬼に変えるのだ。
そして、間宮総子は、ドス黒い怨みを抱きながらベッド内で苦しみ続けた。
そのような日々が続いていたある日、その男は彼女の病室に現れた。
背の高い男性だった。軍服を着ていた。大尉のようだった。
黒い軍服は、皺一つ無い凛々しい佇まい。年の頃は四十歳そこそこ。しかし、スマートで男前だった。たぶん、女性にはモテるタイプだと思った。
間宮総子は、動けないまま彼に一目惚れした。
そして、彼は不思議なことを言い出した。
「死んでも、生きたいか?」
何が何だか分からなかったが、彼女は満身の身体を無理矢理にも動かして頷いてみせた。
その動きを確認した大尉は、自己紹介を始める。
「私の名前は、松本心斎。死を超越した存在だ。死に微笑まれた人間なのだよ」
ベッドで寝ている彼女を覗き込む瞳が真紅に光っていた。その明かりに妖艶な色合いを感じ取る。
彼は――松本心斎は、間宮総子を死に誘っていた。それを赤い瞳から感じ取る。
「私に付いてきたのならば、また一人で歩けるようになるぞ」
奇跡?
「だが、この世界では生きていけない。代わりに異世界で暮らしてもらう。しかも、アンデッドとしてだ」
アンデッド?
「君ならばアンデッドになれる。そうすれば、ゲートマジックも通過できる。そして、君には、向こうの世界でやってもらいたいことがある」
私は望まれている?
こんな私を彼は望んでくれているのか?
希望――。彼は、私の希望なのか?
「どうしますか、私と来ますか?」
間宮総子は、頷いた。
すると松本心斎は、彼女の首に手を回す。首を締めた。
やがて間宮総子は意識を失うように窒息死した。
次に気が付いたときには、中世ヨーロッパのような世界に来ていた。フランスル王国である。
しかし、間宮総子は、グールに変貌していた。死肉を喰らうアンデッドである。
外見はゾンビと変わらない腐った姿。だが、ゾンビと異なるのは腐敗が進まずに止まってしまったかのような姿を保つところだった。
それでも外見はゾンビと変わらない。ローブで身を隠しても腐敗臭で正体がバレてしまう。いくら人を襲わないと説明しても信じてもらえない。
だから、人目の付かない場所に隠れ住まなければならなかった。
それでもベッドで苦しんでいるだけの生活より何倍も幸せだった。グールの姿でも幸せだと思えるほどに間宮総子は壊れていた。
隠れ家は、松本心斎が用意してくれた。
そんな松本心斎も軍服を着込んだスケルトンの成りだった。異世界では顔を隠して暮らしているらしい。
たぶん、松本心斎が、四郎の祖父である鹿羽一郎だったのだろう。
それは、脳筋のシローにも予想できた。
そして、彼が彼女に命じた仕事は、鎮痛剤作りだった。彼女も医学に精通した学校を出ていたので、薬学には詳しかったから、鎮痛剤ぐらいは作れた。
その鎮痛剤をフランスル王国に売り捌いて金塊を稼ぐのが松本心斎の目的だったらしい。
そして、隣の国、イタリカナ王国と戦争中だったフランスル王国は、彼女が作った鎮痛剤を良い値段で買い入れてくれた。
だが、十年が過ぎたころから松本心斎は、間宮総子の元には姿を見せなくなった。
松本心斎に何が起きたかは不明だったが、間宮総子は、また捨てられたと思った。それ以来、男を心から信じなくなった。
そして、ゾンビ病ドラッグの製造に手を染め始めた。そこで、レッド・オルガと知り合い、手を組むことにした。
こうして、ゾンビ病ドラッグの流通が始まったのである。




