212【原材料】
盗賊ギルドの地下二階。堅牢な地下室に住んでいたのは、間宮総子と名乗る日本人だった。
彼女はローブとフードで全身を隠しているが、アンデッドなのは間違いないだろう。ローブの隙間から立ちのぼる、死臭を帯びた魔力の残滓がそれを示している。
だが、シローやマリアとは異なり、全身から腐肉の臭気が漂っていた。クレマンは露骨に口や鼻を押さえて堪えている。しかしレッド・オルガだけは、彼女に気を遣って失礼な素振りを見せていない。
薄暗い地下室のベッドに腰掛けるマミヤ夫人は、ローブの袖や裾からわずかに手足を露出していた。
肌は紫色に変色し、ゾンビのように荒れている。足元は裸足で同じく腐敗しており、床には彼女が歩いた痕跡が、粘つく汚れとしてはっきりと残っていた。
間宮総子はスケルトンや霊体のアンデッドではない。腐肉を持つゾンビ系のアンデッドだ。フードで顔を隠しているのは、乙女心ゆえだろう。死してなお女性は乙女でありたいのかも知れない。レッド・オルガが気を配っているのもそのためと思われた。
アンデッドの部屋へ足を踏み入れたレッド・オルガが、部屋の主へ声をかける。
「マミヤ夫人。今日は客人を連れてきた。あなたと同じアンデッド、シロー・シカウ殿だ」
自己紹介された俺が頭を下げると、マミヤ夫人はユラユラと立ち上がった。
その立ち姿からして身長は一四〇センチにも満たないだろう。まるで子供のような背丈だ。しかし口調からは、れっきとした成人女性であることが察せられた。
その小柄なマミヤ夫人が、よろよろと前へ出てシローに近づく。そして彼の目前まで歩み寄ると、腰に抱きついた。
『おうおうおう……』
泣いている。
『んん?』
マミヤ夫人は小さく鳴きながら、震える体でシローの腰を強く抱きしめる。
『何十年ぶりでしょう。日本国民に出会えるなんて……』
シローはその小さな肩に手を添え、優しく言った。
『やはり、あなたは日本人ですね?』
『はい……』
「日本」という言葉を耳にしてクレマンは首をかしげていたが、レッド・オルガは意味を理解しているようだった。おそらく、以前にマミヤ夫人から聞かされていたのだろう。
『マミヤ夫人。すまないが、前もって言っておく。今はもう、日本国ではない。太陽の国だ。そのあたりを考慮してほしい』
すると、マミヤ夫人はさらに声を上げて泣きじゃくった。
『おうおうおう……。やはり日本は戦争に負けたのですね……』
『戦争?』
『最後は、国の名前が変わるほどの負け方だったのですか……?』
おそらく彼女は、第二次世界大戦のことを指しているのだろう。そして、その戦争の結末を知らないに違いない。
だとすれば、彼女が異世界へ来たのは戦前か、あるいは戦中。シローから見れば、かなりの年輩者に当たる。
『すまない。それについては詳しくは言えない』
ここは黙っていたほうがよいだろうと判断した。あと、説明が面倒臭かった。そもそも歴史の講義を開けるほどシローには学力が無い。
『そ、そうですか……』
『しかし、今は幸せな国へと成長しました』
『ぅ??』
マミヤ夫人はきょとんとする。
『衣食住が整い、飢えもない。病気も少ない。戦争もなく、暴力も犯罪も減った。子供たちは元気に平和に暮らしている。人々は皆、幸せに暮らしている。安心してください』
『本当ですか?』
『ああ、本当です。安心してください。今は、あなたが想像できないほど平和です』
シローの言葉を聞いたマミヤ夫人は、安堵したようにベッドへ戻り腰掛けた。そしてフードの奥で微笑んでいる。
『訊きたいことはたくさんありますが、それは今後の楽しみに取っておきましょう。私の人生は、まだまだ続くのですから』
どうやらマミヤ夫人は、これからも生き続けるつもりらしい。相当な精神力の持ち主なのかもしれない。ゾンビとなってまで生を望む人間はそう多くないだろう。かなり精神力がド太いのだと思われる。
シローも安心したのか気持ちを切り替え、本来の目的を思い出して話を進めた。
『マミヤ夫人。今日は訊きたいことがあって訪ねました』
『何かしら?』
『ゾンビ病ドラッグについてだ。あれは、この場所で作られているのか?』
シローの問いを受けたマミヤ夫人は、レッド・オルガの顔をうかがう。アイパッチの中年はコクリと頷いた。それを確認したマミヤ夫人は、ゾンビ病ドラッグについて語り始める。
『あれは、私が作っていますわ……』
やはり。
彼女は部屋の隅にあるクローゼットから、洗面器に入った茶色い粉末を取り出した。
『これが、ゾンビ病ドラッグの主材料でございます』
洗面器の中の茶色い粉末をのぞき込みながら、シローが問う。
『これは何から出来ているんです?』
マミヤ夫人は顔をそむけ、恥ずかしそうに小声で答えた。あまりにも声が小さく、よく聞き取れない。
『ゴニョゴニョ……ですわ……』
『ええ?』
『だから……ゴニョゴニョ……ですわ……』
『声が小さすぎて聞こえないよ!?』
『だから、私の汚物が材料ですわ!!!』
「えッ!!!!!!!」
驚きの声を上げたのはシローではなく、クレマンだった。顔を歪めて絶句している。
要するにクレマンは、マミヤ夫人の排泄物を摂取していたことになる。それは人間として耐えがたい屈辱だろう。
その事実を知ったクレマンの顔色は、一瞬にして真っ青に変わった。知りたくなかった真実だったに違いない。




