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203【アウェイゲーム】

 君主専用の食堂広間、長テーブルの上座で食事を続けるフィリップル公爵殿下は、一通りのメニューを食べ尽くすと、優雅にワインを飲んでいた。ワイングラスに赤い葡萄色の美酒が揺れている。


 俺は、その長テーブルの下座で、公爵殿下が食事を終えるのを待っていた。


 最初は一緒に食事を取らないかと誘われたが断った。俺はスケルトンなので飲食は一切できないからだ。食べ物も飲み物も、すべて着ているウェアの中にぶちまけてしまうのである。


 肉も無ければ、胃も腸も無い。そのまま服の中にバラ撒いてしまうのは仕方のないことだ。そんなことで、着ている服をお漏らしでもしたかのように汚したくはない。


 フィリップル公爵は赤ワインを一口飲むと、満足げな溜め息をついた後に言った。


「なあ、シロー殿――」


『なんでございましょう、殿下?』


「ピノーから聞いたのだが、貴公は武術の経験があるそうではないか。しかも、かなりの手練れだと」


 偽る必要もないので、俺は事実を述べた。


『拳闘に関してならば、祖国では闘技場でチャンピオンを務めた経験がございます。若いころの話ではありますがね』


「拳闘とは、素手での闘いか?」


『はい――』


「剣は?」


『基本程度には使えます』


 フィリップル公爵の眼差しが、君主のものから闘士のものへと変わった。漢らしい気迫を放っている。


『私は素手で戦うことをモットーとする流派ですが、相手が武装していても、その誇りは変わりません。出来るだけ無手で闘います。勿論、武器学も心得ています』


「無手を旨とする流派か。それは豪気だな。ますます我が部下に欲しいところだ」


『それは以前にもお断りしましたよね。私は闘いは好きですが、殺し合いが好きなわけではありません』


「実にもったいない話だ」


 フィリップル公爵は王族の出であるが、それ以上に根っからの武人なのだろう。その実力は超一流。その目が、俺の佇まいから実力を察したのだ。だからこそ、俺を欲している。兵士を動かすことに長けた将軍ならではの発想である。


「なあ、シロー殿。ならば、貴公の実力を少し見せてもらえないか?」


『はあ?』


「うちの若手と立ち会ってみないか?」


『御前試合ですか?』


「そこまで大層なものではない。今ごろ兵士の訓練所で近衛隊が稽古に励んでいる時間帯だ。ちょっと覗いてみないかね?」


 穏やかな誘いである。だが、訓練の現場を見たならば、黙っては帰れまい。


 だが俺は、その誘いに乗ることにした。何せ、面白そうだったからだ。


 一国の王族将軍が抱える近衛隊の実力を拝見できるのだ。これほどのチャンスは、そうそう無いだろう。


『面白い提案ですな。ぜひ稽古を拝観させてください』


「ならば、早速見に行きますか――」


 俺はフィリップル公爵に先導されながら城の中庭へと連れて行かれた。そこは殺伐とした稽古場だった。高くそびえ立つ壁に囲まれた赤土の広場。壁際には打ち込み用の木製のデクが並んでいた。


 そこで五十人近くの兵士たちが訓練していた。


 大岩を抱えてランニングする者たち。木の棍棒のようなものを両手で振り回して筋トレに励む者たち。木剣で組手稽古に挑むペア。石壁を素手で登る者たち。様々な稽古に取り組んでいた。そのすべてのトレーニングはハードに見えた。


『思ったよりも、キツそうなトレーニングメニューですな』


「シロー殿。あまり驚いていない様子に見えるが?」


『私が若いころは、これ以上のトレーニングに励んでいましたから』


 嘘偽りはない。今、目の前で行われているトレーニングよりもハードな訓練を、毎日毎日、一日中続けていた。その内容は血の小便を流すほどだった。しかし、それも十年前の話である。今思い出せば懐かしくすらある。


 フィリップル公爵が俺に提案してきた。


「どうだね、誰かと試合を組んでみぬか?」


『よろしいのですか?』


「ルールは木剣での勝負。相手を殺してはならない。まあ、事故は仕方ないですがな」


 妥当でありながら、壊す気満々のルールだった。


『相手は?』


「そうだな。公平を保つために体格を揃えてみよう――」


 そう言うとフィリップル公爵は、兵士たちを眺めて俺と体格が合う者を探した。


「彼などどうだろうか。クレマン、こっちに来い!」


 呼ばれた兵士がこちらに駆け寄ってきた。その体格はかなり大きい。身長は二メートルはあるだろう。身体も筋肉質で脂肪が少ないマッチョマンだった。パワー、スピード、スタミナすべてに優れているのが、体格を見るだけで分かる。


「なんでありましょうか、殿下!」


 大男はフィリップル公爵の前で片膝をついて礼儀を示した。フランケンシュタインの怪物のような顔だったが、礼を心得た武人のようだった。


「なあ、クレマン。シロー殿と組手をしてみないか?」


 クレマンと呼ばれた男は、片膝をついたまま俺を見上げ、主に言った。


「殿下が望むのならば――」


 そう返すと、再び深々と頭を下げた。その様子を見たフィリップル公爵が俺に言った。


「彼の実力は近衛隊でも中の上だ。シロー殿相手ならば、ちょうど良かろう」


 中の上とは――舐められたものだ。


『承知しました。それで、ルールの確認をもう一度?』


「武器は木剣のみ。魔法やマジックアイテムの使用も禁止。何より、殺しも禁物。勝敗は相手が戦闘不能か、降伏するまで。もしくは気絶。このような感じで如何かな?」


『問題ありません』


「クレマンは?」


「問題ございません!」


 俺は木剣を手渡され、広場の中央へ進んだ。周りの兵士たちは俺たちを囲むように輪を作る。その輪の中にはフィリップル公爵も混ざっていた。


『なんとも、フレンドリーな試合会場だぜ――』


 広場には、クレマンへの声援と、俺へのヤジで溢れていた。完全にアウェイゲームである。



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