193【三人目】
一本拳――。中指の第二関節を曲げ、角のように突き出した拳で打つ危険な技。空手の禁じ手である。
それを人中に食らったボブ。鼻と唇の間から突き進んだ衝撃が頭内を走り抜け、後頭部から破裂するように拳圧が吹き散った。
途端の気絶――。
激痛の信号が意識に届くよりも早く、脳内を揺るがした。眼球が激しく震えて目眩を感じるよりも素早く思考を奪い去る。
結果、ボブは内股で尻餅をつくと、項垂れて涎を垂らした。白目を剥いて気絶している。座ったまま意識を失っていた。
それを確認した四郎は踵を返し、観客席で横柄に腰掛けているジョジョを見上げた。
「二人目、済んだぜ」
四郎の言葉にジョジョが応じる。
「まだだ、ミスター・シカバ」
「ん?」
気配――。振り返ると、気絶していたはずのボブが鉄拳を振りかぶっていた。しかし、その瞳は虚ろ。口からは涎が垂れ続けている。
「なんだ、こいつ!?」
驚く四郎に、ボブは大振りのストレートを叩き込んでくる。だが、モーションは大きすぎる。まるで電話をかけるように誰にでも分かる“テレホンパンチ”だった。
鉄拳を容易く躱した四郎は、カウンターのフックを顔面に叩き込む。その一撃でボブが仰け反り、白い歯を吐き飛ばす。
だが倒れない。口から血を流し、構えも取らずにフラフラと立っていた。
「気絶したまま戦っているのか?」
ジョジョが足を組んだまま答える。
「その通り。ゾンビ病だ」
「ゾンビ病?」
四郎は疑問を口にしながら、上段回し蹴りをボブの頭部に叩き込んだ。猛スピードの蹴りを食らったボブは風車のように回転し、リングへ頭から叩きつけられる。必殺の一撃だった。
「まだ、動けるのか……」
それでもボブは立ち上がる。瞳は白眼。前歯は抜け落ち、鼻は曲がり、大量の鮮血を垂れ流しながら立ち続ける。その姿はまさにゾンビだった。
「どうなってんだ、ジョジョ。説明してくれ?」
「それは俺が管理している異世界の病気だ。ミスター・シカバの異世界には存在していないかな?」
「知らんな……」
「まあ、そのゾンビ病を元に研究されたドラッグがある。痛覚、疲労、眠気を軽減する薬で、スポーツマンがよくトレーニング時に使う。しかし後遺症がある。それが夢遊病の症状だ。睡眠状態や気絶状態でも勝手に歩き回る。いまボブはその影響を受けている」
「つまんねえ薬を部下に飲ませてんじゃねえよ」
四郎が睨み付けると、ジョジョは肩をすくめて答える。
「だが危険なドラッグじゃない。低コストで副作用も少ない。健康には……まあ、たぶん害は無い」
「たぶん、かよ……」
マフィアっぽい意見だった。ドラッグに対してのモラルが低い。
四郎は再びボブへと向き直り、下段足刀を二連続で放つ。ボブの両膝関節を正確に打ち抜いた。
膝が逆方向に折れ曲がり、ボブはうつ伏せに倒れ込む。両手をバタつかせて藻掻いているが、もう立ち上がれない。
呆れた四郎は、哀れなボブを見下ろして吐き捨てる。
「この罰ゲームは、こいつを殺すまで続くのか?」
「okok〜、分かった分かった。ボブを片付けろ」
ジョジョの指示でスタッフがリングに入る。そのうちの一人が注射器を首筋に打ち込むと、藻掻いていたボブは動かなくなった。すぐにタンカーに乗せられ、リング外に運び出されていく。
「まさか、殺したのか……?」
「まさか――」
ジョジョは否定し、立ち上がった。そして、ジャンプ一番で金網を飛び越え、リングに降り立つ。巨体が四郎の前に立ち塞がる。
「ラストの三人目は、あんたかい?」
「予想は出来ていただろう?」
「ああ。あんたが“勝敗に関わらず三人と戦え”と言い出したときから予想してたさ」
「感が良いね、ミスター・シカバ」
「いい機会だから訂正しておくぞ」
「何を?」
「俺の名前はシカバじゃない。シカウだ」
「おお〜、ソウリーソウリー、ヒゲソウリ〜。日本語は難しいですね〜」
「いつの時代のダジャレだよ……」
「ふぬう〜〜〜ん!!!」
唐突にジョジョが力みだす。スーツの下で筋肉が膨張し、衣服が弾け飛ぶ。破れた布切れの下から現れたのは、まるで超合金のように光沢を帯びた逞しい筋肉だった。
革靴を脱ぎ捨て、黒のブーメランパンツ一丁。サイドストレッチのポーズで筋肉を誇示する。
身長二メートルの筋肉巨人。右目にはアイパッチ。金髪の角刈り、白い髭は芝生のように刈り揃えられている。年齢は五十前後に見えるが、その肉体は二十代さながらだった。
圧倒的な肉体が戦力なのだろう。
しかし四郎の目から見れば、格闘技キャリアは薄く見えた。片目ではあるが瞼に傷跡はなく、耳も潰れていない。鼻の軟骨も残り、高いまま。拳にはタコがなく、身体に喧嘩傷らしい痕跡も見られない。これではただのボディービルダーにすぎない。
だが、それでも全身から放たれる異様なオーラは圧倒的だった。流石、ウロボロスの権利者だと納得させられる。
おそらく、四郎より遥かに強い。鬼頭二角よりも数倍は強いのではないか――。
それはつまり、戦えば勝てない。
だが勝てないと分かっていても挑みたい。それが格闘家の宿命だろう。
四郎は無謀な戦いに挑む気満々であった。




