2【亡者の群れ】
『う、嘘だろ……』
自分の身体が骨だけになったことに気付いた俺は、慌てて逃げるように扉の中に引き返す。
そして、扉を走り抜けた俺は自分ちの部屋に戻ると、こたつを飛び越え、壁際に背中から張り付いた。冷や汗を流しながら、開けっ放しの扉を見つめる。
そこにはまだ夜の景色の空間が広がっていた。こちらは昼なのに、扉の向こうは夜だった。
「な、なんなんだ……」
壁際で冷や汗を流しながら小声を漏らす俺の声は普通に戻っていた。
墓地にいたときは、もっと暗くて深い不気味な声色だった。明らかに自分の声ではなかったのだ。それが今は元に戻っている。
「何が起きている……」
呟く俺は、こたつの上の本に目をやった。
薄汚れた茶色い表紙に「ウロボロス」と書かれた文字。本は読み込まれているのか、少し傷んでいた。
俺は恐る恐る本を手に取ると、ページを確認する。だが、書かれていることは変わらない。
「魔導書なのか……?」
二十年ほど前に亡くなったはずの祖父から送られてきた謎の書物。ここまで不思議が続くと、嘘や錯覚の類とは思えなかった。夢でもないだろう。
そして、少し冷静さを取り戻した俺は、本が入っていた小包の口から何か紙切れが飛び出しているのに気付く。
それは手紙だった。差出人は祖父の鹿羽一郎である。
【三郎。この手紙をお前が読んでいる頃には、私はすでに亡くなっているだろう。しかし、悲しむ必要はない。ただ私は新たなステージに進んだだけである。だから、お前には私の後継者になってもらいたい。】
「後継者……?」
【髑髏の書は優秀だ。継いだだけで不老不死が獲得できる。だが、侮るな。異世界では不老不死すら滅ぼす輩は少なくない。】
言っている意味が理解できなかった。脳筋の俺には難しい。
【だから鍛えよ。レベルを稼げ。強くなれば、できることが増えていく。】
「強くなれと?」
【経験の稼ぎ方は簡単だ。ゲームと同じである。敵を倒すか、ゴールドを集めるかで稼げる。そして、異世界で自分だけの道を勝ち取れ。道は様々だ。自分だけの生き方を見つけ出せ。鹿羽一郎より。】
そこで手紙の文面は終わっていた。
しかし、やっぱり理由が分からない。それでも俺は扉の向こうに再び進んだ。再び異世界に戻る。
扉をくぐると、俺の筋肉質な身体は萎んで骨だけに変わる。着ていたジャージもブカブカになる。
一瞬でスケルトンに変化してしまったのだ。
『これが不老不死の体か……』
白骨の身体は自由に動く。手の平を開いたり閉じたりしてみたが、明らかに握力が感じられた。しかも、生身よりも握力が強く感じられる。
『筋肉も無いのにパワーは凄いんだな……』
俺は試しに片腕だけを扉の向こうに戻してみる。すると、扉を境に俺の腕だけが元に戻った。肉づく。
『なんてこった……』
境目にある俺の腕。そこには断面が見えて、肉と肉の隙間に血管も見えた。血が流れているのも確認できる。骨の先に生身を有した腕がくっついているようだった。
しかし、異世界のほうに流れ入る血液は、断面を最後に見えなくなるのだ。それが不思議すぎて理解が及ばなかった。
なので考えるのをやめた。脳筋の俺には難しすぎたのだ。俺なんかが考えても無駄だろう。考えるのは学者の仕事だ。格闘家の仕事ではない。
それに、呟いてみて分かったこともある。俺の声は音声ではなかった。それはテレパシーのような電波である。
まあ、喉の肉も無いのだから音声でない理由も納得ができた。心で思ったことが独り言のように垂れ流しになっている。
すると、唐突に背後にあった扉が消えた。俺は夜の墓地に取り残される。
『あれ、消えた!』
俺が骨の顎に骨の指を添えて考え込んでいると、夜の墓場に薄気味悪い声が響き始めた。どこかで何かが唸っている。
俺は焦りながら周囲を見回し、警戒した。骨だけの拳を握り、身構える。
『あ、ああ、あああ……』
それは唸るような亡者のうめき声。その声の後に墓地の下の土が盛り上がる。そこから複数の死体が這い上がってきた。それはあちらこちらで見られ、数を増やしていった。
『な、なんだ、こいつら……?』
骨だけの存在。それはスケルトン。俺と同じく動き回る白骨の怪物だ。ゲームなどで言うところのザコモンスター。そのくらいは脳筋人生を歩んできた俺でも知っていた。RPGゲームも少しはやっている。
『うわ、キモ……。スケルトンかよ……』
『ああ、あ、ああ……』
しかし、俺とは異なり言葉を発することはない。ただ、うめき声を垂れ流す亡者のようだった。
そんなスケルトンたちが、墓の下からムクムクと這い出してくる。その数は三十体を優に超えていた。やがて墓場はスケルトンの群れで埋め尽くされる。
彼らは眼球のない頭蓋骨を俺に向け、じっと見つめていた。やがて、一斉に腕を伸ばしながら俺に向かって歩み始める。白骨の全身から、怒りと妬みのオーラが漂っていた。
『あ、ああ、あああ……』
『ちょ、ちょっと、こっち来んなよな!』
両手を伸ばしながら迫ってくる亡者たち。動きは遅いが、四方を囲まれており、逃げ出す隙間はほとんどない。
俺はあっという間にスケルトンたちに囲まれた。悪意に満ちたオーラを垂れ流しながら、彼らはゆっくりと距離を詰めてくる。
『あんたら、俺の仲間ってわけでもないよね……』
『あああ、あ〜あ〜……』
返ってくるのは意味不明なうめき声ばかり。確実に仲間ではない。それどころか、殺意すら感じる。
『あああああっ!!!!』
スケルトンたちが一斉に飛びかかってきた。組みつかれると同時に、ガジガジと俺の骨体にかじりついてくる。
『ガブガブガブ〜!』
『ガリガリガリ〜!』
『うそ、やめろ! 噛みつくな!』
焦る俺だったが、意外なことに、噛みつかれても痛みはなかった。ならば――反撃あるのみだ。
俺は昔、師範に指導された通りに拳を振るった。
『せいっ!』
アッパーカットを一閃。スケルトンの顎を打ち上げると、その瞬間、頭蓋骨が木っ端微塵に砕け散る。すると、胴体は力を失い、その場に崩れ落ちた。
『せいっ!』
続いて正拳突きを放つ。一撃でスケルトンの首が砕け、頭蓋骨が後方へ飛んでいく。その瞬間、またしても胴体が崩れ落ちた。
『なるほどね。頭を破壊すれば動きが止まるのか』
俺は空手の技を駆使して、次々とスケルトンたちを粉砕していった。ものの数分で、全てのスケルトンを倒し尽くす。
『はぁ〜、終わった……』
俺を中心に、バラバラになった白骨の亡者たちが転がっていた。すべて、頭部を破壊されている。
戦っている最中に気づいたが、こいつらはゾンビ映画のように、頭を破壊しないと完全に倒せないらしい。アンデッドらしい話である。
『あらら、俺の身体も破損してるな……』
骨の拳を見てみると、数本の指骨に罅が入っていた。完全には折れていないが、確実にダメージを受けている。
まあ、当然だろう。普段の正拳突きならば、拳の肉と骨で衝撃を吸収する。しかし、今の俺には肉がない。ただの骨と骨のぶつかり合いだ。硬いもの同士がぶつかれば、どちらも壊れるのは当たり前の物理である。
だが、不思議なことに痛みは感じない。先ほどスケルトンに噛まれたときもそうだったが、どうやらこの骸骨の身体には痛覚がないらしい。神経を含めた肉がないのだから当然なのかもしれない。
そして、自分の身体をチェックしていると、背後に再び扉が現れた。まるで戦闘が終わるのを待っていたかのように。
『戦闘になると扉が消えるのか?』
たぶん、エスケープ禁止の仕様なのだろう。戦闘時には別世界に逃げられないってことなのだと思う。
『さて――』
扉は開いたままだった。その先に見える俺の部屋。こたつの上には開かれたままの【ウロボロスの書物】が淡く光っている。
『なんだ?』
俺は異世界から現実世界へと戻り、光る書物を手に取った。そして、輝くページを覗き込む。そこには、新たな文章が記されていた。
【おめでとうございます。レベルが上がりました。何か好きな能力を獲得してください。獲得可能な能力は以下の通りです。】
「スケルトンを倒して経験値を獲得できたのか?」
これはRPGゲームのようだった。