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190【黒人の若僧】

 俺は胴締めスリーパーで気絶させた白人男性の背中から離れると立ち上がり、踵を返して金網越しに観客席を見上げた。客席に腰を下ろしているジョジョに薄笑いを浮かべながら言ってやる。


「さあ、次は誰が相手だい?」


 しかし観客席に腰掛け、太い両腕を胸元で偉そうに組んでいるマフィアのボスは、余裕の表情で仰け反っていた。足を組んだまま俺を高い位置から見下ろしている。


「まだ終わってないぞ。ミスター・シカバ」


「んん?」


 俺は気付く。背後に忍び寄る気配に――。


 振り向くと、そこには気絶したはずのアダム・ジョイがゾンビのように立ち上がり、俺に掴みかかろうとしていた。


「ふっ!」


 俺は両腕で仕掛けてきたハグを回避するように身を屈める。すると空振りしたアダム・ジョイの両腕が俺の頭上で交差した。その瞬間、俺は彼の腹筋へショートレンジの肘打ちを突き立てる。


 体重を落とす勢いを活かし、両足をガニ股で踏ん張る。その重心移動で生じた身体の硬直を利用した打撃技。それは中国拳法でも見られる物理法則を応用した一撃だった。


 食らった側は、突然目の前に現れた壁に激突したかのような衝撃を全身に受ける。


 その打撃を肘先に乗せ、アダム・ジョイの鳩尾に突き刺したのだ。


「ぐっぷ!!」


 衝撃に俯いたアダム・ジョイはくの字になりながら後方へ吹っ飛んだ。倒れはしなかったが、反対側の金網に寄り掛かっている。


「気絶したふりか。名演技だったぜ。レスラーを辞めて俳優でも目指せよ」


「ぐぬぬ……」


 鳩尾を押さえながら前に踏み出すアダム・ジョイ。その表情は怒りに満ち、汗が大量に滴っていた。胴締めスリーパーも肘打ちも確実にダメージを与えている。無効ではないようだ。


 俺もゆっくりと歩みを進める。その足取りには余裕があった。


 大体は分かった。アダム・ジョイの実力は――俺から見れば中の下。本気を少し出せば勝負が付く程度だろう。強敵ではない。


 そして両者が間合いに入った瞬間、アダム・ジョイが先に攻撃を仕掛けてきた。俺が先手を譲ったのである。


 中段のトーキック。しかしモーションは雑で、スピードもない。起こりが見えている。素人に毛が生えた程度の蹴りだった。


 俺は前足を軸に体を半歩横に逸らし、容易く回避する。だがアダム・ジョイは続けてコンビネーションを繰り出す。トーキックからの右ストレートを放ってきた。


「フンっ!!」


「遅い――」


 剛腕の右ストレートが俺の頬の寸前をかすめる。風切り音が鼓膜を震わせた。それを合図に、俺はストレートを身体で巻き取る。


 身体を捻ると同時に手首を掴み、肩で腕を巻き寄せる。そのまま相手の重心を腰に乗せた。アダム・ジョイの両足が宙に浮く。


 一本背負い投げ。しかも投げ切る最中に手を離し、スローイングする投げっぱなしの一本背負いだった。アダム・ジョイの巨体が反対側の金網まで飛んで行く。


「ぐはっ!」


 金網に背中から激突したアダム・ジョイが、頭からリングへ落ちる。受け身も取れず、体勢も崩れていた。そこへ俺はダウン攻撃を仕掛ける。


 無慈悲に顔面を狙った下段前蹴り――ストッピング。


「オラッ!」


「ぎぃあ!!」


 俺の踵が鼻を潰す。逆さまに転がったアダム・ジョイの顔から火山のように鼻血が噴き出した。


 さらに下段横蹴り。俺の足刀が追撃を加える。それは二発、三発と続き、四発目を打ち込んだ時、アダム・ジョイは完全に気絶した。


 だが念には念を。俺は五発目の足刀を顔面に叩き込んだ。しかしアダム・ジョイは無反応。痛みに反応を見せない。今度こそ本当に気絶しているだろう。


「手間かけやがって――」


 金網に逆さまでもたれるアダム・ジョイの曲がった鼻からは大量の鮮血が流れ、前歯も折れている。完全に意識を失っていた。しばらく見下ろしていたが動かない。


「おい、医務室ぐらいあるんだろ。早く運んでやれ」


 呼びかけにスタッフが二人、リングに駆け込みタンカーでアダム・ジョイを運び出す。


「さあ、ジョジョ。次の対戦相手を紹介してくれ」


「ああ、分かったよ。二人目はボブ・アイアンだ」


 ジョジョの背後でクロエを拘束していた黒人男性がリングに入って来た。


 年齢は二十代、身長は180センチほど。俺やアダム・ジョイより低い。


 だが、スーツを脱ぐ仕草がどこか不自然だった。Yシャツのボタンを外す動きがぎこちない。どうやら左手が不自由らしい。右手だけで服を脱いでいたのだ。


 服を脱ぎ捨てたボブの体型は、引き締まったボクサー体型。針金を束ねたような張りのあるボディーで、それが黒人特有の黒い肌に映えて超合金のように見える。


 ボクサーパンツにリングシューズ。左手には白いバンテージ、右手には黒い手袋を嵌めていた。


 ボブはその黒い手袋を手首からクルクルと回して外す。手首から先が分離した。


「義手か?」


 ボブは高い声で答えた。


「義手ですわ〜」


 明るい口調だった。外した義手をスタッフに渡し、別の義手を受け取る。その義手を空いた右手に装着しながら話を続ける。


「子供の頃ね、交通事故で右手首から先を失ったんだわ〜」


 そして嵌めた義手を俺に見せつける。それは銀色に輝く拳で、手を握り締めた形をしていた。


「これ、チタン製の義手でね〜。格好良いだろ〜」


 白い歯を見せ、ニヤリと笑うボブ。その態度は、明らかに俺を舐めていた。若僧なのに生意気である。



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