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188【地下闘技場】

 四角いリングが金網に囲まれながら、複数の眩いスポットに照らし出されていた。リングにはプロレスのマットのようなロープは無い。金網が剥き出しだ。


 擂鉢状の観客席は無人で、乾いた空気だけが無音で流れている。上の階はカジノで賑やかだったのに、ここは廃墟のように静かだった。


「懐かしい香りだ――」


 深呼吸する俺は、若き頃に散々嗅いだ荒々しい空気を堪能していた。乾いて茶色くなったマットから臭ってくる汗と血の臭いが昔を思い出させる。


 十年前まで、自分もこのような場所で思い存分戦っていたと懐かしむ。


 すると、反対側の通路から白人と黒人の二人が、上半身を鎖で縛られたクロエを連れて現れる。クロエは俺を見つけると安堵したかのように微笑んでいた。しかし、その口は猿轡で塞がれている。喋ることも出来ない。


 俺の前に立つジョジョが述べた。


「いや〜、あのエルフ娘の噂は聞いていたが、あそこまで愚かだとは思わなかったぞ。カジノでイカサマだぞ。まあ、あんたも大変だな」


「それほどでも……」


 微笑むジョジョに俺も同感する。確かにクロエはDQNだろう。たちが悪い。


「それで、俺をこんな場所に案内して、なんのつもりだい?」


「交換条件だ」


「どんな?」


「君が私の用意した選手と戦ってくれたのならば、あの娘を無傷で返してあげよう」


「あそこで?」


 俺は金網リングを指差しながら問う。


「選手は三人と三試合。勝敗は彼女を引き渡す条件には入らない。だから、ただミスター・シカバは戦えば良いのだよ。ただし、連戦だ」


「なんとも、お優しい交換条件なんだな。むしろご褒美だぞ」


「ミスター・シカバならば、よろこんでくれると思っていたよ。はっはっはっ!」


 二人のマッチョが微笑みながら会話を繰り広げる姿を見ながら、鏡野響子は呆れていた。困った二人を困った顔で眺めている。


「それで、いつ始める?」


「直ぐだ」


 その言葉を聞いて俺はリングに向かって歩き出す。するとスタッフと思われる男性が金網の一角を開けて俺を中に誘う。


 俺が入り口からリングインすると、反対側からクロエを縛っていたマッチョな白人男性が入って来た。どうやらこいつが相手らしい。良い面構えだった。


 着ていたスーツを脱ぎ捨てる白人男性の身長は2メートルを越えている。しかもマッチョで胸板も厚い。腕も脚も太い。まるでプロレスラーだ。


 俺がリング中央に立つと、正面に男が立ち並んだ。俺は目付けを開始する。


 年齢は三十歳から四十歳ぐらい。外国人だから、日本人の俺には年齢がいまいち正確には分からなかった。


 耳は蒲鉾のように厚い。おそらく柔道かレスリングを嗜んでいるのだろう。


 拳はタコだらけ。打撃を嗜んでいる証だ。


 服を脱いで分かったことは、肘や膝の皮が厚くなっている。グラウンドの練習も疎かにしていない。


 そして、瞼に複数の傷跡。鼻は潰れっぱな。唇にも傷が見られる。相当打たれ慣れているのだろう。おそらく喧嘩のキャリアが多いと見られる。


 見るからに攻撃と防御のバランスが取れている立ち姿だった。


 洋服を脱ぎ捨てた白人男性は、ビキニパンツ一丁になる。足元はレスリングシューズだった。


「プロレスラーか?」


 白人男性は答えない。


 すると、金網の外の観客席に腰を下ろしたジョジョがリングに向かって声を張る。


「二人とも、ゴングは必要かね。望むなら鳴らすぞ〜」


 白人男性はリング外のボスを見ると、ゆっくりと後ずさる。金網のコーナーまで退いた。俺もそれを真似る。


 対角線で睨み合う両者。それを煽るようにスタッフがゴングを鳴らした。甲高いゴングの音が観客の居ない闘技場に鳴り響く。


 途端、リング内の二人が前に出た。そして、距離を詰めた二人が今度は右回りにステップを刻み始めた。リング内をぐるぐると回る両者が様子を伺っている。


 俺は中段の構えで低めに拳を固める。古武道の構えで中距離を警戒したスタイルだった。


 一方の白人は、軽く膝を曲げ、中腰猫背のオープンハンドで構えている。レスリングの構えだ。掴みを狙っているのがハッキリと分かった。


 リングを回りながら真っ直ぐに睨み合う二人の足が止まった。そして、コンマ1秒の刹那。先に動いたのは白人男性だった。


 白人男性は、大きく一歩だけ前に出た。その途端に体が低く沈み込む。その瞬間に這いつくばる低さでダッシュしてきたのだ。


「狙いは足首――か」


 片足タックル。足首を掴みに来るレスリングの基本技である。足首を取ってしまえば、どのような技にも持ち込めるのがレスリングの特徴だ。


 しかし、白人が俺の片足を捕まえるよりも速く片足を跳ね上げた。その足は俺の頭よりも高くに振り上げられる。


「喰らえ!」


 踵落としである。俺の踵が白人の後頭部を踏み潰そうと振り下ろされた。


 だが、咄嗟に巨体を横に転がした白人男性は、スレスレのところで踵落としを回避する。空振った踵がマットを叩いて激しい音を鳴らす。


 そして、転がって回避した白人男性はリング隅で片膝立ちになるとディフェンスを取って見せる。隙がない。


「思ったよりもやるね〜」


 俺は感心した。もっと容易く勝てると思っていたからだ。白人男性を舐めていたのである。


「あんた、レスリングかい?」


 白人男性が初めて声を出す。


「元アメリカ代表アマチュアレスリング130キロ級、アダム・ジョイだ」


「知らんな――」


「毎回、一回戦で大敗していたからな。無名に近い……」


「でも、喧嘩は強いんだろ?」


「そっちが本職と言っても良い」


 グラップルを得意とする選手と戦うのは久しぶりである。それはそれで心が躍る。とても楽しそうで堪らない。



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