182【初恋の想い出】
「あれは、確かにマリア・カラス先生だった……」
呟くヴァンピール男爵が、修復して球体を取り戻す空亡を睨みつけていた。
ヴァンピール男爵は、空亡の内部に潜む怨霊の女性を知っていた。
それは、数十年前の話である。まだ、ヴァンピール男爵が爵位を継承する以前で、少年時代の話であった。
ヴァンピール男爵は魔法の才能を有していると知った父である前ヴァンピール男爵四世が、魔術の家庭教師を付けたのである。
その教師が、まだ若く美しかったマリア・カラスだった。レゾナーブルが十代で、マリア・カラスが二十代の話である。
マリア・カラスは土系統の魔術が得意で、バンパイア化に必要なネクロマンシー系の魔術をレゾナーブルに指導していたのだ。ヴァンピール男爵がバンパイアに進化できたことに大きく貢献した師匠である。
しかし、それはヴァンピール男爵も若く、七十年も前の話だ。あれから長い時間が過ぎている。
そして、ヴァンピール男爵とマリア・カラスの二度目の出会いは、レゾナーブルが爵位を継承して、バンパイア化に成功してから暫く過ぎてからであった。
フラン・モンターニュの鉱物調査。その魔術師の一団に、調査員として、年老いたマリア・カラスが含まれていたのである。
そもそも彼女は土系統の魔術が得意で、地形調査の専門家だったから、フラン・モンターニュの調査が行われるとなれば、そこに居ても可笑しくない存在だったのだ。
しかし、そのころのマリア・カラスは九十歳近く。魔力で寿命が伸びているとは言え、既に老婆だったのだ。若きころの美しさは失われて枯れ木のような老魔術師になっていた。
さらに、それから数年後のマリア・カラスは、頭がイカれたと言われて、魔女に落ちたと噂されていた。しかも、行方不明になったとされている。
そのマリア・カラスが若い頃の美しさを取り戻してヴァンピール男爵の前に現れた。だが、その姿は亡霊だ。悪霊のような悲しき表情で空亡に立て籠もっている。
「何故に、マリア・カラス先生が悪霊に……」
眉に深い皺を寄せながら悔いるヴァンピール男爵。恩師である彼女が、自分が統治する地域で怨霊化していることに罪の意識を感じていた。これほどまでに近くにいたのならば、モンスター化する前に救えたのではないかと悔いているのだ。
「ならば――」っとヴァンピール男爵の眼光に力が籠もる。決意が燃え上がった。
それは、救えないのならば、救えないなりに救うしかないとの誓いだった。
「先生を、苦しまずに滅します!」
それが、ヴァンピール男爵の回答だった。
慈悲を掛けない。恩義も掛けない。ただ速やかに討伐する。それが、最大限の慈悲であり恩義なのだと考えたのだ。
「エアートルネードドリル!!」
呪文を唱えるヴァンピール男爵の眼前に突風の槍が渦巻く。その鋭い牙は、ドラゴンの牙より大きく巨大だった。全長10メートルはあるだろう。
そのミサイルのような風の弾丸が放たれた。そして、一瞬で空亡の巨体を抉って削る。たったの一撃で、空亡のど真ん中に大きな風穴を開けていた。
空亡に巨大な穴が開けられると、空亡の背後に砕けたスケルトンの破片が飛び散った。その破片が骨の雨の如く地上に降り注ぐ。
空亡のど真ん中に開いた大きな穴の奥、そこには怨霊化したマリア・カラスが浮いていた。裸足にワンピース姿の若い娘が怒りの表情でヴァンピール男爵を睨んでいる。
「先生……。そのような顔で睨まないでください……」
ヴァンピール男爵は、悲しかった。若き日に憧れて恋語がれた人が、自分を恨んでいるかのような表情で睨んでいる。それが辛かった。初恋の想い出を、踏みにじられたような思いである。
『デススター・ライトニングショット!』
大怪球の穴の中からマリア・カラスが電撃魔法を放ってきた。それは、惑星が吐き出す閃光の砲撃。しかし、ヴァンピール男爵はシールド魔法で魔砲を防ぐ。
「プロテクションシールドLv10!」
鉄壁のシールド魔法は最大級の厚み。これだけの防御魔法を打ち破れる攻撃魔法は少ないだろう。その防壁が当然ながら稲妻魔法を弾き散らした。
「六天砲撃結界!」
続いてヴァンピール男爵の魔法で空亡の周りに電撃を纏った六つの球体が出現する。空亡は囲まれた。
その六つの雷撃球体が同時にライトニングの魔法を中央の空亡に放つ。
「シックスフィールド・ライトニング!」
『ギぃイアアアアァアァァアアアア!!』
同時複数のライトニングを浴びたマリア・カラスが悲鳴を上げる。その稲妻に、残っていた空亡が砕けて散り始めた。地上に墜落していく。煙を上げたマリア・カラスも地上に落ちて行った。
降り注ぐ骨骨の雨。地上に居る者たちは雨を凌げる場所に避難して耐え凌いだ。
そして、マリア・カラスが地面に墜落すると、それを見逃さなかったシローが店前の軒下から飛び出した。マリア・カラスに、とどめを狙っている。
地上に墜落して倒れ込むマリア・カラス。その姿は力無い乙女の姿勢。非力な女性が貧血で倒れ込んだように伺えた。
だが、シローから見れば亡者の強敵。討ち取らない理由が無かった。彼女に跨ると拳を振り被る。下段正拳突きを狙っていた。
「待ってもらえませんか、シロー殿……」
『んん?』
止めたのは空からゆっくりと舞い降りてきたヴァンピール男爵だった。その表情は辛そうに眉を歪めている。
『何故に?』
「その人は、私の恩師なのです……」
シローは振りかぶっていた拳を降ろした。マリア・カラスを跨いでいた足を退ける。ヴァンピール男爵の願いを受け入れたのである。




