164【魔女たちのお茶会】
人通りが皆無の裏路地で、チルチルが一人きりで待っていた。
誰も通らないような路地裏は、昼間でも陰気で、風が吹くたびに埃が舞う。心細い気配に包まれながらも、チルチルは背筋を伸ばし、主の帰還を静かに待ち続けていた。彼女の白い髪が風に揺れ、ふと影が動いた瞬間、塀の中からシローが音もなく姿を現した。
その姿には傷一つなく、衣服も乱れていない。勝手に戦闘を行ってきた様子もない。
チルチルはその姿に胸を撫で下ろし、小さく息を吐いた。ずっと張り詰めていたものが、ようやく緩んでいく。
彼女は、静かに頭を下げて主を出迎えた。
「お帰りなさいませ、シロー様……」
『ああ、ただいま、チルチル――』
シローは平然としたまま、いつも通りの調子で答えた。その顔には緊張も疲労も見られず、彼女が心配していたことには、まったく気付いていないようだった。
その様子を見て、チルチルは再び小さな溜め息をつく。
(もう……ほんとに無頓着なんだから)
心の中でそう呟きつつも、どこか安心している自分がいた。あれこれ言いたいことはあるが、無事でいてくれたことが何より嬉しかった。
「それで、シロー様。壁の中に、何がありました?」
声をかけるチルチルの目には、わずかな警戒心が宿っていた。ここは異世界、何が起こってもおかしくはない。
『扉の奥には、マジックアイテムのショップがあったよ』
「マジックアイテムのショップ……ですか?」
聞き返すチルチルの声には、驚きと興味が半々に混ざっていた。そんな場所が、あの無機質なブロック塀の中に隠されていたなど、想像もできなかったのだ。
『しかも、オーナーは知り合いだった……。まあ、それは置いといてだ』
話をさらりとはぐらかすように、シローはポケットから小さな銅製の指輪を取り出した。そして、それをチルチルの目の前に差し出す。
『これ、チルチルにあげるよ』
「えっ!?」
思いもよらぬ贈り物に、チルチルは両手で口を押さえて立ち尽くした。
まるで時が止まったかのように感じられた。心臓の鼓動が早まるのが、自分でもわかる。
――指輪。それはこの国では、特別な意味を持つもの。ましてや男性から女性へ贈られるとなれば、それは愛の証であり、結婚を望む意志の象徴とされている。
その意味をよく知るチルチルは、真っ赤になった頬を隠そうと、視線を下に落とした。
「あ、ありがとうございます……」
声がかすれるほどに、胸が高鳴っていた。嬉しい。でも、戸惑う。これを左手の薬指にはめていいのか、それとも別の指にするべきなのか。ちらちらとシローの顔をうかがうが、能面に隠されてまったく表情が読めない。
結局、決めきれずにそっと指輪をポケットにしまう。
『チルチル、一旦、一刻館に帰るぞ』
「は、はい!」
素直な返事とともに、チルチルは歩き出したシローの後ろ姿を追いかける。その背中が、いつもより少しだけ頼もしく見えた。
一方その頃――
異次元の空間に建つ、薄暗くも不思議な趣の漂うマジックアイテムショップ、ミラージュ。その奥の部屋では、年老いた二人の魔法使いたちが、優雅にティーカップを傾けながら談笑していた。
魔法陣の光がぼんやりと天井から店内を照らし、棚にはありとあらゆる呪具が整然と並んでいる。
老婆が淹れた紅茶をひと口すすりながら、レオナルドが口を開いた。
「シローちゃんて、まだアイテム鑑定スキルを取ってないみたいね〜」
「あらあら、そうだったのですねぇ」
紅茶を手に持ったまま、相槌を打つ老女・レイチェル。どこかほわんとした雰囲気を持つその様子とは裏腹に、彼女の身のこなしや言葉遣いには、長い年月を生きてきた魔女の風格が滲んでいた。
「だから、私から呪いの指輪を受け取ったのよ。もし鑑定スキルを持ってたら、即座に投げ捨ててたでしょうけどね〜」
「そりゃあ〜、そうですわなぁ〜。ところでレオナルド様、その指輪にはどんな呪いが込められていたのですかぁ? 呪いのレベルが高すぎて、私にはさっぱり解読できなんだんじゃよ〜」
「えっ、レイチェルでも解けなかったの?」
「隠蔽の魔法が重ねがけされておってのぉ。それが厄介じゃ。いくら鑑定スキルを使っても、読み取れなんだわい」
「なるほどね〜。それなら、シローちゃんも当分気付かないかもね〜」
「それで、それで? どんな呪いが掛かっていたのじゃ?」
「恋が叶わない呪いよ」
「それはまた、可愛らしい呪いですなぁ〜。ぷぷっ」
「まあ、あの脳筋馬鹿には、恋も愛も無縁でしょうけどね〜。見てて微笑ましいというか、哀れというか」
「確かに、あの無骨な巨体ときたら、女心には気付かんでしょうのぉ〜。カーカッカッカ!」
「うふふっ、そうそう。もうちょっと人生を楽しめばいいのにね〜。あはっはっはっ〜」
異次元にひっそりと存在するその店には、魔法使いたちの茶飲み話と笑い声が、今日ものんびりと響き渡っていた。
しかし、その内容は酷い。他人の不幸で楽しんでいた。これだから、魔女と呼ばれるだ。




