17【さらなる誤解】
『ただいま〜』
俺が早朝のランニングから帰ってくると、酒場の一階には早くも客が数人ほどいた。揃って朝食を食べている。
その顔ぶれは、いかにも怖い面構えの連中だった。もしかしたら、こいつらが冒険者っていう人種なのかもしれない。何せ、それっぽい。
そんな荒々しい連中が、俺の帰還を睨みつけながら迎えてくれる。何人かは朝から酒を煽っていた。
酒場の店内は静まり返っていた。全員が俺を睨んだまま固まっている。
俺は、それらを無視して階段に向かう。しかし、突然一人が立ち上がり、巨漢で俺の進行方向を塞いだ。通せんぼである。
「ッ………」
『んん?』
ハゲ頭の大男は俺と同じくらいの背丈。しかし、体格は俺よりも大きい。腕も太く、胸板も厚いが、腹も出ている。おそらく体重は170キロは優に超えているだろう。この中で一番の体躯だ。まさにベーダー級である。
そのような男が、俺にノソノソとゆっくり迫ってきた。そして、胸と胸を突き合わせるようにして眼前で睨んでくる。
ガンのくれ合いスタート。
俺は知っている。ここで引いたら一生負け犬扱いで舐められる。だから負けてもいいが、引いてはならない。それが、俺がいじめられっ子だった頃に学んだ教訓である。
『何用かな?』
俺が黒狐面越しに問うと、ハゲ男は口髭を揺らしながら言った。
「この仮面野郎、テメー、宿屋に子供を連れ込んでいるらしいな」
チルチルのことだろう。
『彼女は俺のメイドだ。何か問題でもあるか?』
俺が凛々しく述べると、ハゲ頭に複数の赤い血管が稲妻のように走った。一瞬で茹でダコのように赤くなる。そして、両手で俺の襟首を掴んできた。
「このロリコンゲス野郎が。懲らしめてやる!」
そう怒鳴ると、ハゲ男は両手で強く引っ張ってきた。
刹那、俺の防衛術が作動する。
俺の襟首を引っ張る両手首の関節を同時に決めると、痛みに押されて男の膝が力無く崩れる。そこに、素早い横振りの肘鉄を顎先に打ち込んでやった。
その技は、ほぼ同時の一瞬。素人では何が起きたか分からない刹那のうちに遂行された。柔術の技である。
案の定、顎先を肘で強打された本人は、何が起きたかも分からないままにダウンする。仰向けに倒れ、そのまま気絶した。
両手首を決められて体勢を崩したところに、強烈な肘打ちが顎を強打する。
その結果、衝撃に顎が右から左に高速で揺れると、今度は頭が左から右にテコの原理で激しく揺れる。
それで起きるのは、脳味噌のシェイク。
頭蓋骨内で左右に揺れた脳が頭蓋骨の内側に何度も激突して、起きる現象――。
それが、脳震盪だ。
倒れている大男を見下ろしながら俺は述べた。
『なんだったんだ、こいつは?』
すると、各テーブルに散らばっていた面々が椅子から立ち上がった。全員が俺を睨んでいる。
しかも、殺気は十分。ヤル気満々である。
「やりやがったな……」
『なんだい、今度は全員でかかってくるのか?』
「うるせえ、クズ野郎……」
「金持ちだからって、調子に乗るなよ!」
「テメーみてえなゴミ野郎は、一度ギャフンって言わせねえと分からねえみたいだな」
『今どきギャフンって……』
荒くれ者たちの数は五人。この人数なら問題ない。素手なら負けない。
それは、目付けのレベルが知らしめていた。
目付けとは、敵の強さを測る格闘技の術。どのような武道でもある基本の技術である。
男たちは武器や防具を装備していない。素手だ。
ならば、格闘技をチャンピオンレベルまで高めた経験がある俺には敵わないだろう。それが、素人とプロ級の戦力差である。
これは、素手の五人が北極熊を相手にするくらいの戦力差なのだ。
「クソが……」
「ぶちのめしてやる!」
だが、彼ら五人は、それが悟れていない。
「全員で掛かるぞ!」
「「「「おうよ!」」」」
五人が四方からゆっくりと摺り足で近付いてくる。足運び、包囲の仕方は慣れたものだ。戦いの経験を積んでいるのだろう。
しかし、素手の間合いがわかっていない。それは、武器を持った人間の間合いであって、素手の間合いではなかった。
おそらく、こいつらは戦士の類。武器の戦闘には慣れているが、素手の戦いには慣れていない。それが体捌きだけで悟れる。
「行くぞ!」
「「「「おう!」」」」
同時に五方向からの攻撃。
しかし、全員が上段に振りかぶった拳を放ってくる。それはすべてテレフォンパンチだった。
テレフォンパンチとは、拳を顔の高さまで振りかぶり、まるで電話機の受話器を耳に当てているかのようなポーズを取ってしまうパンチのことを指すボクシング用語である。
そのパンチは、動作の起こりが見えてしまうため、攻撃を繰り出すタイミングも軌道も相手に教えてしまう素人パンチなのだ。
そんなテレフォンパンチを全員が仕掛けてきたのである。
俺にとっては見え見え過ぎて、五方向から同時に放たれても避けられる攻撃だった。何せ、全員が俺の頭を狙っているのが丸わかりだったからである。
「うぅらあああああ!!!」
『よっ』
俺はスピンしながら身を下げ、男たちの攻撃をすべて回避してみせる。俺の頭上で、五人の拳が重なり合っていた。
しゃがんで攻撃を回避した俺は、そのまま回転しながら全方向に水面蹴りを放つ。
その下段回し蹴りは、五人全員の足元を順々に払った。五人が宙を舞いながら転倒する。
「ぐはっ!」
「うそっ!」
「げふっ!」
「あべしっ!」
「ギャフン!!」
背中から落ちた男どもが、それぞれ間抜けな声を漏らしていた。その中央で、俺はゆっくりと立ち上がると、乱れた襟首を整える。
そして、一番最初に立ち上がろうと膝立ちになった男に向かって中段正拳突きを放った。
踏み込みで床板を鳴らした突き技が男の顔面に迫る。それは、鉄球の如き鉛の拳であった。
『押忍ッ!!!』
しかし、気合い溢れる正拳突きは男の眼前で止まる。寸止めだ。
するとワンテンポ遅れて拳圧に顔面の肉が揺れた。さらには髪の毛を靡かす。
顔面を青くさせた男は俺の拳が止まったのを凝視しながら尻餅をついてしまう。腰が抜けたようだ。
『あんたら、なんで俺なんかに喧嘩を売ってくるんだ? そんなにこの狐面がムカつくか?』
男たちはふらつきながら立ち上がると、反論してくる。しかし、その表情に怯えがはっきりと見えた。
「テ、テメーみてえな、子供を抱くようなクズ野郎はいけすかねえんだよ!」
『子供を抱くって?』
「そ、そうだよ。テメー、獣人のメイドを弄んでるだろ!」
『弄ぶって?』
「そこまで言わせるか、このゲスが!」
『ちょっと待ってくれ。あんたら、何か誤解してるだろ』
「ご、誤解だと!?」
『だって俺は、チンチンが立たないもの……』
「「「「「はあ?」」」」」
本当である。何せ俺はスケルトンだから、そもそも立つはずの一物がないのだ。玉もない。




