161【謎の扉】
アサガント商店の離れにある独身従業員寮。その一室を、俺はピノーから借りることになった。
そこは木造三階建ての住居スペースで、サン・モンのアサガント商店三店舗で働いている独身従業員たちが、共同で暮らしている建物だった。
その人数は三十人弱だと聞いている。結婚や暮らしが安定するまでの間借りの宿らしい。
俺が借りたのは、一階の隅の部屋。四畳半ほどの広さで、ベッドと机が一つずつ置かれている。あとは洋服タンスが一つあるだけだ。
なんとも淋しい間取りだった。トイレは共同で、風呂なんて当然ない。食堂もないから、外食が普通らしい。
まあ、独身が一人で暮らすには十分な部屋だろう。その部屋の壁際に、俺はゲートマジックの扉を固定した。
大きな荷物は持ち込めないが、段ボール箱ぐらいなら搬入可能だ。ちょっとした倉庫代わりに使おうかと思っている。
部屋を出ると、長い廊下に各部屋の扉が並んでいた。これらは他の従業員たちの部屋である。その先に、玄関と二階への階段が見えていた。
まあ、俺が二階に上がることはないだろう。
俺は部屋の鍵を閉めると、独身寮を出た。寮の玄関には鍵が掛かっていないらしく、各部屋での戸締まりを用心してくれとのことだった。
独身寮を出ると、町中へと続く坂道が見えてくる。この寮は、少し高台にあるのだ。その高台からは、サン・モンの町が見渡せる。しかし、道は急で、昇り降りが厳しそうな立地だった。
俺が振り返ると、独身寮の入口にはアパートの名前が刻まれた看板が掲げられていた。
【メゾン・イッコク】
なるほど、一刻館っていうんだ、このアパート……。メゾンって、フランス語だったんだね……。知らんかったわ〜。
「シロー様、それでは町を回ってみましょうか」
『ああ、そうだな……』
俺とチルチルは、急な坂道を降ってサン・モンのメインストリートを目指した。
坂を下り終えると、すぐに人通りの激しい通りに出た。さすがはパリオンに続く大都会の町だった。ピエドゥラ村と比べたら、天と地ほどの差がある。人も溢れるほどに多い。
それに、獣人の姿はほとんど見られない。いても、チルチルのようにメイドや執事の格好をしている。やはり、獣人差別が色濃く残っているのだと感じさせられる光景だった。
しかし、それ以上に俺の心を傷めたのは、裏路地で見られた現実的な光景だった。
店と店のわずかな隙間――裏路地に座り込んだり、横たわる老人や子供たちの姿。
その身なりはみすぼらしく、不衛生に見える。ホームレスたちだ。
この異世界は、ロマン溢れるナーロッパのファンタジー世界ではない。殺伐とした戦争の真っ只中、中世を模したかのような厳しい世界である。しかも、町の外には人食いモンスターが徘徊している。
だから、働けない者、病弱な者、小さな者、身寄りのない老いた者、それらの弱者は町の隅へ隅へと追いやられる。
ここには、弱者を無条件で救ってくれる政府も民衆もいない。故に、年齢を問わず浮浪者も少なくない。
せめて子供たちくらいは救ってやりたい。しかし、一人二人を救ってもキリがない。甘い感情論で手を差し伸べるよりも、もっと根本から改善しなければ、すべては救えない。
今、俺が救えるのは――チルチルのような獣人たちだけだ。そのくらいは、救っていきたい。
そして、救った獣人たちをモフモフしてやりたい。ハグして、撫でまわして、ペロペロしたい。吸い吸いもしてやりたい。それを行ってこそ、獣人たちに価値が生まれるのだ。
「ちょ、ちょっとシロー様、急に何をするのですか!」
『はっ!!』
気がついたら、俺はチルチルに抱きついて、白い髪に顔を埋めて吸い吸いしていた。嫌がるチルチルが頬を赤らめながら抵抗している。いつも店でハグする時は逃げないのに。やはり、人前で吸い吸いされるのは恥ずかしいらしい。
「シ、シロー様、そういうことは、人目を避けてくださいませんか……」
『ああ、ごめん、チルチル……』
そんなこともあったが、その後も俺はチルチルを連れて、サン・モンのメインストリートを見て回った。
そして、そんな俺には、ときおり光って見えるものがあった。店に並んだ商品に混ざっていたり、道行く人々の装飾品などに、それはあった。
それは、マジックアイテムだ。魔法探知Lv3を取得したことで、魔力を持った物が輝いて見えるのだ。その成果、見ている景色が変わったように思う。
『マジックアイテムって、けっこうあるんだな』
俺の独り言を聞いて、チルチルが口を開いた。
「魔法感知の次は、魔法鑑定を習得すると便利ですよ」
『魔法鑑定?』
「魔法の効果を知るためのスキルです。私もレベル1までは持っていますが、レベルが低すぎて、ほとんど役に立っていませんけどね」
『なるほど、覚えておくよ。――ん?』
「??……」
俺は、人混みの中で唐突に立ち止まった。魔法探知スキルが、何かを感知したのだ。俺は、その方向へと足を進める。やがて裏路地に入っていった。
「シロー様、どうかなされましたか……?」
『――……』
裏路地を進んだ先で、俺たちは人通りのまったくない道に出た。そこは静かな通りで、さっきまでの雑踏が嘘のように消えていた。
「シロー様……」
チルチルも異変に気づいたようだ。
そして俺は、一つの扉に目を止めた。そこから、途方もない量の魔力が感じられたからだ。
二階建ての白い四角い建物。さほど大きくはないが、不気味なことに窓が一つもない。白い土壁に囲まれた、無機質な建物だった。
中央に設置された木の扉。その隙間から、大量の魔力が漏れ出ている。
チルチルが、扉の前に飾られた看板を読んだ。
「選ばれし者の来店を歓迎する。ミラージュショップ……ですって……」
『ここは、店なのか……?』
俺とチルチルは、その店の前で、立ち尽くしていた。




