159【真珠のネックレス】
翌日の早朝、俺とチルチルはバイクに乗ってピエドゥラ村を旅立った。目的地は、サン・モンの町にあるフィリップル・アンドレア公爵の城。公爵への謁見を果たすためである。
店番にはブラン、ニャーゴ、シレンヌの三人を残してきた。
チルチルだけは、どうしても同行したいと言ってきかなかったのだ。何やら、俺の言動が怖くて目が離せないらしい。……まさか、俺が、公爵をぶん殴るとでも思っているのだろうか。
まあ、有り得んこともないだろう……。
俺は、ピノーからの手紙にあった通り、貢物を用意していた。それは――真珠のネックレスだ。
異世界転移もののラノベに書かれていたのを参考にした。異世界では真珠は高級品らしい。そもそも、昔のヨーロッパでも真珠は非常に高価なものだったという。
現代でも、高価な真珠のネックレスは五十万から百万はする。安いものならば、五万から二十万程度である。しかし百年も昔となると、さらに貴重で――とくに明治二十六年以前には、もっと高値で取引されていたという。
明治二十六年。その年、真珠王・御木本幸吉がアコヤ貝の養殖に世界で初めて成功する。真珠の量産が始まり、それまでダイヤモンド以上とも言われていた真珠の価値が一気に庶民の手に届くものになったのだ。
とはいえ、それでも真珠はまだ高価だ。現代でも五十万くらいは平気でする。
だが俺が用意したのは、ゴールドショップで見つけた中古品。多少の傷はあるが、七万円で手に入った。かなりのお買い得品だ。
これをアンドレア公爵への貢物とするつもりだ。奥さんが美人だと聞いているし、妻への贈り物としても悪くないだろう。
ついでに、日本酒とおつまみも用意しておいた。贈り物には酒――それは世界共通のマナーだと信じている。
こうして二日の旅を終え、ついにサン・モンの町が見えてきた。城壁に囲まれた町の中央に、ひときわ目立つ城塞が建っている。あれが、フィリップル・アンドレア公爵の城だ。
城はシンプルな箱型。華美さよりも、機能性を重視した造り。隣国イタリカナ王国との百年戦争の影響で、防御力を重視しているのだろう。ネズミランドのような夢の城ではない。
『よし、バイクはここまでだ』
「はい――」
『ちょっと車庫に戻してくるから、ここで待っててくれ』
「畏まりました」
町の手前でバイクを降り、ゲートマジックで実家の車庫に戻す。町の中までバイクで突入するのは、さすがに目立つからだ。
街道を歩きながら、チルチルが口を開いた。
「まずは、ピノー様にご挨拶しましょう」
『うむ、そうだな』
白式尉の能面を被った俺とメイド服のチルチルは、サン・モンの町の大通りを抜けてアサガント商会へと向かった。大店の店内に入ると、従業員によって客間に通される。ほどなくして、ふっくらとした中年商人――ピノーが現れた。
「いやあ〜、シロー殿。ようこそお越しくださいました」
彼はたっぷりとした腹を揺らしながら、満面の笑みで出迎えてくれた。チルチルが頭を下げると、俺はピノーと握手を交わす。
「まあ、座ってください」
『ありがとうございます』
俺がソファーに腰を下ろすと、チルチルは背後に回った。ピノーは俺の正面に座る。
「お早いお着きですね。謁見は明後日の予定だったのに?」
『いや、せっかくの機会だから、町を少し歩いてみたくてね』
「なるほど」
『それに、情報を集めておきたい。俺は公爵のことすらよく知らないからな』
「シロー殿は勉強熱心ですな、感心です」
俺は白式尉の白い顎髭を撫でながら言う。
『それで、ピノー殿に貢物のチェックをお願いしたい。失礼のないものか、見てほしくて』
「それは後ろのメイドさんが目を光らせているから、まずは心配ないでしょう」
どうやらピノーもチルチルの実力を認めているようだ。チルチルが、パリオンのコメルス商会の娘だということは、彼も知っている。
『いや、マナー云々じゃなくて、公爵の好みに合うかどうかを確認したいんだ。さすがにチルチルでもそこまでは分からないからね』
ピノーは顎を撫でながら頷いた。
「なるほど。趣味までは詳しくありませんが、公爵様の生い立ちくらいならお話しできます」
『ぜひ、聞かせてくれ』
ピノーは紅茶を一口啜ってから語り出す。
「アンドレア公爵は、本来なら皇太子です」
『それは知ってる。王の弟なんだろ?』
「ですが、王位継承権を返上しておられるのですよ」
『返上……?』
チルチルが後ろから耳打ちしてくる。
「もう王にはなれないってことです」
『――そういうことか』
「軍人として国に尽くすことを選ばれたそうです。実際、将軍として最前線に立ったこともあります。しかも、自ら突っ込む戦士タイプだとか。かなり勇敢な方だと聞いていますし、それは顔立ちからも知られています」
説明しながらピノーが人差し指で自分の頬をなぞった。どうやら公爵の顔には深い傷があるらしい。
『豪傑な貴族様だな』
嫌いなタイプではない。むしろ、好感が持てる。
「噂では、四十歳にして王宮拳法十二種剣のうち、十種を修めたとも」
『王宮拳法十二種剣って、なんだ?』
「王族だけが学べる、最強の剣術だそうです。詳しくは知りませんが……」
『なるほど、公爵様は剣の達人か。それは……楽しみだな』
その時、チルチルが低く、しかし鋭い声で耳打ちしてくる。
「駄目ですよ。公爵様に挑んだら、絶対に駄目ですよ!」
『は、はい……』
バレてる。チルチルが、怖い。
そんなやりとりを無視して、ピノーが笑いながら話を戻す。
「それで、シロー殿。どのような貢物を?」
どうやらピノーも俺が“珍しいもの”を用意したと、かなり期待しているようだ。
俺は、アイテムボックスから宝石箱を取り出し、真珠のネックレスを取り出した。
『これです――』
宝石箱を開けると、中身を見たピノーとチルチルの髪が逆立つ勢いで反応した。かなり驚いている。
「ふーーーー!!!!!!!!!」
「こ、これは!!!!!!!!」
二人とも、想像以上に驚いていた。やはり、真珠はこの世界でもよほどの高級品らしい。
その反応に、さすがの俺もビビってしまう。




