142【甲冑騎士の新体】
朝食として、ティーカップ一杯の鮮血を煽ってきたヴァンピール男爵が、地下の研究室に戻ってくると、それはあった。
ガラスケースの中に形成されたそれは、まるで昆虫の巨大な繭のようだった。
繭は動いていない。しかし、中に魔物が潜んでいるのは間違いないだろう。まだ孵化していないのだ。
「大きいな、この繭は……」
ガラスケース自体のサイズは、そもそも約二メートル。その中には、元々女性用のフルプレートメイルが飾られていた。
そのケース内いっぱいに繭が築かれ、内部にあったフルプレートメイルは白糸に包まれていた。
「なんだ、これは……?」
「さあ……」
割れたガラスの隙間から内部を観察していたヴァンピール男爵が首を傾げる。二人のメイドたちも、同じような反応を見せていた。
そして、もう一つの異変に気づいた金髪ロングヘアのシアンが、髪を揺らしながら報告する。
「男爵様。心臓を入れていたホルマリン漬けの瓶も割れています。中の心臓も、なくなっておりますわ」
石畳の床を凝視するヴァンピール男爵。
「床に……何かが這った跡が残っているな。あの心臓が、まだ生きていたのか?」
「心臓が、這いずり回ったとおっしゃるのですか?」
シアンが眉間に深い皺を寄せて問う。心臓が散歩している姿を思い浮かべたのだろう。
「そう考えるのが、妥当だろう……」
シアンがガラスケースの中の繭を見上げる。
「そうなりますと、この繭の中に、あの心臓が……?」
「だろうな。――これを築いたのは、あの心臓だろう」
「――……」
ヴァンピール男爵は言いながら、テーブルの上に置かれていたメスを手に取り、繭に近づいた。そしてそのまま、繭にメスを立てる。
「硬いな……。メスが通らないぞ」
男爵が繭を切ろうとするが、刃がまるで通らない。糸はまるで鋼のように硬い。非力な魔法使い系の人物では、とても破ることができないようだった。
すぐに諦めたヴァンピール男爵は、困った顔で呟く。
「さてさて、どうしたものか……。この中にある鎧は、かなり高価な品物だぞ。魔物にあっさりくれてやるわけにはいかない……」
ガラスケースに飾られていた女性用のフルプレートは、マジックアイテムの塊である。物理耐久・魔法耐久ともに一級品。攻撃にも使える魔道具も多く搭載されていた。
一緒に飾られていたロングソードは国宝級の宝剣。同様に逆手に持っていたカイトシールドもまた然り。
それは、最強最大級の戦力としてヴァンピール男爵が製作を進めていた、リビングアーマー兵の外装であった。
リビングアーマーの中でも、軽く百騎分の資金を投入していた隠し玉である。
もし完成していれば、通常のリビングアーマー兵と比べて、数倍の強さを誇るはずだった魔導兵士だ。
それを、得体の知れぬモンスターに奪われようとしていた。それは、何があっても許されない。奪われれば、大赤字になる。
繭のモンスターなどどうでもいい。だが、フルプレートメイルだけは回収したい。それが、ヴァンピール男爵の本心だった。
「どうなさいますか、男爵様?」
「燃やすか――」
そう言って、ヴァンピール男爵は中指にはめた指輪を繭に向けた。指輪が赤く輝き、空気が熱で揺れる。
だが、魔法を放とうとした主を、メイドがすぐに止めた。
「男爵様、いけません。研究室内で火力の高い魔法を使ったら、他の研究成果まで灰になります!」
「あ〜、そうだったな……。じゃあ、どうする、シアン?」
「繭が孵化するのを待ってから、甲冑を回収するのはいかがでしょう?」
「それが妥当かねぇ……。で、いつ孵化すると思う?」
「それは、わたくしにも見当がつきません……」
「だろうね――。じゃあ、見張りを立てるか。ルナール」
「はい」
「シスコ、ティグレス、ラパンの三人を呼んでくれ。彼女たちに見張りを頼む。その他の戦闘メイドたちにも警戒を促しておいてくれ」
「はい、畏まりました」
狐娘のルナールは会釈をすると階段を登り、研究室を出ていった。指名されたメイドたちを呼びに行ったのだ。
再び、ガラスケースの中の繭を見上げながら、ヴァンピール男爵が呟いた。
「この眠り姫は、いつ目覚めるのやら――」
何がでてくるか?
ヴァンピール男爵も、少し楽しみであるようだった。




