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112【エルフの過去】

 一瞬の気絶。次に目を覚ました刹那には、クロエは倒れていた。背中は道場の床板に着けて、木造の天井を眺めている。


 そのダウン中のクロエが瞳を見ひらくと、眼前に四郎の顔がスライドして割り込んできた。右頭部に突き刺さった刀は右眼の下まで食い込んでいるが、四郎の目には生きた光が宿っていた。頭に日本刀が刺さったままなのに、死んでいない。


 その四郎が、倒れているクロエの体を跨ぎながら拳を振り上げている。


「追い打ちだ!」


 追い打ち――まだ私は、戦っているのか?


 ああ、そうだ。私は戦いを挑んでいたのだ。


 刹那、振り上げられていた鉄拳が振り下ろされる。殺意を込めた拳がクロエの頭を狙って落ちて来た。容赦の無い追撃である。


「むっ!」


 クロエは突如の危機に頭を反らし、拳の直撃を避けてみせた。狙いを外した拳はエルフ耳の横に落ち、床板を激しく割った。


「はっ!」


 倒れているクロエは蹴りを放ち、四郎の股間を狙う。無慈悲な金的蹴りが襲いかかるが、四郎は微動だにしない。


 その四郎が、クロエの細い首に手をかける。首を締められたクロエが、四郎の腕を掻き毟りながら抵抗した。しかし、爪を立てた程度では四郎の力は緩まない。むしろ、さらに力を込めていく。


「クソがッ!!」


 刹那、クロエの細い体から突風が吹き上がる。その風の中に見えない刃が含まれていた。


「くらぇ、鎌鼬!!」


 浮き上がる突風な中に含まれる透明な刃が四郎の体を刻む。その刃は複数の傷を刻んだが、それでもクロエの首を締める腕は力を緩めない。


「ぐぅ……」


 苦しむクロエの抵抗が弱まった。その瞬間、四郎が体勢を変え、彼女の背後に素早く回り込む。そして後ろから両腕で首を締め上げた。スリーパーホールドである。


「か、がぁ、がぁ……」


 頸動脈を締め上げられたクロエの顔が紫色に変色していく。


 実のところ、「手で首を締める」のと「腕で首を締め上げる」のとでは、人体に及ぼす効果が異なる。


 手で首を締める行為は、呼吸器官を圧迫し空気を吸えなくする。いわば窒息死を狙った行為である。


 だが、腕で首を締め上げるという行為は、頸動脈を圧迫し、脳に血液を送らせないという効果を持つ。


 脳に血液が行き渡らなければ、人は死なずに意識だけを失う。気絶で済むのだ。もちろん、気絶後に締め続ければ死んでしまうのは変わらない。


 要するに現在の四郎は、クロエを殺す技から、活かして勝負をつける技へと切り替えたのである。


「がっ……がっ……あ……」


 首を締め上げられながら天井を見つめるクロエは、無意識のまま両腕を伸ばして宙を掻く。そして、やがて、意識を失った。伸ばしていた両腕も力なく垂れ下がる。






 暗い……。


 ここは何処だ?


 何か聞こえる。それは戦乱の雑踏が巻き起こす恐怖の叫び。爆音。悲鳴。鳴き声――。


 燃えている。森が燃えている。家が燃えている。人まで燃えている。


 そうだ、戦争中だった。


 私の町がオークの軍隊に襲われていたんだ。


 そう、このあとに町は壊滅する。町の人々は皆殺しにされる。


 でも、私は逃げ切った。難を逃れた。


 でも、一人になってしまった。


 森は焼け落ちて、何も残っていない。誰も生き残っていない。


 私は、独りになったんだ。


「娘、まだ生きているか?」


 誰?


 町の人?


 違う、エルフじゃない。人間だ。


 白髪のポニーテール。でも頭は禿げている。


 白い顎髭。顔は皺だらけの老人。でも、凛々しい眉毛だけが真っ黒だ。神々しいローブを纏っている。


 でも、なんでこんなところに人間がいるの?


「私の名前はレオナルド。人間の魔術師で、魔法の収集と研究をしている」


 収集と研究――。


「この辺にエルフの王国があると聞いて、訪ねてきたんだが、少し遅かったようだね。もう、何も残っていない――ようだ」


 そう、もう何も残っていない……。


 全部焼け落ちた。森も町も人々も……。


「しかし、私は運が良い」


 運が良い?


「君が残っていてくれた。これでエルフの研究ができる。君は魔法が使えないのか?」


 少し、使える。――嘘だ。


「ならば、私と来ないか?」


 何処に?


「異世界にだ」


 異世界で、何をするの?


「魔法の研究だ。異世界で、私の助手をしなさい。悪いようにはしないよ。一緒にオリジナル魔法を作ろう」


 本当に?


「本当だ。だから一緒に来なさい」


 分かった――。





 あれから五百年が過ぎ去った。私は、レオナルド様と袂を分け、今は一人で生きている。


 否。正確には、私は置いて行かれたのだ。


 私は、嘘をついた。


 本当は、魔法を使えない。それでも使えると嘘を付いた。そう言わなければ置いていかれると思ったからだ。


 それでもレオナルド様から学んで風系と幻術の魔法は使えるようになった。


 でも、千の魔術を使いこなすレオナルド様からしたら落ちこぼれ。なんの役にも立たない。


 だから、私はモルモットになった。エルフとしての体を差し出した。


 しかし、すぐに飽きられた。さらには解剖のやり過ぎで死んでしまった。


 そして、こちらの世界でも蘇生魔法が使えるかの実験台になった。


 実験は、成功――。


 それからだ、私はずっと日本で生きている。


 戦国時代を生き抜き、様々な時代を生き抜き、今の時代を生きている。


 最初の頃は幻術で種族を偽っていたが、今は長耳を隠すだけで済むようになったから楽だ。


 それからは、日々パチンコ三昧。パチンコが第二の人生だ。パチンコだけが生き甲斐である。パチンコで勝っている時だけが生きているような気がする。もう、パチンコなくしては生きていけない。


「はっ!」


 目を覚ました私が跳ね起きると、少し離れた場所に四郎様が胡座をかいて座っていた。私の刀を鞘に収めて床に着いている。


「目を覚ましたか、エルフ野郎」


「私は、野郎じゃない……」


「でぇ、どうする?」


「どうするとは……」


「俺の下で働くのかって聞いているんだ。それとも俺の命を狙い続けるのかってんだ」


 私は姿勢を正すと、正座で三つ指をつきながら頭を下げた。額を床板に着ける。


「今の私では、四郎様に何度挑戦しても敵わないと悟らされました。今、敵わない私が、この先の四郎様に敵うわけがない」


「そうなのか?」


「四郎様は、この先、ウロボロスの書物の力で、もっともっと強くなるでしょう。それを、落ちこぼれの私がどうこうできるわけがない……」


「ふん〜〜」


「私は、本来の目的通り、四郎様のお手伝いに励ませてもらいます。もう二度と歯向かいません!」


「よし」


 すると四郎様が持っていた刀を私の方に投げた。それを私は受け取る。


「それじゃあ俺は着替えてくる。服がボロボロだ。お前も荷物を部屋に置いたら、少し部屋の掃除をしとけ。長いこと使ってなかった部屋だから埃が溜まってんぞ」


「はい……」


 これからしばらくは、この鹿羽四郎が私のボスだ。レオナルド様の時のように捨てられないように努力しなければ……。



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