107【事務職員】
異世界の夜は更けていく。ヴァンピール男爵は帰宅し、チルチルたちは寝床に着いた。
ヴァンピール男爵に進められたネクロマンサーの魔道書は、気が向いたら読むことにした。時間ならば腐る程にあるのだ、いずれ読みたくなる時もくるだろう。焦らずその時を待つ積りだ。
そのような中で、俺は一人で店内に残って雑用に励む。カウンター席に腰掛け、商品のポップを作っていた。店内の窓から見える外は真っ暗である。
俺は眠らないアンデッドだから、夜はいつも一人で暇なのだ。こんな時だけは、眠れる連中が少し羨ましい。でも、今は読書って気分ではない。だからポップ作りを始めたのだが……。
『あ〜、疲れた〜。この手の作業は、俺に向いてないわ〜。あとはチルチルたちに任せよう……』
そもそもポップ作りなんて、俺には向いていない。このような、ちまちました作業は柄ではない。
俺は超体育会系の脳筋馬鹿だ。手作業や読書は不向きなのである。やりたくないし、やれるわけがない。
俺はポケットからスマホを取り出し、画面を眺めた。スマホのアンテナは一本も立っていない。異世界までは電波が届かないのだ。
『そろそろ会社から何か連絡が来ているかもしれない。たまにはあっちに戻るか。メールのチェックをしないとな』
そう言いながら、俺はゲートマジックで現実世界に戻ってみた。
「ただいま〜」
久々の帰還である。ゲートマジックをくぐると、いつも通り実家の茶の間に出た。
しかし、ゴールド商会から何も連絡は入っていない。スマホに着信は何も無かった。
「連絡は、何も無しっと――」
テレビの前にこたつが敷かれた和室。十畳程度の広さの部屋には、庶民的な家具が並んでいた。それらは亡くなった両親の形見である。間取りも、両親が亡くなった時のままだった。
俺はあまり家の内装にはこだわらないタイプだ。だから、両親が生きていたころのままの内装を保っている。別に弄る必要はないと思っていた。どのような場所でも、住めば都だと思っている。それに、この実家は、幼少期に俺が育った家でもあるのだ。だから、弄る必要はないだろう。
ただし、離れの道場は別である。道場には強いこだわりを持って建築した。しかし、その道場も今では看板を下ろしている。
いくらこだわりが深くても、道場の経営は難しかった。空手の実力が高くても、経営能力とは別なのだ。
だから、潰れた……。
こだわったが、潰れたのだ……。
「さて、何か買い物にでも出るか。新商品を探しに行こう――」
そう呟きながらこたつの上に恵比寿の仮面を置いた俺は、のそのそと巨漢を揺らしながら玄関の扉を開けて外に出る。すると、何故か玄関前に知らない女性がしゃがんでいた。
しゃがんでいる彼女と目が合った。振り向いて見上げてくる女性は金髪の白人である。
「えっ……?」
「あっ、お帰りなさいませ」
スッと立ち上がったのは、華奢な少女だった。
年の頃は十五歳から十八歳ぐらいの白人の少女である。背が低く、細身で、顔が小さく、とても美人だ。
しゃがんでいた少女は立ち上がると、深く頭を下げた。その仕草でストレートの長い金髪がさらりと揺れた。髪の毛は腰まで届く程にとても長い。
彼女は白人の美しい少女だった。まるで森の妖精のように可憐である。
頭を上げた少女は、僅かに乱れた長髪を片手で撫でる。その表情には、透き通ったサファイアのような瞳が輝いていた。
身長は160センチぐらいで痩せ型。派手な柄のパーカーとミニスカートで飾られた彼女は、太腿までの長い水色のニーハイソックスを履いている。靴はスニーカーで、ラフなファッションだった。外国人キッズと言った成りである。
白い顔立ちはスマート。ブルーの瞳は細くて吊り目。蜂蜜色の金髪は腰まで届くストレート。首も細く、腰も細く、足も細い。スタイルは抜群だが、胸は控えめだった。かなり薄い。そして、強気な眼差しで俺を見上げてくる。
「ええ〜っと、どなた?」
「お初にお目にかかります。私はゴールド商会から派遣されてきました、事務員のクロエ・エルフィーユと申します。今後ともよろしくお願いします」
再び頭を下げた少女は、外国人でありながらも流暢な日本語で挨拶していた。日本語はペラペラのようである。
「ゴールド商会から派遣されてきたの?」
「はい。四郎様の業務を手伝うように言われています。主に発注や税金の対策など、事務職を担当するようにとのことです」
「ゴールド商会から人員が派遣されるって、普通のことなのか?」
「至って普通だと思われます。何せ、権利者の方々にはとても事務職なんてできるタイプでない人が多いので」
「あ〜〜、なるほどね。鬼頭とかだな……」
「その通りです。ですので、私たち事務員が本社から派遣されてくるのです」
しかし、そのファッションは、事務員って感じではない。チビっ子ギャングのような身形であった。チャラいと言うか、ギャルっぽい。
「まあ、それよりも玄関先で話し込むのもなんだから、上がってよ」
「はい――」
俺は彼女を茶の間に上げ、こたつに座らせて、飲み物を出そうと好みを訊いた。
「ほうじ茶とコーヒー、どっちがいいかな?」
「ほうじ茶でお願いします」
意外と日本慣れしている外国人少女のようだ。コーヒーよりもほうじ茶を選ぶとは、日本で暮らして長いのだろう。
「どうぞ――」
「有難うございます」
ほうじ茶を差し出されると、丁寧に頭を下げるクロエ。チャラい服装なのに態度は清楚である。
「よっこいしょ」
俺もお茶を出すとこたつに座る。クロエと向かい合った。
「ところで、キミは、ウロボロスの書物については、知っているのかい?」
それが肝心だ。もしも、隠して活動を共にしないとならないとなると厄介である。
「はい。若干でありますが、知らされています」
良かった。ホッとする。面倒くさい話は避けられそうだ。
「何処まで知ってるの?」
「異世界から黄金の回収を行っている事。多くの権利者が不老不死である事。そして、ある一定の時期を過ぎたら身を隠して、戸籍を偽装して別人にならなければならない事。それらは知らされています」
「そうなんだ――」
結構知らされているようだ。――てか、ほぼほぼ知らされてね?
「今のところ、四郎様が戸籍を偽造する際は、私が手続きをする予定です」
「えっ、そうなの?」
「十年か二十年後の話ですがね」
クロエはニコリと微笑んだ。
「それまで、キミは俺の専属なのか?」
「はい」
「十年二十年を俺のために費やすなんて……辛くね?」
「気にしないでください。慣れていますから」
「慣れている……?」
「私にとって二十年程度は、一瞬の月日なので問題ありません」
「えっ……?」
一瞬って、どう言うことだろうか?
俺の疑問を察したのかクロエが理由を語る。
「私はこう見えて、二千歳の少女なので――」
「二千歳!!!」
ニコリと微笑むクロエの顔を見つめたが、とても二千歳の人間には見えない。これも、何かの魔術なのだろうかと疑った。
クロエは自分の両耳を撫でながら言う。
「私は異世界のエルフなのです」
そう言うと両手で撫でていた両耳がキラキラと淡く輝いた。すると、長くて尖った耳が姿を表す。ファンタジーの妖精耳である。
「これが、私の正体です」
ビックリである。どうやら本当のエルフのようだ。たぶん幻術で隠していたのだろう。
「なんで、現実世界に異世界のエルフガ居るんだ……?」