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106【ネクロマンサー】

 時は日が沈み夜が来る。夜空には七つの月が昇って、森には静かな空気が流れ始めた。ピエドゥラ村に広がる小麦畑が夜風にあおられ揺れている。


 開店したばかりの雑貨屋の前。雑草が刈り込まれた庭先に、丸テーブルを一つ出して酒盛りに賑わうのは三人の男性たち。メイドたちは店内の台所で、昼間に残ったカレーライスを温め直して食べている。


 庭先の三人は、店主のシローとお客のヴァンピール男爵。それと、居候の冒険者プレートルである。


 三人は、丸テーブルに摘みを並べて日本酒を嗜んでいた。日本酒はシローが現実世界から持ち込んだ「鬼ぶっ殺し」という銘柄の酒である。シローの生まれ故郷の酒である。


 シローはお猪口に酒を注ぎながら注意した。


『これは、ショットじゃあないから、一気に行かないでくださいね。チビチビ飲みやがれ』


「は〜い」


 以前の話である。暁の冒険団に日本酒をお猪口で振る舞った時に、お猪口の小ささがショットグラスと勘違いした面々が一気飲みをしてしまったのだ。


 外国だと、アルコール度数の高い酒のストレートを小さなグラスで一気に飲む習慣がある。だからお猪口で酒を出されると、一気の飲み合いだと勘違いしてしまうのだ。ちょくちょくある誤解であった。


「おお、これはスッキリした口当たりだな。喉越しも、スーって入ってきてフルーティーですな。これは、何の酒ですか?」


 シローはヴァンピール男爵に答える。


『お米が原材料のお酒ですよ』


「お米?」


『さっき、メイドたちが食べていたカレーライスってあったでしょう。あれの白い穀物を発酵させて抽出したアルコールです』


「ほほ〜。あの白いツブツブがこの酒になるのですな」


『はい。我が太陽の国の特産ですから』


「なかなか、悪くない口当たりですな〜」


 どうやらヴァンピール男爵は、お酒の口当たりが気に入ってくれたらしい。旨い旨いと言いながらお猪口でチビチビやっている。


 その横でプレートルが羊羹を食べながら頬を赤らめていた。


「なんですか、この黒い塊は。予想外に甘いですぞ!?」


 プレートルが羊羹を食べながら訊いてきた。


『羊羹だ』


「甘くて美味しいですな!」


『大豆を擦り潰した物に砂糖を混ぜて固めたお菓子だ。我が国では、古くから伝わる定番のお菓子だぞ』


「これは、なんぼでも行けますな!」


『あんまり羊羹ばかり食べていると、糖尿病になるぞ……。気をつけろ』


 こんな感じで、スケルトンとバンパイアと神官戦士が晩酌を楽しんでいると、夕食を食べ終わったメイドたちが店から出てくる。そのシアンの手にはカレーのルーが三箱も握られていた。どうやら城のメイドたちにもカレーライスを食べさせてやりたいらしい。


 このクールなメイドは、案外と仲間思いの優しいメイド長のようだ。理想的な上司のようである。結婚したら、良い嫁さんになりそうだ。


『ところで――』


 俺はヴァンピール男爵に、本日訪問した本意を訊いてみた。


『男爵様は、本日何をしに来たのですか? 当店のオープン祝いだけで来たわけではないでしょう』


 それは、店内を見回す態度で悟れていた。このバンパイアは、あまり買い物に興味を抱いている様子ではなかったからだ。


 するとヴァンピール男爵は、無言で自分のアイテムボックス内を漁りだす。そして、無空の空間から一冊の本を取り出した。それを丸テーブルの上に投げる。


『それは?』


「死者の魔法書だよ」


『死者の魔法書?』


「ネクロマンサーの魔術が記載されている魔導書だ」


 電話帳のように厚い本は、ハードカバーの古い書物だった。中をめくってみれば、難しい呪文が記載されている。


『これが、どうかしましたか?』


 ヴァンピール男爵は、腕を組んで椅子に仰け反ると言った。


「シロー殿、どうでしょうか。ネクロマンサーの魔術を習ってみませんか?」


『はあ……??』


「バンパイアの勘が疼くのですよ。貴方が魔導を極めれば、このフランスル王国一の――否、世界一のネクロマンサーになれるのではないかと!」


『何を言ってるのですか?』


「シロー殿の正体は、オーバーロード級のアンデッド。少なくともリッチ級のアンデッドのはずです。それほどの怪物が、理性を保ちながら人間社会で商人を営んでいるだけでは、もったいないと思うのですよ」


『いやいや、俺はただのスケルトンだよ。ちょっと喧嘩が強いだけのスケルトンだよ。買いかぶりすぎじゃね』


「普通のスケルトンは、喧嘩なんて強くありません。何より会話ができません」


『でも、俺はできているじゃんか』


「もしもシロー殿が本当のオーバーロードならば、魔導を極めてしまえば、世界を取れるほどの魔導士になれると思うのですよ」


『魔法なら少し使えるよ』


 シローはファイアーアローの魔法を唱えると、掌内に火の矢を作ってみせた。だが、その火矢は小さな魔力を揺らしているだけで、強力な魔法ではなかった。吹けば消える程度の魔力である。ヴァンピール男爵が、巨大ゴブリンと戦った際に披露した魔法の数々に比べれば、あまりに弱小だった。


「ですが、我々アンデッドには、無限の月日があります。少しずつ魔力を鍛錬していけば、百年後、否、千年後には、壮大な魔導士に成長できていることでしょう」


『そんなものなのかな〜……』


「今のシロー殿は、魔法を使わないのにやたらと接近戦が強い魔法使いなのですから!」


『よくわからん例えだな……』


「とにかく、その魔導書を差し上げますので、一度読んでみてください!」


『あ、ああ、わかったよ。読むだけ読んでみる……』


 こうしてシローは、ヴァンピール男爵が抱く謎の期待を背負い込むことになったのだ。


 これが、格闘技一筋のシローが大魔道士に成長する切っ掛けであった。しかし、それは、まだまだ先の話である。



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