102【正しい商道】
俺とチルチルたちが開店準備に励んでいると、陳列用のテーブルを搬入し終わった大工のゴリーユさんが店内の商品を見て回っていた。珍しい商品が多いのか、あれこれ訊いてきて五月蠅い。ハッキリ言って邪魔だ。
「なあ、これはなんだ。紙の箱なのか……?」
ゴリーユがゴリラ面の眉を顰めながら訊いてくる。手に持っているのはカレーのルーだ。箱に入っているのだが、そもそも紙で作られた箱すら見るのが初めてなのだろう。
この異世界に紙パックは存在しない。チルチルやブランも紙パックを初めて見たときは不思議そうな顔をしていたもんだ。懐かしい。
そして俺は、カレールーの箱を見回すゴリーユに答えてやる。
『それは、カレーのルーだ。食品だよ』
「食品? 食べられるのか、これが?」
『中にルーが入ってるんだよ』
「ルー? なにそれ……?」
訳が分からないと首を傾げるゴリーユに、チルチルが言った。
「奥の台所に実物がありますから、見てみますか? 実物を見るのが一番分かりやすいでしょう」
「ウホ、いいのか?」
「シロー様、構いませんよね?」
『ああ、構わんよ。そのほうが話が早そうだ』
ゴリーユはチルチルに案内されて奥の台所に向かう。
「な、なんか凄く良い匂いが漂ってるな……?」
「これが、カレーの匂いですよ。凄く良い香りでしょう。カレーは美味しいんですよ」
「そうなのか……」
そしてチルチルはゴリーユを台所に招くと、竈の上に置かれた鍋の蓋を開ける。すると室内に、さらなるカレーの匂いが広がった。それは、誘惑の香り――極楽浄土の香りだ。
自慢気な表情で述べるチルチル。
「これが、カレーですよ」
「こ、これが……カレー……」
彫りの深い眉間に強い皺を寄せながら、鍋の中を睨みつけるゴリーユが呟いた。
「旨そうな匂いがする……。でも、これって、う◯こじゃあねえか!」
『「う◯こ、言うな!!」』
俺とチルチルが揃って突っ込んだが、ゴリラの暴言は続いた。
「だって色もう◯こそのものじゃあねえか。これって、美味しそうな匂いがするう◯こだぞ……。恐ろしいう◯こだな……。誰のう◯こだよ……」
『だから、う◯こ、う◯こ、言うな!!』
「でもよ〜……」
『そもそもう◯こじゃあねえ、食品だって言ってるだろう!!』
「ゴリーユさんも一口食べてみれば、カレーの魅力に囚われますよ!」
「ええ〜〜、本気でこれを食べるのか〜……」
少し怒った顔のチルチルが、木のスプーンでカレーを掬うとゴリーユの眼前に差し出した。ゴリーユはゴリラ鼻をひくつかせながら頭を引いて背を逸らす。
「ちょっと、食べてみてください!」
「わかったよ、お嬢ちゃん……」
ゴリラ顔を濁らせながら差し出されたカレーを少しだけ舐めるゴリーユが固まった。そして、次の瞬間には瞳を輝かせながら歓喜する。
「旨いな、これ!」
「そうでしょう、そうでしょう。カレーは旨いのです!」
チルチルがしてやったりと微笑んでいた。初めて作れるようになった現代料理が旨いと言われて、嬉しいのだろう。
俺は戸棚に置いてあったルーの余りを取り出すと、ゴリーユに見せながら解説してやる。
『まず、箱の中にこの固形ルーってやつが入ってる』
「ふむふむ」
『そして、野菜を刻んで茹でたお湯に、この固形ルーを入れるんだ』
「ふむふむ」
『この固形ルーってやつは、さまざまなスパイスを油で固めたブロックなんだ。だから温かいお湯で溶けるんだ。そして、溶かすと、こうなる』
カレーの完成である。
「なるほどね〜」
太い腕を組みながらゴリーユが頷いていると、チルチルが別の鍋からご飯をよそい、続いてその上にカレーも注ぐ。
「そして、ライスにカレーをかけると、さらに美味しいです。これを太陽の国では、カレーライスと呼んでおります!」
カレーライス、合体!
チルチルが満面の笑みで盛り付けられたカレーライスをゴリーユに差し出した。
「朝に食べた余りですが、よかったらどうぞ、ゴリーユさん」
「い、いいのか……食べても?」
「いいですよね、シロー様?」
『ああ、構わん。食うべし!』
チルチルからカレーライスの皿を受け取ったゴリーユは、震える手でスプーンを持った。そのスプーンでカレーを掬う。
「い、いただきます!」
「どうぞ、召し上がれ」
「あ〜〜〜っむ」
大きな一口でカレーライスを頬張るゴリーユが固まった。しかし、次の瞬間には瞳を輝かせながら絶叫する。
「う〜ま〜い〜ぞ〜〜〜!!!」
それは確定している事実だ。インドからイギリスへ、イギリスから日本に伝わった至高の食べ物、カレー。しかもライスとの合体で生み出された極上の完成度。それを初めて食べた異国人の反応が、瞳が飛び出るほどに感動するのは、確定事項なのだ。
チルチルもブランもそうだった。暁の五人もそうだった。それだけカレーの魅力は絶大なのだ。全世界で天下が取れる味だろう。
「なあ、シロー殿。このカレーを店で売っているのか!?」
『ああ、売ってるよ。だから陳列棚に並んでいるんじゃあねえか』
「よし、買うぞ。これを買って帰るぞ!」
『毎度あり〜』
「それで、いくらだ!」
『一箱1000ゼニルです』
「たかっ!!!」
この異世界の外食は、一食一人前で30ゼニルが相場だ。30ゼニルで黒パンと塩スープが注文できる。50ゼニルも払えば、もっと良いものが食べられるだろう。
なのに1000ゼニルは高すぎる。庶民が買える金額ではない。ボッタクリだ。1000ゼニルの食事は、金持ち貴族の食事代だろう。
そもそもシローは、庶民が買い物できるような良心的な店を開こうなどとは、これっぽっちも思っていなかった。そこそこ高級品を取り扱う店を経営していく予定なのだ。だからこそ、破格な商品を用意したつもりである。
シローの目的―――それは、庶民の文化レベルを向上させるような善意的な考えは微塵も持っていない。
シローの目的は、「30日で30グラムの金塊を献上する」という目標を達成することだ。そこに情や偽善の類は微塵もないのである。
商売は、人助けではない!!!
それが、正しい商道!!!
それこそが、純粋な商売である。




