95【混沌の現場】
ソフィアとティグレスが巨大ゴブリンの攻撃を直撃して横たわっていた。倒れている二人は意識がない。死んではいないようだったが、気絶している様子だった。
「おのれ怪物め。よくも二人を……」
レイピアを杖代わりにして立っているシアンが愚痴をこぼす。その額からは冷汗が流れていた。足は震えている。
シアンが喰らったのは不意打ちのボディーブローだったが、ここまでダメージが継続するとは思わなかった。レッサーバンパイアである自分ならば、とっくに回復していてもおかしくないはずのダメージのはずなのに、まだ回復がかなっていない。何かがおかしい。
「あの紫色のオーラがデバフをもたらしているのか……」
バンパイアアイが見透かす巨大ゴブリンを包む紫色のオーラ。それは、全身を薄い粘膜のように包み、手足の先から噴出して揺らいでいた。
おそらくあれが、毒や呪いのようにシアンにダメージを残し、ソフィアの透過スキルを無効化した正体だろう。
そして、紫色のオーラが吹き出しているのは、額の瞳からだった。三眼がオーラの正体のようだ。あの第三の瞳が、想定外のパワーを巨大ゴブリンに与えているのだと思う。
「政子〜、寝テイルノカ〜。龍之介モオキロ〜。アサダゾ!!」
「ぅう……」
巨大ゴブリンが気絶しているソフィアの体を鷲掴んだ。項垂れるソフィアが寝言のように苦しそうな声を漏らす。
「オキロ〜、オキロ〜、マ〜サ〜コ〜」
ペシペシと頬を乱暴に叩く巨大ゴブリン。このままでは、玩具の人形のようにソフィアの首が折られてしまう。そう思ったシアンは足を引きずりながら歩み寄る。
「おのれ、変態。ソフィアから離れろ……」
歯を食いしばりながらも歩んでいたが、シアンの右足が動いていなかった。麻痺して、歩くのもままならない。
「アッレレ〜、アソコニモ、政子ガイルゾ。アッチナホウガイキガヨイヤ〜。アッチニシヨウ!」
ノタノタとは言え、まだ歩いているシアンを見た巨大ゴブリンは、気絶しているソフィアの体を放り捨てて彼女に駆け寄った。ターゲットを変える。
「マ〜サ〜コ〜、ス〜キ〜ジャ〜ア〜!!」
「ええい、うっとうしい!!」
瞬時に背筋を伸ばしてレイピアを振りかぶるシアン。その眼差しは凛と輝き、正した姿勢はダメージの蓄積を感じさせない。瞬時の集中力が、刹那の戦闘態勢を築いたのだろう。
だが、それも僅かな時間しかもたないと思われる。一撃だ。一撃しか集中力がもたないのは、シアンにも悟れていた。
「これで、決められなければ……」
「愛シテル〜。寄リヲ戻ソウ〜!」
巨大ゴブリンが両腕を広げながら走ってくる。それに向かってシアンは強く一歩踏み込んだ。間合いに敵を捉えると同時に、刃を走らせる。
夜風のように冷たく舞うシアンの一刀が、巨大ゴブリンの喉仏に吸い込まれるように入っていった。刹那、巨大ゴブリンの喉仏が裂けて、鮮血がシャワーのように飛び散った。その血飛沫をシアンも浴びる。
「ガハァァアアアア!!!」
「ぐう……」
しかし、喉仏を裂かれた巨大ゴブリンは、それでも止まらなかった。片手でシアンのレイピアを掴んで放さない。
それはまるで万力に掴まれたかのように固定されていた。振っても引いても揺るぎもしないパワーだった。
しかも、もう喉の傷が回復していた。有り得ない速さのリジェネレート速度である。
「政子、暴力ハ、ヨクナイゾ!」
「ッ!!!!」
刹那、紫色のオーラを含んだショートフックか放たれる。その横振りの拳が、シアンの上半身を吹き飛ばした。殴られたシアンの体が真横に飛び、岩場の地面を滑る。
「ヤッタ、ヤッタゾ。コレデ侵入者ヲ全員倒シタワイ!!」
コア水晶の陰で、歓喜するスーツ姿のゴブリンが、巨大ゴブリンの勝利に歓喜して踊っていた。
その勝利の踊りが巨大ゴブリンの気を引いてしまう。
「龍之介〜、ソンナニハシャグナヨ〜。今遊ンデヤルゾ〜」
「ウワ〜、チョット待テ待テ!!」
スーツ姿のゴブリンに駆け寄った巨大ゴブリンは、醜い顔を目前まで近づけると、体を後方に捻って力を貯める。それはパンチを振りかぶるモーションだった。
「龍之介〜、ア〜ソ〜ボォォオオオオオオ!!」
「ヒィィイイイイイイイイ!!!!」
遊びとは思えない地面スレスレのアッパーカットが飛んできた。その一撃はスーツ姿のゴブリンの頭部だけを捉える。すると高速のアッパーは、スーツ姿のゴブリンの顎から顔面だけを削ぎ落とすように掻き毟った。
振り切られたアッパーカットが過ぎた後には、顔面だけを失ったゴブリンの体が残っていた。拳で削られた顔面の肉片は、鍾乳洞の天井にへばりついていた。
「アハッハッハァ〜〜。マタ殺シチャッタ〜。龍之介ガ遊ビタイッテイウカラ、マタ殺シチャッタ〜」
巨大ゴブリンが高笑いを上げる中で、顔面を失ったスーツ姿のゴブリンの遺体が倒れ込む。どうやらゴブリンロードは、リジェネレートを持っていないようだ。絶命する。
「ヒィ〜〜〜!!」
洞窟内に残っていた数匹の雑魚ゴブリンたちも逃げ出した。大将を失い、残ったのは頭の中が爆発している巨大ゴブリンだけなのだ。このままでは、自分たちも殺されると悟ったのだろう。逃げ出して正解である。
だが、雑魚ゴブリンたちが向かった出入り口前に、二人の人間が立っていた。長身で道を塞いでいる。
この洞窟は一本道の単純だ構造。そこだけが洞窟の出入り口である。その道を遮られたのだ。雑魚ゴブリンたちも困惑してみせた。
「ソコヲドケ〜〜。道ヲ開ケロ〜!!」
「キィェエエエエ!!」
二人の人間に飛び掛かる雑魚ゴブリンたち。しかし、そのうちの一匹の姿が瞬間的に消えた。一人の人間が蹴り殴り、キックで横に弾き飛ばしたのだ。
残り数匹は、空中で停止している。見えない手で首を押さえられているのか喉を押さえながら苦しんでいた。足をバタつかせている。
そして、次の瞬間に、首の骨が折られた。空中に浮いたまま頸髄を粉砕されて地に落ちる。
仮面を被った方の人間が言う。
『なに、今の。すげ〜便利な術だな』
するとシルクハットを被ったマントの人間が返す。
「キミは、魔術とかは使わないのか?」
『ああ、魔術は素人だ』
唐突に登場した二人の人間。否。二人とも人間ではない。武術に秀でたアンデッドと、魔術に秀でたアンデッドである。




