田中達也と鈴木きらら⑥
好き。
その言葉の響きに達也はたじろいだ。
主語がなく、何のことを指して言っているのかわからないが、目の前で前を見ながら歩くきららはとても可愛くてそんな女の子の口から飛び出た「好き」という言葉の響きにドキドキしてしまう。周囲の静けさも相まって、カップルで歩くのに、とてもいい雰囲気になっていることもそれを助長させた。
(え、どういうこと? 僕が鈴木さんを好きかってこと? いや、確かに可愛いとは思うけど、それは好
きという恋愛感情から起因するものではないと思う。彼女の容姿の可憐さからくるものだ。そもそも基本的に女性は苦手だし……あ、でも鈴木さんは今まで話した人たちとはなんか違うような気もする……え、今、何の話してるんだっけ?)
達也の頭がどんどんパニックに陥っていく。
「……田中くんも好き?」
「あ、いや確かに可愛いとは思うけど、まだお互いのことなんにも知らないし……って、え? 田中くん……も?」
「ラップ好きなのかなって」
「え? あぁラップ!」
自分の頭の中で行われていた妄想を達也は猛スピードで反省する。彼女はラップが好きかと尋ねていただけなのに、変な勘違いをした脳内お花畑野郎を心の中で即座に消し去った。
「てか、好きじゃないとあんな場所いないよね! えへへ。いやめっちゃ嬉しいなー。ラップ好きな人ってあんまり周りにいないんだよね。それがまさかクラスメイトにいたなんて! これは運命ですな。えへへー。って大げさか!」
両手を前で組み、彼女はわざとらしくうんうんと唸ってみせる。その嬉しそうな表情をみると、とても否定をする気にはなれなかった。
(まぁいいか。こんなに嬉しそうなのに水を差すのも悪いし)
正直、あまり触れたことはないし、ましてや生で聞いたのは初めてだったが、今日のパフォーマンスを見て、心を動かされたのは事実だ。好きか嫌いかで答えろと言われたら迷いなく好きの部類に入る。元々、達也は音楽が好きなため、受け入れることもすんなりできたし、もっと聞いてみたいとも思った。
「まぁ、好きかな」
「やっぱそうなんだ! 嬉しいなぁ。田中くんは普段何を聞くの?」
満面の笑みできららが達也に尋ねてくる。予想できた質問だろうと達也は心の中で自分に突っ込みを入れた。
「あの……クリームピーナッツとか……」
達也は勉強の息抜きにラジオをよく聞いている。そのため流行の音楽は一応耳に入れていた。そしてきららの質問に対し脳内データベース内で検索をかけた結果、その名前がでてきた。クリームピーナッツとは二人組のユニットでMCとDJの二人組体制のヒップホップユニットだ。アニメや映画とタイアップをしたり、旬の俳優とコラボしたりなど、最近人気が急上昇している。先月は達也がよく聞くラジオ局のFM802で猛烈にプッシュされており、あまりそういうジャンルに馴染みがない達也でも知っているぐらいの知名度があるユニットだった。達也は正直、詳しくはなかったが、無難な答えとしてその名前をあげた。
「え、クリームピーナッツ好きなの⁉」
すると予想外にその名前に対し、きららが飛びついてきた。
「うわー、田中くん、趣味めちゃくちゃ合うじゃん! え、もっと早く話しかけておけばよかった! もう、もっとアピールしてよ!」
「え、あ、ごめん」
一層エンジンのかかったきららの勢いに気圧される。
「もう、別に怒ってないよ! 謝るの禁止。嬉しいんだから。あ、よかったら一緒にライブ行こうよ。日程とかまた調べとく!」
「あ、うん。わかった」
自分の発言には責任を持たないといけない。達也は家に帰ったらサブスクの音楽配信サービスでクリームピーナッツを検索しようと心に誓った。
線路沿いを歩きながら、自分の好きなラッパーについてきららは語った。
正直、話をきいただけではどんなに凄いアーティストなのかはわからなかったが、きららがラップにかける情熱は伝わってきた。
(本当に好きなんだな)
なんだかその姿を羨ましく思った。
達也にはそれほど熱中できるものがない。
いや、かつてはあった。しかし今はもうない。既に失ってしまった。
だからこうして夢中になって好きなものを語るきららの姿は達也にとって本当に眩しく感じられた。