バンドと友達①
午前六時。
アブラゼミのけたたましい鳴き声で達也は目を覚ました。
カーテンを揺らしながら、窓からこの季節にしては涼しい風が入ってくる。外は既に明るく、窓を開けると、昨日の雨が嘘のように、快晴と呼ぶにふさわしい青空が広がっていた。また、その空と同様、達也の心も晴れやかだった。これほどまでに清々しい朝を迎えたのは一体いつぶりだろうか。昨日、何年かぶりに思い切り泣いたことが、この清々しさの理由なのだろう。「憑き物が落ちる」という表現を本で読んだことがあったが、まさに今の自分にぴったりだと感じた。
達也が伸びをしているとスマホから通知音が鳴った。画面には「鈴木きらら」の名前が表示されている。
昨日、達也の体調を心配してくれたメッセージは結局、既読をつけたまま返信をしていない。その下に「おはよう」と、たった今受信したメッセージが表示された。集合時間は別に早いわけでもなく、普通の登校時間でも十分に間に合う。よってこれだけ早く起きる必要もないはずなのに、まるで見ていたかのようなタイミングで送られてきたメッセージにふと笑みがこぼれた。
『おはよう。昨日はありがとうね』
そう達也が送信すると、間髪入れずに謎のキャラクターのスタンプが送られてきた。白い熊のようなキャラクターが満面の笑顔で「ヤー」と謎の掛け声を言っているスタンプだ。女子高生の間で流行っているキャラクターではあるが、達也はそういう流行には疎かった。
達也もメッセージアプリに最初から搭載されている無難なスタンプを送り返す。するときららがまた同じスタンプを送ってきた。際限のないスタンプ合戦になりそうな気配を感じた達也は、そっとスマホを置き、リビングへ降りていった。
「あれ、お兄ちゃん今日早いんだね」
既に食卓について朝ごはんを食べていた妹の翔子が声をかけてきた。吹奏楽部の朝練があるため、いつもこの時間には食事を終えている。
「うん、なんか起きちゃった」
「ふーん」
「おはよう。達也ももう食べる?」
カウンター式のキッチンから母の優子が顔を出した。
「そうさせてもらおうかな。ありがとう」
そういって達也はテーブルに座る。
「今日が本番なんだっけ? あー、見たかったなぁ」
言いながら翔子は目玉焼きをほおばった。一瞬、残念そうな顔を見せたが、口の中に広がる美味しさにすぐ笑顔を取り戻す。
「ほんとよね。私も見たかったわ。今からでも変わってもらえないかしら……」
優子も同調してそう言う。どうやら日付を勘違いしてシフトを入れてしまったらしい。
「まぁまた機会はあると思うよ」
そんな二人に達也は何の気なしに言う。
達也はそんな二人に軽く答えた。最初は文化祭までのつもりだったが、今では今日が終わってもラップとは何かしら関わり続けるだろう、と感じている。どういう形になるかはまだわからないが、ここまで夢中になったものを今日限りでやめるなんて、今の達也には考えられなかった。
「……」
翔子が目をぱちくりさせた。達也の発言に驚いたようで、手に持った箸の動きが止まる。
「お兄ちゃん、なんか楽しそう」
「え? そうかな」
自分では特に意識していなかったが、翔子にそう言われてみると、自然に気持ちが表に出ているのかもしれない。
今日、久しぶりに人前に立つ。そのことを想像しても、今の達也に恐怖はなかった。あるのは高揚感と、折角やるのであればきららに勝ちたいという前向きな闘争心だった。自分でもこれだけ考え方が変わるものなのだと驚いている。「楽しそう」という言葉は今の達也を端的に表現するにはぴったりの言葉かもしれない。
「彼女が出来たらこんなに変わるんだ……私も彼氏欲しい……」
「そんなのじゃないよ」
「え、そうなの⁉ じゃぁ、なんなの?」
そう聞かれて、達也は少し考えた。自分にとって、きららという存在はなんなのか。
初めてあったときは「ただのクラスメイト」だった。世間一般でいうと今は「友達」になるのだろうか。だが、きららと自分との関係をそれに当てはめるのは何か違うような気もする。
きららは自分のことを「パートナー」と呼んだ。それは部活の仲間を集めるための「協力者」であり、現時点で学校に一人しかいない「仲間」ということなのだろう。
達也にとっても、きららは勿論「パートナー」であり、「仲間」だ。今日のステージは部活の仲間を募るためであり。決して優劣を決めるものではない。
だけど今日だけはきららのことをこう思いたかった。彼女に引け目を感じることなく、対等な存在として横に並び立ちたいと強く思う。
「鈴木さんは僕のライバルだよ」
達也はそう、翔子に言い放った。紛れもない本心だったが、恋愛に興味津々な中学生の妹には、どうやら響かなかったようだ。翔子は冷めた顔で達也を見つめてくる。
「なにそれ? 意味わかんない」
妹のリアクションを見て、達也は自分の発言が急に恥ずかしくなってきた。




