雨と河川敷④
「なるほどね……」
花梨は達也の話を聞き終えると、そう呟いた。
達也は目の前に流れる鴨川を見つめた。どんよりとした空が反射した鴨川は茶色く濁り、いつものような清涼感は感じられない。まるで今の自分の気持ちを映しているようだった。
花梨に遭遇したとき、達也はすぐにその場を立ち去ろうとしたが、首根っこを掴まれ、強制的に連行される形で、あっという間に橋の下の岩に座らされた。達也の気分がどん底であることを花梨が見透かしたのか、花梨は何も言わずにただ「話しな」と一言発した。
その有無を言わせぬ強い意志に、達也はしどろもどろになりながらも、自分の中学時代のことや昨日のひとみとの出来事、そしてきららやラップ、その他の人間関係から逃げだしてしまったことをすべて吐露した。
「……準備しな」
「え?」
花梨は手に持っていたスピーカーを地面に置き、スイッチを押した。聞き覚えのあるビートが流れ出した。
「次の小節からいくよ。先攻は私。あんたは後攻ね」
雨が降り出してきた。勢いはさほど強くないが、川に落ちる雨粒が「ぴちゃぴちゃ」と音を立て、周囲の雑音をかき消していく。その結果、橋の下におけるスピーカーの音が相対的に強調され、嫌でも音に引き込まれてしまう。
「自分のことを大事にしてくれる人を、大事にしなよ」
「え?」
花梨のフリースタイルが始まった。その内容は達也への痛烈な罵倒だ。今聞いた内容を盛り込み、的確に達也のウィークポイントを責め立てる。過去のトラウマを克服できず、未来をも諦めようとしている愚かな人間だと、痛烈に批判する内容だった。
達也の番が回ってきたが、言葉を発することはできなかった。花梨の言っていることが全て正論だと、自分でもわかっているからだ。反論しようにも、材料が一切ない。達也の番の八小節は、ただ棒立ちで終わってしまった。
(わかってる……わかってるんだ……)
再び花梨のターンが始まった。花梨は先ほどの罵倒を引き継ぎ、達也の取捨選択の甘さについて厳しく指摘してくる。
達也にとって何が本当に大事なのか? 自分を陥れた中学の同級生の言葉と、今自分を信じてくれている人間の言葉、どちらが重いのか? 何を一体大事にしているのかを問われた。
そんな奴を信じた人間も、人を見る目がない愚か者だと、花梨はきららのことまでディスってきた。
花梨のターンが続く中、達也の頭の中では取り留めのない思考が延々と渦巻いていた。しかし、その思考を突き破るように飛び込んできたのが、花梨の明確なきららへの侮辱だった。
三週間という短い時間だったが、その間、きららは常に達也のことを考え、支えてくれていた。
「彼女は……」
だから、どんなに自分が弱くて情けないやつでも、何を言われようと、自分自信がきららから逃げていたとしても――
「彼女のことを悪く言うのは……」
他人がきららを侮辱することだけは、どうしても許せなかった。
怒りが爆発し、堰を切ったように言葉が口からあふれ出した。
ふいに先々週の出来事が脳裏に浮かんだ。花梨との初対面。きららに強引に連れてこられ、サイファーに参加させられたときのことだ。
あのときも、きららを馬鹿にされたことがきっかけで言い返した。
しかし、あのときとは決定的に違うことがあった。
(冷静ではないはずなのに……)
反論の言葉がビートに乗り、自然と口をついて出てきた。以前は頭に血が上り、自分でも何を言っているのかわからなかったが、今は自分の中にあるすべての感情をリズムに乗せ、相手にぶつけることができる。
それは、あれからきららとの関係が深まったということもあるが、何よりも、この三週間の練習が、達也を成長させていた証だった。
ラップを好きになり、音楽に真摯に向き合ったその時間が、確実に達也の糧となっている。
(僕は……こんなに……こんなにもラップにはまってたんだ……)
自分がどれだけラップに向き合ってきたかを、達也は改めて実感した。そして同時に、かつて歌を捨てたように、また大事なものを手放そうとしている自分がいることに気付いた。
再び、花梨の番になった。達也の反論を聞いた彼女の顔には、微かに笑みが浮かんでいた。しかし、勝負は勝負といった様子で、たたみかけようとしていたその言葉が、急に止まった。スピーカーから流れるビートと雨音だけが辺りに響き渡る。
突然バトルを中断した花梨を、達也は不思議そうに見つめた。ふいに花梨がにやりと笑う。その視線は、達也の後ろを向いていた。気になって、達也もそちらへ視線を向ける。
「なんで……」
そこには、全身ずぶ濡れのきららが立っていた。




