雨と河川敷②
達也の家の前まで来たものの、きららはなかなかチャイムを押せずに立ちすくんでいた。スマホの画面には、未読のままの達也とのメッセージが表示されている。
(やっぱり迷惑かな……)
自分はこんなに気を使う性格だっただろうか――いや、そんなことはなかったはずだ。やりたいことがあれば周囲を気にせず、気が済むまで突き進む。そんな強引さがきっかけで達也も仲間になってくれたはずだった。それに迷惑を気にするのであれば最初から声をかけなければよかった。達也の優しさに甘え、仲間が欲しいという自分の欲望に忠実になった結果が今だ。今さら悩むのはお門違いだということも自覚している。
でも、いざ目の前に立つと、あと一歩が踏み出せなくなる。
それは、達也が抱えている問題の大きさを、ここにきてようやく実感してしまったからだ。知らないときは何も気にせず、ただ強気に押し進められた。けれど距離が縮まって、達也の心の奥に触れたとき、彼が抱えている闇が足元に絡みついてきて動けなくなってしまった。
達也をこれ以上傷つけたくない――その思いが強くなればなるほど、足がすくんでしまう。どんどん臆病になっていく自分がいるのがわかった。
「お見舞いなら誘ってくれたらいいのに」
突然後ろから声をかけられた。驚いて振り返ると、そこには光一と真由がいた。
「いや、きらら、なんかすごい思い詰めた顔で教室出てくから気になってさ……ごめん、こんなストーカーみたいなことするつもりなかったんだけど……」
真由が両手を合わせ、謝罪のポーズを取った。
「達也のお見舞いなら誘ってくれたらよかったのによ! 俺たちも本番だけど、やっぱ心配だからさ! あ、鈴木が一人がいいってんなら話は別だけど……がはは!」
茶化すように笑いながら、光一が軽口を叩いた瞬間、真由が彼の尻を軽く蹴った。
「いて! なにすんだよ真由!」
「そういうのいわないの! きらら、光一の言うことは気にしないでいいからね」
真由は光一をたしなめながら、きららに微笑みかけた。
「あはは、いや別に! 大勢で押しかけるのもあれかなーって思っただけだよ」
きららは、先ほどまでの悩みを振り払おうと、無理やり笑顔を作った。自分でもわかるほど、不自然でぎこちない笑い方だった。
「それにしても、いい家だなぁ!」
光一が達也の家を見て、感嘆の声を上げる。
「あんまじろじろ見ないの! ……きらら、大丈夫?」
真由がたしなめながらも、気づかれないようにそっときららに耳打ちをした。
「……何かあったら言ってね」
「……ありがと」
きららは小さく微笑んで応えた。真由の優しい言葉が胸に染み渡る。彼女には隠し事はできないな、と感じた。
その時、玄関の扉が静かに開き、中から達也の母、優子が顔を覗かせた。
「あれ? 鈴木さん? どうしたの?」
「ほら、光一がうるさいから!」
真由が軽く光一を睨んだ。
「え、俺のせい?」
「光一しかいないじゃん!」
「ごめんなさい」
真由に小突かれて、光一はしゅんとしながら謝った。
「あ、こんにちは。先日はお邪魔しました」
きららは優子に丁寧に挨拶をし、深々と頭を下げた。
「え! 鈴木と達也って既にそういう仲? え、マジ⁉ なんで教えてくれないんだよ! くそ、達也のやつ!」
光一が驚いた顔をしながら興奮気味に声を上げた。
「光一は黙ってて……」
真由が冷静に光一を制した。
「あらあら、いつでも大歓迎よ」
「ありがとうございます。あの、達也くんは……?」
きららが恐る恐る尋ねた。様々な不安が頭をよぎる。今はただ、達也の力になりたい。それだけがきららの行動原理だった。しかし、返ってきた優子の答えは、きららの予想を裏切るものだった。
「ごめんなさいね。達也、まだ帰ってきてないの」
「……え?」
きららは驚きに固まり、優子の顔を見つめたまま、言葉が出なかった。頭の中で一瞬、状況を整理しようとするが、混乱だけが募る。そんなきららを横目で見ていた光一が口を開いた。
「あ、そうなんすか! じゃぁきっとどっかで寄り道でもしてんすね! ちょっとまた電話してみますわ! ありがとうございます! ほら、行こうぜ!」
「え、あ、すみません。失礼します……!」
光一に促され、きららと真由はその場を後にした。
三人は無言のまま駅に向かう道を歩く。静かな空気の中で、光一がふと口を開いた。
「で、どういうこと?」
「……わたしにもわかんない……」
きららはスマホを手にしながら、達也の未読のメッセージ画面をじっと見つめる。不安が募り、再びメッセージを送る。
『どこにいるの?』
それでも、返事がくる気配はない。
一体達也はどこにいるのだろう――。そう考えながら途方に暮れていた時、スマホが震えた。
「!」
期待して画面を見ると、それは達也からではなく、花梨からのメッセージだった。
『四条大橋の下に田中くんといるけど、喧嘩でもした?』
それは達也の居場所を知らせるものだった。
次の瞬間、きららは走り出していた。何も考えず、ただ足を前に出す。心臓が激しく鼓動する中、一刻も早く達也に会いたいという思いだけが彼女を突き動かしていた。今の自分に何ができるのか、正直わからない。でもそばにいたい。これは傲慢かもしれない。でも、それぐらいを望むことは許してほしい。
(わたしたちは……パートナーなんだから……)
そんな思いが胸に渦巻く中、後ろから声がかかった。
「え、きらら? どうしたの?」
真由が驚いた表情で尋ねてくる。
「ごめん! また説明する!」
「いや、俺らも行くから! 達也の場所、わかったんだろ?」
光一の言葉に、きららは一瞬足を止め、振り返る。彼の真剣な表情に、きららは一人で突っ走ろうとし
た自分に気づかされる。
「……わかった! ありがと!」
三人は息を合わせて走り出し、地下鉄の改札を通った。




