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過去とカラオケ③


「……そんな感じ。ごめんね。あんまりおもしろくない話だとは思うんだけど……」


「……」


 達也が話し終わってから、きららはずっと俯いたままだ。心配になって声をかけると、彼女の肩が微かに震えているのがわかった。


「鈴木さん?」


 達也がもう一度声をかけると、きららはすごい勢いで顔を上げた。


「うわ!」


 その目には大粒の涙があふれ、カラオケの照明に反射してキラキラと輝いていた。きららが絞り出すような声を出した。


「……ごべんね……」


「え?」


「むりにばなざぜで、ごべんねぇぇ……」


「いや、全然そんなことないよ! 気にしないで!」


 きららの謝罪は、達也にとって少し的外れに感じた。無理やり話しをさせられたわけじゃないし、達也はきららに聞いてほしいと思って話をした。だから、謝るべきはむしろ気を使わせた自分の方だと思った。


「きっといつか、また歌えるようになると思うからさ」


 これは達也の願望も入っている。すべては心の問題であり、きっかけは些細なことなのだ。だからもしかしたら些細なきっかけで克服できるかもしれない。そう自分に言い聞かせるように達也は言った。


 そんな達也の言葉を聞いているのかわからない様子で、きららは流れ出す鼻水をティッシュでかみながら、涙を手で拭った。ようやく落ち着いたのか、きららは真っ赤になった目をパチパチさせながら立ち上がると、勢いよくマイクを手に取った。


「田中くん! わたしの歌、聞いてね!」


 泣いたせいか、まだ少し掠れている声がスピーカーから響き渡った。


 きららの選んだ曲がモニターに映し出される。その曲名を見てもピンとこなかったが、イントロが流れ出すと、なんとなく聞いたことがあった。中学生のころに流行ったアイドルグループの曲だ。動画配信サイトの再生数がその年の一位だったらしく、いまだに音楽番組で取り上げられることも多い。


 きららが深呼吸をした。そして少し緊張した様子で歌い始めた。


「……」


 達也は困惑した。確かにこれは知っている曲だ。間違いない。しかし、スピーカーから流れてくるきららの歌声は、達也の知っている曲とまるで別物に聞こえた。


 ――これ……あの歌……だよね?


 そんな疑問さえ浮かんだ。


 きららはわざとやっているのかというぐらいに音を外していた。歌が苦手ではない達也にとって、例えわざとだとしても、ここまで外すのは至難の業だった。もしこれをわざとやっているのだとしたら、それはそれで一種の才能だろう。可憐な見た目からは到底想像できない不協和音がスピーカーを通じてカラオケルームに響き渡る。正直、聞くに堪えなかった。


「……ありがとうございました!」


 そうこうしているうちにきららは歌い終わり、深々とお礼をした。達也は反射的に彼女に拍手を送った。しかし、戸惑いは一切隠せておらず、それはとてもぎこちないものになってしまった。


「どうだった?」


 やり切ったという表情できららは達也に質問えおしてきた。


 ――どうだった? ……これはどう言えばいいんだろうか……。


 達也はこれほどまでに歌が下手な人間に出会ったことがなかった。


 家族も歌は上手だったし、合唱部にはある程度の実力を持つ人間ばかりが集まっていた。だから、こんな状況は初めてで、どう返事をするべきか戸惑ってしまう。

 

 正直に言うべきなのだろうか。しかしそれで傷つけてしまうのは絶対に避けたい。

 かといって、上手かったというのも無理があるだろう。間違いなく嘘だとばれる自信がある。

 

 結局、どう返事をすればよいかわからず、言葉に詰まってしまった。そんな達也を見て、きららは笑いながら口を開いた。


「ごめん、ごめん! 困らせるつもりはないの。たださ……」


 ゆっくりと息を吸い、きららは大きな声で言い放った。


「ド下手でしょ??」


「……」


 正直、下手という言葉で表してよいかもわからない。達也は苦笑いを浮かべるしかなかった。


「いいのいいの、本当に気を使わなくていいから! わかってるんだ!」


 きららの明るい言葉に、達也はますます何と答えればいいのかわからなくなる。

 カラオケボックス内に沈黙が流れ、まるでそれが答えだと言わんばかりの空気が流れる。コミュニケーション能力が高くない達也にとって、この状況はもはや試練だ。一刻も早

 くこの時間が過ぎ去ってくれることを祈るばかりであった。


(……ただ、なんで鈴木さんは今そんなことを言ってきたんだ……?)


「田中くんだけに話をさせるのはフェアじゃないからね!」


 そんな疑問が頭をよぎったとき、きららがその答えを口にした。


 達也は驚き、思わず口元に手を当てる。しかし、きららはその様子を気にせず、言葉を続けた。


「わたしね、小さい頃は歌手になりたかったの」


「……そうなんだ」


「うん。人前で自分の言葉を音楽に乗せて、大勢の人に堂々と届ける姿に憧れてたんだ。だから、わたしもよくアニソンとか口ずさんでた。田中くんと一緒だよ」


「……」


「ただね、わたしはとんでもなく音痴だったの」


 そう話すきららの横顔はとても清々しかった。彼女はあっけらかんとした様子で話を続けた。


「これでも頑張ったんだよ。音楽教室とかボイトレとかに通わせてもらってさ。音程矯正もしたんだけど、結局、人並みにもならなかった。努力不足って言われたらそれまでなんだけど、毎日毎日やっても全然上手く歌えるようにならないの。結構辛かった。中学生の頃とか、それで自分の殻に閉じこもっちゃったりして。友達とも上手く話せなくなって、自分の思っていることも全然上手く話せなくて、何もかもがダメに思えてさ」


 そんな過去を抱えているとは、今のきららからは全く想像ができない。達也の知っている彼女は、いつも明るくて、人気があって、自分の意見をはっきりと言えて、やりたいことにはどんどんチャレンジして、裏表がない。そんなとても強い人間に見えている。


「そんなときにラップに出会ったの。今まで音程に乗せようとしてたもダメだった言葉が、ラップだと、自然に音楽に乗って、走りだしていったんだ。それが本当に気持ちよかったんだ。それからはもう知っての通りだよ」


 その気持ちは達也にも少しわかる気がした。自分の考えている言葉がすっと音楽に乗って出てくる。あの瞬間は何物にも代えがたい気持よさがある。

 ひとしきり話を終えたあと、きららは達也に向き直り、静かに頭を下げた。


「ごめんね」


「え?」


「ごめんなさい。無理させちゃって」


 達也の中にきららに謝られる理由はない。今こうしてここにいるのは、勿論きららの存在が大きいが、最終的に決めているのは達也だ。


「パンツ見ただけなのに、ここまで連れまわしてごめん」


「いやパンツはもう関係ないよ」


 真剣な空気に突如飛び込んできた「パンツ」という単語に咄嗟に口を挟んでしまう。本当は網膜に焼き付いているが、それを今言う必要はない。


 重くなりかけていた空気が少し和んだ。きっと、きららなりに気を回してくれたのだ。


「無理なんてしてないよ。歌うのは難しいけど、ラップなら大丈夫。実力不足は別としてね」


 達也は、きららの真剣な眼差しに応えるように冷静に話す。それはすべて本心だ。


 最初は本当に抵抗があった。自分が再び人前に立つなんて一切想像できなかったし、ましてやラップを披露することになるなんて思いもよらなかった。だけど今では、自らの意思で練習を重ね、もっと上手くなりたいと思うようになっている。


 それはきっときららのおかげだ。ひたむきに前を向いて取り組む彼女の姿に影響されて、過去にあった嫌なことを、少しずつ忘れることができているような気がした。思えば、逃げてばかりだった歌と強制的に向き合わされていることが、功を奏しているのかもしれない。


 結局、それからは二人とも一曲も歌わなかった。カラオケをビート代わりに使い、適当な曲を流しながら、お互いにフリースタイルを繰り返した。とりとめのない会話を挟みつつ、ドリンクバーの飲み物を楽しむうちに、時間は一瞬で過ぎていった。そして、解散の時間が来た。


「また明日ね!」


「うん、また明日」


 達也の家はここから歩いて帰れる距離にあるため、駅まできららを送っていった。


 GMBできららのフリースタイルを見たのが、遠い昔に感じられた。本番まであと二週間。この時間も、きっとあっという間に過ぎ去っていくのだろう。季節は夏。蝉の声が騒がしいはずなのに、きららを見送った後の世界はひどく静かに感じられた。


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