過去とカラオケ②
それは本当にちょっとしたことだ。
人によっては「そんなことで?」と思うかもしれない。ただ当時の僕は、それによって自分の全てを否定されたような気持ちになってしまった。
僕は小学生の頃、歌うことが大好きだった。
最初はアニメの歌とかを口ずさむことから初めて、父や母が聞いていたJPOPもよく歌うようになった。家族でカラオケに行くとよく両親や妹が褒めてくれた。すっかり調子に乗った僕は、「歌えば褒めてもらえるんだ」と思って、色んな曲を覚えて披露するのが楽しくて仕方なかった。
中学生になって、合唱部に入部した。最初は声変わり前だったからソプラノを担当していて、声変わり後は男声を担当した。地声は低くなったんだけど、ありがたいことに歌える音域はあまり変わらなかった。合唱は、一人で歌うことやカラオケとは全然勝手が違ったけど、それでも歌うことがとても楽しくて、一生懸命練習に取り組んだ。中学一年生のころ、男子が少なかったこともあって、学校代表としてNコンのステージにも立った。全国大会出場は逃しちゃったんだけど、その悔しさをバネに、僕はますます歌うことにのめり込んでいった。僕の通っていた中学は合唱に力を入れていて、自分で言うのもなんだけど、結構な強豪校だった。
僕は他の人よりもっと上手くなりたい、来年は全国に行きたいっていう一心で、放課後も残ってたくさん練習したし、朝練にも積極的に参加した。
その甲斐があったのか、中学二年のコンクールのとき、ソロパートに選ばれた。ソロパートは本来女性が担当するはずだったんだけど、僕の音域でも歌えることがわかり、一生懸命練習している姿を先生が見てくれて、選んでもらえた。
僕は本当に嬉しかった。自分の頑張りが認められたこともそうだし、それが直接、みんなの役に立つと感じられたことが嬉しくて、更に練習量を増やした。家でも学校でも早朝も放課後もいつも歌のことを考えていた。
でも、それは僕の独りよがりだった。
ある日のことだった。
僕は練習に出ようと思って音楽室に向かっている途中、忘れ物に気づいて教室に取りに戻った。教室の前に近づくと、同じ合唱部の女の子たちが何人か話している声が聞こえてきた。決して盗み聞きするつもりはなかった。でも、どうしても耳に入ってしまったんだ。彼女たちも、僕が戻ってくるなんて思っていなかったんだろう。
「田中くん、最近調子乗ってるよね」
「そうだよね、頑張ってますアピールしてさ」
「なんか声も少し変わっているよね。確かに音域は広いけど」
「なんかさ、あのアニメキャラみたい。あの……なんだっけ。アニメ映画の……」
「カエルじゃない?」
「あ、それそれ! よくわかったね!」
「だってそっくりだもん。前はもっときれいな声してたけど、今は微妙だよね」
「なんかガラついてるよね。顔が可愛い系だからなんか面白くて」
「そうそう。練習中、結構吹き出しそうになっちゃう。絶対にひとみがソロ歌った方がいいよ」
「えー、そうかな」
「そうだよ。先生、可愛い男の子だから選んだんじゃない?」
「あはは! かもねー!」
笑い声とともに聞こえてくる内容に僕は崖から突き落とされたような感覚に陥った。
人は嘘をつくし、悪口を言う。
そうした生きていれば当たり前のことが、幸運なことに、十三年間の僕の人生にはなかったんだ。だからそれだけ衝撃を受けた。
彼女たちは、僕がソロに選ばれたとき、笑顔で「おめでとう」と言ってくれていた。あの笑顔が嘘だったって考えると、僕は何を信じればいいのかわからなくなった。それに、歌や声は、他にこれといった取り柄のない僕が唯一誇れるものだった。それを否定された途端、僕は自分が空っぽな人間に思えて仕方がなかった。
僕はその日、合唱部に入ってから初めて練習をさぼった。先生には体調不良と連絡を入れ、自転車にまたがり、誰もいない場所に逃げ出したくて、ひたすらあぜ道を走った。でも、どこに行ってもさっき教室で聞いた女の子たちの会話が頭の中で反芻されてしまった。
翌日、練習に顔を出すと、彼女たちが心配そうに声をかけてきた。勿論、素直には喜べない。僕は「大丈夫だよ」と苦笑いを浮かべるしかなかった。
練習が始まるってからも、ずっと周囲の視線を気にしてしまった。まるで世界中の人が僕のことを笑っ
ているように感じてしまい、あれほど楽しかった部活が地獄のように思えた。
そして、全体練習に入り、ソロパートを歌い出したとき、僕は吐いた。
その後のことはよく覚えていない。僕の吐瀉物は誰かが処理してくれたんだろうけど、誰がやってくれたのかもわからない。それ以来、僕は練習に行けなくなった。いや、行かなかった。
僕は部活を辞めた。僕の後のソロパートは、あのとき教室にいた女の子が担当したって、噂で聞いた。
そうして僕は人前で歌えなくなった。歌おうとすると吐きそうになるんだ。当時のことを思い出してしまって、条件反射のように、記憶が僕の邪魔をしてくる。
家族の前でも試してみたんだけど、結果は一緒だった。あれほど好きだった歌を歌わなくなって、母さんや妹は心配してたみたいだけど、深くは聞いてこなかった。それが逆にありがたかった。
それ以来、僕は人前で歌うことを極力避けた。クラスの行事や音楽の授業などは最低限の声でこなして、他の人のサポートに回った。自分に注目が集まらなければ大丈夫なようで、どうにかやり過ごせた。そうやって自分の身体を守りながら過ごしてきた。
僕は自分の弱さを呪った。他の人ならきっとなんてことないことなんだろう。なのに、たった一度陰口を聞いただけで、歌うことをやめてしまった自分が、どうしようもなく嫌いになった。




