過去とカラオケ①
「田中くん、何飲む?」
「ありがと。アイスコーヒーをお願いします」
「ほーい!」
扉が開くと隣の部屋から大熱唱が聞こえてきた。渡されたグラスを手に、きららはドリンクバーに向かう。
(カラオケなんていつぶりだろ……)
小学生のころはよく家族で来たが、中学生になり部活を始めると、その回数もめっきり減った。高校に入ってからは、放課後の寄り道なんてしない達也にとって、カラオケの記憶はもはや遠い過去のものだ。
ましてやクラスの人気な女の子とこんな場所に来るなんて経験は勿論これまでにはない。
今日の放課後、ホームルームが終わると、教室には多くの生徒が居残っていたどうやら文化祭の出店のシフトや準備物を決めているらしい。学級委員であるにもかかわらず、そうした準備を他の生徒に任せきりにしていることに達也は罪悪感を覚え、仕切っている女子生徒に「ごめんね」と謝った。すると彼女は快く笑顔で、
「いいっていいって! こういうの好きなやつって絶対いるから! 私みたいにね!」と言ってくれた。
「それに、きららと何か有志でやるんでしょ? シフトは無理ない範囲にしとくよ。部活も何もやってないやつもいるからさ」
彼女は、強制的に残されている男子生徒たちの方に目を向けた。彼らは蛇に睨まれた蛙のようにびくっとし、あははと苦笑いを浮かべた。こうした自由が利くことも、きららの人徳によるものだと心の中で感謝する。
「ありがとね。そういや鈴木さんはどこ行ったか知ってる?」
「いや、聞いてないなぁ」
教室内には姿がない。何か連絡がきているかと思いスマホを開くが、特に通知はきていなかった。
(どこ行ったんだろ……とりあえず待つか)
そう思い、達也が自分の席に腰をかけようとしたときだった。
「田中くーん! 行くよー!!!」
窓の外から元気な声が聞こえた。見てみると、手に大きな袋を掲げたきららがこっちを見て達也の名前を呼んでいる。
周囲の生徒たちが興味津々の目でこちらを見てくる。
「田中くんも大変だねぇ。よ、色男」
「あはは……」
女生徒がおじさんのように茶化してくる。達也は苦笑いを浮かべるしかなかった。きららの強引さや、周りの注目の目線には、まだ慣れそうにないなと思いながら、急いで鞄を取り、逃げるように教室を後にした。
その後、きららに半ば強引にカラオケボックスに連れ込まれた。目的地を聞いたのは既に着いた後であり、嫌そうな顔をしても勿論きららには通用しない。教室が使えない以上、どこで練習するかという問題もあった。サイファーのように路上でもいいのではとも思ったが、そんなことを言う間もなく、きららは嬉々として受付を済ませていた。
(まぁ歌うわけじゃないからいいか)
部屋に設置された大きなモニターからは、最近の流行曲や注目のアーティストのインタビューが延々と流れている。映し出される人たちは皆、自信に満ち溢れていて、自分とは別世界の人間だなとぼんやり考えていると、きららがドリンクを持って戻ってきた。両手に飲み物の入ったグラスを抱えていたため、達也が代わりにドアを開けた。
「ありがと! はい、アイスコーヒー! あ、シロップとか忘れたからとってくるね」
「ブラックで大丈夫だよ」
最近少しずつコーヒーの美味しさがわかってきた。ただ、着実におじさんになっていっているというような気もして、少し複雑な気持ちだ。
「え、ブラック? おとなだねぇ……」
きららが尊敬の眼差しを達也に向ける。
「いや、飲むようになったの最近だけどね。鈴木さんはそれ、コーラ?」
先日、自販機に飲み物を買いに行ったときも彼女はコーラを飲んでいた。
「うん! あんまり炭酸は喉によくないとかそんな話も聞くけどさ……美味しいのです。これがもう」
そういって一口、グラスに口をつける。炭酸の刺激に一瞬顔をしかめたが、次の瞬間「プハー」っと、満足気な様子でグラスをテーブルに置いた。その姿は、まるで父親が仕事終わりにビールを飲んで疲れを癒しているかのようだ。
「いや、たまらんですな」
「あはは、おいしいよね」
ふと、達也はきららの置いた大きな袋に目を向けた。その様子を察したきららが、ふふふと自慢げな表情を浮かべた。
「気になる?」
「いや、なんだろうなーって」
「仕方ない! 見せてあげましょう」
きららは袋に手を入れ、中身を取り出し、机に広げた。
取り出されたのは、黒を基調としたTシャツだった。胸の真ん中には、白い文字で「NE」とブランドのロゴが書かれている。クラスメイトの男子がたまに着ているキャップやリュックで見かけるロゴで、高校生にはちょっと高めのブランド。広げられたTシャツはかなりオーバーサイズで、身長百五十センチ程のきららが着るには大きすぎるようにも思えた。前にGMBで見かけたときも、ぶかぶかの服をきていたが、そんなレベルではないように思える。下手をすれば膝まで隠れるんじゃないだろうか。
「どうしたの、これ?」
「本番の衣装! 田中くん用だよ! プレゼントフォー・ユー!」
「えええ! いやいや! もらえないよ!」
「大丈夫! わたしのお父さんがもらったやつで、誰も着ていない新品だから綺麗だよ」
「あ、いやそういうことじゃなくて」
普段プニクロの服で済ませている達也にとって、高級なブランドのTシャツをもらうのは、さすがに気が引けた。
「お願い、受け取って! 田中くんには迷惑もかけてるし、感謝もしてる……。てかこんなんでそのお礼になるって思ってるわけじゃないけど……」
そういってきららは少し言葉を濁した。真剣な眼差しから一転、恥ずかしそうに目をそらす。
「それに……お揃いでステージに立ちたいんだ……本当はオリジナルとか用意したかったんだけど、時間ないし」
その言葉で、達也は思い出した。きららがGMBで着ていた服にもこのロゴが入ってい
たことを。きららの仲間意識の強さはこの数日間で十分に伝わっている。これまで孤独に
闘ってきた彼女が、仲間と一緒に何かをすることに憧れているのが分かる。
(……そこまでいわれたら断るのも悪いか……)
「わかった。ありがとね」
達也がそういうと、きららの顔がぱぁっと明るくなった。
「えへへ! ううん、ありがと! それじゃぁ歌いますか。ウォーミングアップだよ」
そういってきららは達也に曲選択のタッチパネルを差し出した。
「いいよ、僕は。鈴木さんどうぞ」
達也はタッチパネルをきららに返した。カラオケボックスに来た時点で、こうなること
は予想していた。本来の利用方法だし、もし歌わなければならない場面に備えて、断るつもりだった。だが、きららがこれで引き下がってくれるわけもない。
「いや、今日は田中くんの歌声を聞かないと帰れないよ」
「いやいや、僕はいいよ」
再びタッチパネルをきららに差し戻すが、彼女は微笑みを浮かべたままだ。
「こないだのサイファーのときも思ったんだけど、田中くんは自分を殺しているような気
がしてさ。だから歌を思い切り歌うとかそういう練習でもいいのかなと思ってさ」
きららの言葉は無邪気で、悪意はまったくない。彼女は達也が人前で歌いたくない理由を知らない。だから、これはただの練習の一環だと理解している。
それでも無理だ。想像するだけで気分が悪くなってくる。
「それに田中くんの歌も聞きたいんだ。田中くんの声好きだし」
そういってマイクを渡そうとしてくるきららの顔を、達也は見ることができず、うつむいたまま、無理だよといった。
「ね、お願い。どんな歌でもいいから聞きたいなって……」
「無理だよ!!」
達也は思わず大声を上げてしまった。ハッと我に返り、急に大声を出したことを謝ろう
としたが、上手く言葉が出てこない。沈黙が訪れ、部屋にはモニターの宣伝だけが虚しく流れ続けた。
(……やらかした……)
達也は自分のせいで重くなってしまった空気をどう取り繕うべきか考えたが、すぐには思いつかない。引き続き沈黙が流れる。
「あ……ごめんね」
沈黙を破ったのは、きららだった。彼女は達也に申し訳なさそうに謝ってくる。
きららからすればいつもの練習の延長線上であり、そこまで強要しているつもりはなかったのだろう。普段明るい彼女の笑顔がすっかりと消えてしまっている。
そんなきららを見て、達也は胸の奥に刺さる痛みを感じながら、ゆっくりと口を開いた。
「……どうしても歌えないんだ……」
「え……?」
きららには全く関係ない話だし、これまで誰にも話したことはない。どう伝えれば彼女に余計な心配をさせずに済むだろうかと達也は頭を悩ませる。別に言う必要もないと思ったが、こうした事態になってしまった以上、歌えないという事実はきちんと伝えておいた方がよいだろう。
「中学の頃……少し嫌なことがあって。それから人前で歌うことがどうしてもできなくなっちゃったんだ」
達也は無理に作り笑いを浮かべながら、淡々とした口調で話を続けた。
「もしさ……」
「え……」
「もし、田中くんが嫌じゃなかったら聞かせて? 本当に無理に話してほしいわけじゃないけど、でもわたしは田中くんのこと知りたい。それに、無遠慮で無神経なことして、本当にごめんなさい」
きららが達也に向かって深々と頭を下げてきた。
「え、いやそんなの全然いいよ。僕が気にしすぎなだけだし。鈴木さんが気にする必要なんて全くない」
「ううん、わたしが本当に悪い。ごめんなさい」
これまで聞いたことのない真剣なトーンできららが謝罪する姿に、達也は戸惑いを隠せなかった。こんな風に彼女に気を使わせるのは、達也の本意ではない。
「大丈夫だよ。それに……」
勿論、あまり人に話したいことではない。
でも、きららだけには聞いてもらいたい気持ちが少しだけあった。
それはきららともっと対等な存在でいたいからだろう。
きららはラップに対しての情熱を遠慮なく達也にぶつけてくる。それに同じように応えたいが、どうしても達也は自分の過去のトラウマが足を引っ張っているような気がしていた。だからこそ自分の過去を話して、それを乗り越えることで、もっときららと対等な存在でありたいと思った。
それに、きららが「考えすぎること」を達也の個性として肯定してくれたことに、応えたいという気持ちもあった。
「全然面白い話じゃないよ? 大した話でもない」
「うん。それでも聞きたい」
「……わかった」
達也は一度大きな深呼吸をする。
記憶を辿りながら、ゆっくりと達也は話し始めた。




