田中達也と鈴木きらら②
校舎から出ると、梅雨明けのからっとした空気と、やる気満々といった様子の日差しが襲ってきた。
正門を出たところで、きららの姿をそう遠くない距離に見つけた。
猛スピードで走ればすぐに追いつくが、この気温の中、そんなことをすれば汗だくで話しかけることになってしまう。
クラスメイトとはいえ、あまり話したことのない男子に汗だくで話しかけられた日にはドン引きは必至だ。明日から達也のクラスでのあだ名が「汗びちゃ男」になってしまう。
そんな事態を回避すべく、達也は徐々にきららとの距離を詰めていく。そこで一つの疑問が湧いてきた。
(どこに向かってるんだろ……)
この高校に通う生徒が利用する駅は一つしかない。
きららの姿は毎朝駅で見かけるし、電車通学のはずなのだが、しかし、彼女は正門を出て、駅と反対方向へ向かっている。
学校の周辺は住宅地が広がっており、高校生が遊べるようなところはほとんどない。だから学校帰りに友達と遊ぶとしても、一度電車に乗り、隣町まで出る生徒がほとんどである。そのため、駅じゃない方向へ徒歩で向かう理由が少し気になった。
(あ!)
達也がそんなこと考えていた一瞬の間に、きららは歩くスピードを上げ、いつの間にか豆粒のような小ささになっていた。進路希望の紙を渡すという当初の目的を再度認識し、達也も歩くスピードを上げ、見失わないようきららを追いかけた。
少し歩くと踏切があった。通学中に電車の中から見かけることはあったが、こうして訪れるのは初めてだ。
きららは踏切を渡り、線路とフェンス一枚を隔て、平行に並んでいる道路をずんずんと進んでいく。
すっかり話かけるタイミングを逃してしまった。
達也はいつしか気配を殺しながら、見失わないよう、しかしばれないよう一定の距離を保ちつつ、後をつけていく。
(何をしてるんだ僕は……これじゃ、まるでストーカーじゃないか……)
客観的に分析した自分の行動への嫌悪感と彼女への罪悪感を感じつつも、今更引き返すこともできず、達也はそのまま尾行を続けた。幸いといっていいのかわからないが、周囲には電信柱やごみ箱などの比較的大きな設置物が多く、身を隠す場所には困らなかった。
きららが道を曲がり、線路から離れ路地に入っていく。
(なんだここ……?)
後をつけ達也も路地に入る。
そこには飲み屋街と思しき景色が広がっていた。道にはたばこの吸い殻や潰された缶ビールがそこら中に散らばっている。また電柱を囲むように無造作に置かれたごみ袋から人間の足のようなものが飛び出している。高校からそう遠くない場所にこのようなお世辞にも治安がよいと言えない場所があったことに驚きを隠せない達也をよそに、きららは何も変わらない様子で堂々と歩いていった。
(……鈴木さん、こんなところに何の用だろう)
普段学校で見るきららの様子と、この飲み屋街の様子の乖離はすさまじく、到底結びつかない。様々な可能性を考える中でふと達也の頭に一つの可能性が浮かぶ。
(もしかしたら……彼女はそういう如何わしい店で働いているとか……?)
そんな発想は失礼だと感じつつも、頭の中でいろんな制服を着てあんなことやこんなことをするきららの姿を妄想してしまう。
(いやいや! ありえないよ! あの鈴木さんだぞ! それにもし仮にそうだったとしても、こんな学校から歩いてこれるような場所でするわけないし……うん、ありえない……!)
頭の中のあんなことやこんなことの妄想をしたのち、理性でそれを一生懸命振り払う。そんなことを何回か繰り返していると、きららがある建物の前で立ち止まった。
(ん……?)
建物には様々な店舗が入っており、各階ごとに何が入っているかがわかるように店舗名が羅列してあった。そのどれもが派手な色、目立つフォントをしていて、少し離れた場所にいる達也でもその文字が読み取れた。心の中でその店舗名を一つ一つ読み上げていく。
(淫乱ピース……JK始めました……HH商事……)
勿論入ったことはない。しかし、そんな達也でも一見してわかった。
「いかがわしいお店だぁぁぁ!」
教師からのお使いを頼まれた結果、同級生のとんでもない秘密を知ってしまった。
達也の視線には一切気づくことなく、きららはその建物の地下へ階段を降り進んでいった。
一体どのお店が何階に構えられているのかはわからないが、今の達也の頭ではそんな冷静な判断はできない。先ほどまでの妄想がより一層現実感を増して、脳内を埋め尽くしていく。気温のせいもあるが、嫌な汗が一層全身から噴き出してきた。
できれば知りたくなかった。まさかあの品行方正な鈴木きららがこんなところで働いていたなんて。特段彼女に特別な好意をもっていたわけではない達也ですらショックを受けてしまったのだから、彼女に好意を持っている数多の男子生徒が知ったら、吐血物だろう。
そもそも校則違反というだけでは済まない。達也もきららも十五歳の高校生。法律的にそういうお店で働くことは許されていない。しかし、そんな一般論よりも達也は自分の中で作り上げていたきららの真面目なイメージが崩れ去ったことに自分勝手なことだとは思いつつもダメージを受けていた。
(まぁ……でも……進路希望の紙は渡さないと……)
きららがその建物に入って、数十分。一向に出てくる気配のない状況を打破するべく、達也はその建物の前まで進んだ。
もはや先ほどのショックで正常な思考回路は働いておらず、教師からの依頼をこなさねばという使命感のみが達也の身体をつき動かした。
遠くからはわからなかったが、建物の前までくると、上へあがるエレベータと地下へ下りる階段が並んでいた。きららの後を追うべく、達也は階段を下りていく。
達也の中でいかがわしい妄想が少しずつ膨らんでいく。それと同時に、怖いお兄さんにいきなり詰められる妄想もしてしまう。何しろ達也にはそういう経験がない。こういう世界とは無縁で十五年間過ごしてきた。日課の読書でそういう裏社会的なものが題材のものも読んだことはあるが、いざ目の前にするとその圧倒的現実感にすくんでしまう。
辺りを警戒しつつ、達也は階段を足元を確かめるように一歩一歩下りていく。
(……なんていって渡そう……)
さすがに偶然を装うのは無理がある。事実、後をつけてきたのは間違いないのだ。頭をフル回転させても上手い言い訳が見つからない。結果、達也は正直に言うことを決めた。
「進路希望の紙を出してもらうために後を追いかけていたら、ここまできちゃいました! あははは!」
自分で言っていても嘘くさいが、事実なのだから仕方ない。
いざ彼女に会ったときのことを考えると、心臓が段々と跳ね上がってくる。
「おい君」
「ハイ!!!」
いきなり声をかけられ、達也の身体が文字通り跳ねた。
ゆっくりと声の方を振り返ると、そこには長机に肘をついた強面の男性がいた。
(あれ? 僕もしかして殺される……?)
自分とは違う人種にいきなり声をかけられたことに対する恐怖を感じながら、達也はゆっくりと口を開いた。
「……ナンデショウカ?」
「受付した?」
「……ハイ?」