#8 剣士レン 1
冒険者ギルドにてミルフィアとの相談を終えたレンは、冒険者ギルドの中央ホールで一人考えていた。
――異世界にやってきたものの、これからどうしたものか。
ある日、青天の霹靂のようにこの世界〈アビサス〉へと転生してしまったレンである。
この世界はゲームの世界と酷似しているというが、いざ実際に転生してみると右も左もわからない。
それでも冒険者ギルドに登録したことにより、生活基盤のようなものは何とか築けたように思う。受付嬢のミルフィアには感謝しかない。
――とりあえずレベル1だと何もできないからな。
――当面はレベルアップに専念するしかないんだろうな。
転生時に女神様から使命のようなものをいくつか言い渡されていたが、当面そんなことを考える必要はないと思っていた。
レベルが低いうちは使命も何もない。
というより、死なないように、まともに生活できるようになるためにも、当面はレベル上げに勤しむしかないだろう。
そして、レベルを上げるとなれば、魔物を倒すしかない。レンの当面の目標は魔物を倒し続け、レベルアップしていくことであった。
――っていうか、レベル1だと全然収入ないし、ロクな宿にも泊まれないし。
――早くまともな生活を送れるようになるためにも、本気でレベルアップしないと。
と、結構切実な目標でもあった。
というわけで、早速レンは街の外に出るべくストラーラの東門へと向った。と言っても、東門は冒険者ギルドの目と鼻の先である。
正確に言えば冒険者ギルドのほうが東門のすぐ側に建てられていた。ストラーラの街の東側に魔物たちが徘徊する未開拓領域が広がっているのだから、殆どの冒険者が毎日この東門から街の外へと出て行く。非常に効率の良い立地であった。
陽はまだ東の空から昇り始めたばかり。
ギルドを出た冒険者たちが、レンと同じように東門へとぞろぞろと向かっていた。
――しっかし、冒険者ギルドもデカいと思ったけど、この街の門もデカいなあ。
レンはその東門を下から見上げ、大きな口を開けてしまった。
高さ30メートルくらいはあるだろうか。建物にして五階建てくらいはありそうな巨大な門である。アーチ状の門に巨大な鉄扉が吊り上げられていた。こんなものが日本にあったならばそれだけで観光地になりそうな迫力のある門であった。
門の左右を守る衛兵たちが暇そうな素振りを隠そうともせず、ぞろぞろと門から出て行く冒険者たちを眺めていた。「それで良いのか?」などとレンは思ってしまうのだが、ひょっとすると謎の魔導具とかで知らない間にチェックされているかもしれない。この世界の細かい常識を知らないので何とも言えない。
その東門を出ると、東の草原に向かって冒険者たちが踏み固めて自然とできた道で延びている。道の左右には広大な農地が広がっており、朝早くから幾人もの農夫が働いている姿が見えた。
東門からは次から次へと冒険者が外へ繰り出しており、街の近くに魔物がうろついているようなことはない。仮に魔物がうろついていたとしても、すぐに冒険者に狩られてしまうだろう。
なので、魔物を狩るにはある程度街から離れなければならなかった。
――そこはゲームと違うよなあ。
ゲームの頃であれば街を一歩外に出れば魔物がうろついていたが、この世界は現実世界である。街のすぐ近くに魔物がいることなどない。冒険者の活動という観点で言えば時間的な効率は悪いが、街の安全を考えるならば街の近くに魔物がいないほうが安心だろう。
そして、レンが小一時間ほども歩くと道の左右の農地は草原へと変わり、周囲の冒険者たちの姿も疎らとなっていった。
そして道を外れ、草原のほうへと向かえば、晴れて魔物狩りの開始である。
◇◇◇◇◇
レンの目の前に草原が広がっていた。茫漠とした草原である。
足首ほどの高さの草が一面に広がっており、時折腰くらいの高さの草むらや、ひょろりと背の高い灌木が散見された。そんな単調な土地が地平線まで広がっている。
ゲームの頃にも似たような景色を見ていたわけだが、仮想世界とは景色の密度が違う。
そして、レンの目の前には魔物がいた。
緑色の肌をした小人のような魔物。ゴブリンである。
本来はレベル5相当の魔物とされており、この世界においては初心者冒険者の登竜門とされていた。
この世界に転生してより数日、レンは既に冒険者としての活動している。
ゴブリンを倒した経験も既にあり、もっと言うとゲーム〈エレメンタムアビサス〉において散々倒し尽くしていた魔物でもあった。
レンにとっては馴染みの魔物である。
――〈エレメンタムアビサス〉はプレイヤースキルに大きく依存するゲームだった。
レンが前世でプレイしていたゲームは、ヘッドギアを装着し五感をハックし、あたかも実際に見て、聞いて、身体を動かしているかのような体験のできる仮想現実ゲームであった。そのため、実際に身体を動かして、魔物と戦うような体験ができる。
つまり、運動神経が求められた。
これが極めて重大な問題であった。
運動神経の如何により、高レベルでも全然魔物に勝てないという事態が容易に発生する。逆に運動神経さえ良ければ、低レベルであってもかなりの立ち回りが可能となっていた。
そして、レンの運動神経はかなり良いほうであった。
さらに、レンにはもう一つそのゲームにおいて有利な点があった。
――要流。
レンが幼少期より祖父に教わっていた古流武術の名である。
その古流武術の経験をもとに、レンは〈エレメンタムアビサス〉において大いに活躍した。
そして、それがこの世界においても通じることを、ここ数日で実感していた。
レンがゴブリンに斬りかかった。
――要流、表。左右袈裟。
必殺技のような名称にも見えるが、要流剣術における一番の基本技。要するに袈裟斬りの左右切り替えしである。
だが、基礎とは大切なものである。間合いの取り方。斬りかかるタイミング。そして、綺麗に刃筋を立て剣を振り抜く。
たったそれだけのことであるが、確実に素人のそれとは違った。
ゴブリンが短い悲鳴を上げ、倒れる。
その腹には十字の傷が斜めに交差していた。あわや腰斬するか、というほどの深い傷である。
単純なようであるが、いかにレンの剣が鋭いかがわかる。
「よし」
しばしの残身の後、レンは満足したように声を漏らした。
ゲーム〈エレメンタムアビサス〉の物理エンジンは優秀であった。しっかりと剣を振れば、相応の結果を得ることができた。
そして、この世界〈アビサス〉においても、レンの剣術は通用するらしい。
その後もレンは草原にて数匹の魔物を倒した。
そのいずれもが、殆ど一刀の下に斬り伏せていた。
――僕の剣はこの世界でも通じる。
レンはこの世界で生きていける手応えを感じていた。
――それにしても……。
と、同時にレンは全く別のことも感じていた。
――〈エレメンタムアビサス〉って、脳波をハックしたり革命的な技術がいくつも詰め込まれていたけど。思い返せば超体感型VMMORPGってのを再現するのに、不自然な迄に革新的な技術が詰め込まれていたような……。
レンは転生の際に〈エレメンタムアビサス〉のことを胸を張っていた自慢していた女神様のことを思い出した。
この世界への転生者を選定するのに随分と文明の発展が歪められたような気がしたのだが、もはや戻ることのできない世界の話である。あまり深く考えないことにした。
◇◇◇◇◇
「ただなあ」
魔物との戦闘に手応えを感じていたレンであったが、一方で戸惑うことも多々あった。
「やっぱりいくら待ってもアイテムには変わってくれないなあ」
ゲーム〈エレメンタムアビサス〉では魔物を倒すと勝手にアイテムにその姿を変えてくれた。
そして、現実世界であるこの〈アビサス〉では当然そんなことはない。ゴブリンの死体はどんなに待ってもゴブリンの死体である。
仕方なくレンはゴブリンの死体に剣を突き立てた。途端に大量の血があふれ出る。何度やっても慣れない。
むせ返るような血の匂いに辟易しつつ、レンは剣でゴブリンの胸部を切り開いた。探していたのは魔石と呼ばれる小さな石である。大抵は魔物の心臓の近くに結晶化しているという。
これが街で売れる。魔道具の燃料として使われるらしい。と言っても、ゴブリンの魔石は安価いのだが。
そして、なんとか魔石を取り出すと、次なる獲物を求めレンは草原を徘徊する。
――魔物との戦闘に問題はない。
――素材を解体しないといけないのは現実世界なんだし受け入れよう。
――だけど、ゲームとの一番の違いは遭遇率かな。
草原で魔物を求めウロウロしつつ、レンはこの現実世界の問題点を考えずにはいられなかった。
ゲームであれば1時間もあれば数十匹もの魔物を倒すことができた。1匹に対して1、2分が必要でも、次から次へと魔物と遭遇するので切れ目なく倒し続けられた。集中すれば数時間で百匹とか二百匹とかの魔物を倒せたのである。
ところが現実世界は違う。
がさがさと草むらを探索すること1時間程。ようやく魔物を見つけたと思って倒しても、次の魔物を見つけるのにまた1時間、場合によっては魔物一匹を見つけるのに数時間かかることもあった。
結果として一日で倒せる魔物は数匹程度でしかない。
――このままだとレベルアップにどれくらいかかることやら。
そして、それ以上にレンが心配することがあった。
――ゴブリンの魔石、今日はこれしか取れなかった。これで幾らのくらいの収入になるんだろう?
◇◇◇◇◇
ストラーラ冒険者ギルド。
柱の林立する中央ホールから見て左手側に買取受付のカウンターが並んでいる。そこで解体された魔物の素材や魔石を買い取ってくれる。
カウンターの中は比較的大柄なギルド職員が多い。大きな魔物素材が持ち込まれることも多く、力持ちの職員が多く割り当てられているのだろう。
「買取をお願いします」
レンはそんな買取カウンターの一つに声をかけた。
応対してくれたのは大柄な禿頭の職員であった。褐色の肌がいかにも力自慢という印象を与える。
が、レンが差し出したものはとても小さい。カウンターの上にゴブリンの魔石を数個パラパラと置いた。
「うん、ゴブリンの魔石か?」
大柄な職員が覗き込むようにして言う。魔石だけで魔物の種類を当てるのはさすがというべきか。
だが、ギルド職員の男性は良い顔をしなかった。
「クズ魔石なら、もう少し量を溜めてから来て欲しいんだがな」
「でも、生活費なので」
「それならしょうがないか」
レンのような少年は珍しくないのだろう。
ギルド職員の男性は深く追求することもなく、少量のゴブリンの魔石を計りに乗せた。
「800ディルってとこだな。それで良いかい?」
「はい、お願いします」
それがこの日レンが倒した魔物による収入であった。
このストラーラの街では宿代だけで1500ディルもする。それに食事代は別途必要だし、生きていくには諸々で一日に2500ディル程度は必要である。
――かなりの赤字だな。
レンは手渡された銅貨数枚を見つめ、暗澹たる気持ちとなった。
いちおう冒険者ギルドから「異世界転生者 支援金」なるものを受給しており、装備品などを買ってもまだ数万ディルが残っていた。
また、ミルフィア嬢より「また申請すれば貰えると思うから、必要になったら相談してください」と告げられていたが、そう簡単に世話になるわけにはいかない。
「頑張れよ」
ギルド職員の男性にそう声を掛けられつつ、レンは買取カウンターを離れた。
――とにかくレベルが低いうちは耐えるしかない。
――低レベル帯さえ脱すれば、金銭的な苦労はなくなるはずだから。
ゲームでの経験をもとにそう考えつつ、レンは現実世界の厳しさを肌身で感じていた。