#7 冒険者ギルド 2
「おはようございます」
「おはよう、レン君」
レンが訪れたのは冒険者ギルドの相談受付カウンターであった。テーブルの上には小さく「よろず相談受付」と書かれている。冒険者になったばかりで右も左もわからないような初心者が相談に訪れる受付であった。
レンの場合は冒険者としてどころか、この世界のことすら良くわかっていない。そんなレンが転生者であることも含めて相談できる大変にありがたい受付である。
そのカウンターには受付嬢のミルフィアの姿があった。レンがこの冒険者ギルドに登録した時に応対してくれた受付嬢で、以来彼女はレンの担当のようになっている。
そのミルフィア嬢がやってきたレンの姿を見て、うんうんと頷く。
「言われたとおりに装備を整えたみたいね」
異世界から転生してきたレンはずっと初期アバターのような白い服を着ていたのだが、先日冒険者ギルドより「異世界転生者 支援金」なるものを受給したレンは、ようやく装備を整えることができた。
革製のグローブにブーツ、それに同じく革製の胸当て。真新しい装備は少々似合っておらず、なんとも初心者冒険者らしい初々しい姿となっていた。
ちなみに「異世界転生者 支援金」を受け取るまでの数日間、無一文であったレンの生活費はなんとミルフィア嬢のポケットマネーによって賄われた。そういった意味でもレンはこの受付嬢に全く頭が上がらなくなっていた。もちろん借りしていたお金は支援金の受給と共に返済している。
「レン君は異世界からの転生者の中でも稀なほど装備が何もなかったからね。これで一安心かしら」
「あれ? 転生者って皆、何か初期装備を持っていたりするんですか?」
「うーん、送り込んできた元の世界の神様の期待度によって変ってくるって言われているけど。期待されている転生者なら、最初からレベル30くらいあって、装備も充実しているって言われているわね」
「そうなんだ……」
レンは転生時の女神様との会話を思い返す。確かに期待をしていないわけではないが、死んだらすぐに次を送り込む、みたいなことを言っていたので期待値は高くないのだろう。
別に良いのだが、なんだかレンとしては釈然としないものを感じた。
「まあまあ、他人は他人、レン君はレン君よ。気にしないようにしましょう」
「あ、はい。そうですね」
ミルフィア嬢の言葉にレンは素直に気持ちを切り替えた。
「それじゃ、今日はレン君に大事なものを渡しましょう」
ミルフィアはそう言うと、テーブルの下から何やら取り出した。
「これがレン君の冒険者ギルドカードです。お待たせしました。やっと正式なカードができました」
そう言って渡されたのは、一枚の金属製のカードであった。そこにはレンの名前と共に冒険者ランク「E」と書かれていた。
「これが冒険者ギルドカードですか」
「そう。今後冒険者ギルドだけでなく色んなところで使っていくことになるから無くさないようにね。このカードは神の力によって作られたマジックアイテムだから偽造ができないようになっているわ。だから、ギルドや他のさまざまな場所で身分証明書として使われているの。あと、これを持っていけば他の街の冒険者ギルドでも預けているお金を引き出すことができるわ」
――身分証明書、兼銀行口座カードみたいなもんだな。
渡された冒険者ギルドカードについて、レンはそのように解釈した。
実際今までは宿代を銀貨や銅貨で支払っていたが、冒険者ギルドと提携している宿であれば、このカードを提示するだけ代金が引き落とされるという。街の雰囲気は中世くらいのようでファンタジーの力により現代的な利便性を再現している。
「あと、僕、ランクEなんですね」
「レン君はもう魔物を倒したっていう実績があるからね」
冒険者ランク制度についてはレンが冒険者ギルドに加入する際に説明を受けていた。
ランクはFからSまでの7段階。
そのうちFランクは身分証明用に冒険者ギルドカードが欲しいだけの人や、ギルドを通して冒険者に依頼をしたい人のランクなので、実質最低ランクはEということになる。
「Eランク冒険者は見習いっていう扱いね。一人前として扱われるのはDランクからになるわ。だから、レン君には当面Dランクを目指してもらうことになります」
「どのくらいでDランクになれるものですか?」
「そうねえ。それは人によるとしか言えないんだけど、ランクDはレベル10が一つの目安になっているわ。普通なら真面目に冒険者として活動していれば、2、3年でランクDになるものなんだけど。でも、レン君はレベル1だからね。もうちょっとかかるかも。そうねえ。4、5年っていったところからしら?」
「4、5年ですか」
「でも、こういうのは本当に人によるから」
――レベル10で4、5年は長いな。
ゲームの感覚が抜けきらないレンの正直な感想であった。だが、ここが現実世界と考えれば当然であろう。そんなにすぐにレベルやランクが上がってしまうのであれば、この世界には高レベル、高ランクの冒険者で溢れてしまう。
そんなレンの内心を読んだか、ミルフィアが少しだけ真面目な顔で忠告してきた。
「早くレベルを上げたいって思っても無理しちゃ駄目よ。冒険者は命の危険がある仕事だからね」
◇◇◇◇◇
――冒険者ギルドカードでこんなに喜んでくれる人も珍しいわね。
ストラーラ冒険者ギルドの受付嬢ミルフィアは、つい先ほどカードを渡した少年の様子に頬を緩めた。
「ふふふっ、これで僕も正真正銘の冒険者ですね」
冒険者ギルドカードなど冒険者であれば誰でも持っている物である。そう珍しいものではない。だが、それを受け取ったレン少年はどのような想い入れがあるのか、それを嬉しそうに眺めていた。
黒髪黒目という印象的な容姿ながら、小柄で華奢で、16歳という年齢の割には幼く見える。異世界からの転生者ということもあり元々風変りな言動の多い少年であったが、このギルドカードに対する反応も妙なものである。
「それで、レン君が今後どう活動していくかについて話したいんだけど、良いかな?」
「あ、はい、お願いします」
ただ、多少風変りな少年であるが、とても素直な少年でもある。
そんなレン少年のステータスが記された資料がミルフィアの手元にあった。彼が冒険者ギルドに登録した際の鑑定の記録である。
名前:レン(種族:人間、年齢:16歳)
レベル:1(クラス:剣士)
VIT:F
ATK:F
DEX:F
INT:F
RES:F
AGI:F
スキル:異空間収納、システムウィンドウ、異世界言語
そのステータスを改めて確認し、ミルフィアは思う。
――転生者と言っても、ステータス的には凄く良いというわけじゃないのよね。
――まあ、でも、レベル1にしてはどちらかと言えば良いほうかな。
それがレン少年のステータスに対するミルフィアの評価であった。
ステータス値そのものについては全てFなので、極々普通のレベル1であろう。職業が〈剣士〉と戦闘職なので多少は良いほうであるが、珍しいというほどではない。そして、レベル1にも関わらずスキルを三つも保有しているというのは、とても珍しい。
ただ、スキルで三つもあるものの、どれも有用とは言い難い。
だがしかし、ミルフィアには一つ気になっているスキルがあった。
「レン君、この〈異空間収納〉ってスキルなんだけど」
この世界には似たようなスキルとして〈収納〉というスキルがある。これがこの世界ではとても有名なスキルとなっていた。
アイテムを特殊な空間に収納し、大量の物資を重さを感じずに輸送することができるスキルで、詳しく説明するまでもなく大変に便利なスキルである。当然、その保有者は引く手数多で、超大人気優良スキルとなっていた。
この〈異空間収納〉についても、その〈収納〉の類似スキルではないかとミルフィア嬢は期待していたのである。
――この手の類似スキルは使えないことが多い。
もっともギルドマスターのアネマリエなどは、このスキルに対して懐疑的であった。この手合いの類似スキルは実は沢山あるのだが、その殆どが似てはいるものの劣化スキルで、実用に耐えられないことが殆どである。
そんなことは受付嬢として経験の長いミルフィアも承知しているのだが、それでもやはり期待はしてしまうのが人情というもの。
「どう? このスキルの使い方、わかった?」
「はい、一応は」
「えっ、わかったの!? やっぱり〈収納〉みたいなスキルだった!?」
レンの回答にミルフィアが受付カウンターから興奮気味に身を乗り出した。
転生した直後こそ、この〈異空間収納〉の使い方がわからなかったレン少年であったが、数日間の試行錯誤によりスキルの使い方を会得したのだという。
「えーっと、ここに硬貨があります」
「うんうん」
と、レンが手の平に一枚の銅貨を乗せミルフィアに見せた。
「〈異空間収納〉!」
というレンの声とともに、その銅貨は消えてなくなった。
「わ、消えた!」
「で、取り出すこともできました」
レンが言うと、再び手の平には銅貨が。
これを見たミルフィアは大いに興奮した。というのもスキル〈収納〉の保有者は大変に珍しいので、実際にこのようにアイテムを消したり出したりするのを目の当たりにするのは、受付嬢として経験豊富なミルフィアですら始めてであった。
「凄い! これなら本当に〈収納〉と遜色ないスキルなんじゃないかしら。これならレン君がレベル1でもパーティーを組んでくれる人なんていくらでもいるわよ!」
「いや、その」
「で、どのくらいの物が収納できるの?」
「それがですね……」
興奮さめやらぬミルフィアに対し、レンは非常に言い難そうに続きを説明する。
「銅貨一枚を収納した状態でもう一枚の銅貨を収納しようとすると、入らないみたいで……」
「うん?」
「それで、何も収納していない状態で、どれくらいの大きさなら収納できるか試したんですけど、どうも銅貨一枚くらいが限界みたいで……」
「ううん?」
つまり〈異空間収納〉とは銅貨一枚分の質量の物体を異空間に収納できるスキルであるらしい。
そのレンの説明にミルフィアが天井を見上げ、ゆっくりとその内容を頭の中で咀嚼した。そして、そのようなスキルでどのような使用方法ができるかについて考える。
やがて、ミルフィアは視線をレンに戻した。
「さ、レン君の今後の活動について話ましょう」
「あの、〈異空間収納〉は?」
「〈異空間収納〉の能力は把握できたから、もう良いかな?」
レンは釈然としない表情であったが、致し方ない。
ミルフィアも残念である。
ともあれ、ミルフィアはレン少年と今後の活動について話した。
といっても、語るべきことは少ない。
「結局のところ、レベル1のうちはストラーラの周辺で弱い魔物を倒していくしかないわね。収入としては少ないから当面の生活は厳しいと思うけど」
「やっぱりそうですか。しばらくはレベル上げに専念するしかないと?」
「そうなるわね」
そうして、ミルフィアはストラーラ周辺のどの地域にどのような魔物が出るのか、レンに詳しく伝えていった。
それくらいしか伝えるべきことがない。
また、レンのようなソロの冒険者にパーティーメンバーを斡旋するのも冒険者ギルドの重要な仕事なのだが、ここまで低レベルだとパーティーを組む意味がない。このレベル帯の魔物は単独行動をしていることが多いので、パーティーを組むと却って一人当たりで得られる経験値が少なくなってしまう。
そして、パーティーについてはレン本人もあまり乗り気ではなかった。
「レン君が異世界転生者という情報を打ち明ければ、ある程度高ランクの人たちとパーティーを組めるかもしれない。そうしたら、その人たちのサポートでレベル上げできるから、かなり早くレベルが上がるかもしれないよ?」
「うーん、でもそんなに目立ちたくないというか」
と、レン少年の感触もあまり良くなかった。転生してきたこの世界にまだ戸惑っている様子が伺える。
「でも、レベル1でソロだと生活は厳しいと思うよ?」
「紹介していただいた宿も綺麗でしたし、当面は大丈夫かと」
「あれで大丈夫なんだ」
ミルフィアはレン少年に冒険者ギルドが運営する低レベル冒険者向けの宿を紹介していた。あまり評判の良くない宿なのだが、レン少年は大丈夫だという。
――それであれば、当面はこのままでも良いか。
――レン君は一人前になるのに時間がかかるタイプかもしれないわね。
ミルフィアはそう考え、レンを送り出した。
当面ギルドができることはなさそうなので、ゆっくり構えるしかない。何かしてあげたい気持ちはあるのだが、できることが殆どなく何とももどかしい。
「レベルが低いうちは無理しちゃ駄目だからね。そこだけは注意しなさい」
「はい。今後ともお願いします」
ぺこりと頭を下げて去っていった少年の後ろ姿は、ミルフィアにはなんだか頼りなさそうに見えた。
◇◇◇◇◇
レン少年が去ったあと、ミルフィアは考えていた。
冒険者ギルドは昼の落ち着いた時間となっている。もっとも受付が閑散としているだけで、ギルドには常に大勢の冒険者がいるので、この建物はいつも賑やかな喧噪に包まれている。
――どうも、見えない。
レン少年のステータスが書かれた資料を手に、ミルフィアは一人考えていた。
――レン君の方向性がわからない。
ミルフィアは受付嬢として長い。このストラーラに移ってくる前にも別の街でギルドの受付嬢の経験があり、そこで異世界からの転生者と会った経験もある。
異世界転生者はこの世界〈アビサス〉に手を差し伸べるべく、異世界の神々が厳選した優秀な者を送り込んでくるという。ただ一口に優秀と言っても、その方向性は千差万別である。
また、地は優秀な者であっても、この世界に適合できず燻ってしまうような者も珍しくない。
――だけど、今まで私が会ったことのある転生者は、どういう方向で優秀な人か、すぐにわかったんだけどな。
それがレン少年の場合、全く見えてこない。
大抵の転生者は自分が転生前でどのようなことをしていたのか、ミルフィア向かって熱心に説く人が多かった。ミルフィアが会えるような転生者はCランク、Dランクで燻っているような人が多かったという事情もあろう。
だが、レン少年の場合、転生前のことについて聞かれれば答えるものの、自分から積極的に説明しようとしない。その説明でも転生前は16歳の平凡な少年だったということで、特筆するべきこともなく、特に喋ることがないようであった。
また、ステータスもとても微妙だ。
本人に自覚はなくとも、送り込んできた神の意志がステータスから透けて見えることもある。だが、これについてもレン少年はレベル1ということで、殆ど期待されていないことがわかる。
スキルについても多く与えられているものの、とくにこれと言った傾向は読み取れない。
――〈異世界言語〉は良いでしょう。これがなければ会話もできないでしょうし。
――そして〈異空間収納〉は外れスキルだった。今後スキルレベルが上がれば使えるようになるかもしれないけど、〈収納〉みたいにはなりそうにない。
――とすると、レン君の強みは〈システムウィンドウ〉ということになるけど。
このスキルについてはレン少年から説明を受け、どのようなものであるかはミルフィアも把握している。
レンにしか見えない幻術スキルで、視覚的に情報を表示して理解を促進するスキルであるらしい。ただ、現状では自分の名前やレベル、それに知っている人の名前が表示される程度でしかないという。今後〈鑑定〉や〈地図〉のようなスキルを取得することにより、活用されるスキルではないかと思われた。
――情報処理に長けたスキル?
――そうするとレン君の将来は指揮官とか?
――いやいや、とてもそんなタイプには見えない。
ということで、方向性が全く見えてこないのである。
――なんか、こう、お試しで送り込んだみたいですよ。
レン少年はそう言っていた。
――本当にそうなのかもしれない。
ステータスを見返すに、ミルフィアもそう思えてきた。
だが、それは余りにも不憫に思えた。
――レン君がこの世界で大成するにはどうしたら良いのかしら?
そして、ミルフィアは考える。
情報処理に長けたスキルを持っている。だが、政治家や指揮官になれるような性格とは思えない。本人は目立たず大人しい少年である。
しばらく考え、ミルフィアはとある職業を捻り出した。
――密偵、とか?
ミルフィアは苦笑した。あまりにもあんまりな仕事に思えたからである。
だが、実はそれがある意味で真実を言い当てていたことなど、ミルフィアには知る由もなかった。