#64 少年を想う
レンは予定通り無事に〈青石のダンジョン〉を再攻略した。
ダンジョンの入り口前で一晩野営し、翌日ストラーラへの帰路に就いた。
冒険者たちが踏み固めてできた草原の道を独り歩く。
ユリーシアとパーティーを組むことになって、逆に一人の時間は少なくなっていた。改めて独りになると、考えることが多い。
魔物と遭遇する可能性のある未開拓領域であるが、見通しの良い草原である。自然とレンは物思いに耽っていった。
レンが想い返していたのは、〈白い翼〉の付与術士エイムアルから投げかけられた言葉であった。
――好意を向けてくれた人が、どういう気持ちでそのような好意を向けてくれたか、それを考えたことはありますか?
先日、エイムアルと会話した時にそのような言葉を投げかけられた。
その言葉がレンの心に深く突き刺さっていた。
言われた直後は隣にギルドの受付嬢ミルフィアがいたこともあり、彼女の反応を気にした。
彼女が好意によりギルドからの融資を提案してくれたにも関わらず、レンは頑なにそれを拒否した。融資を受け入れて装備を整えた現在となっては、自分は何を拘っていたのかと思うのだが、当時は借金など怖ろしいものと思っていた。
もっともミルフィアは当時も現在もレンに優しく接してくれる。とても感謝をしなければならない。
もちろん、自分をクランに勧誘してくれた付与術士エイムアルにも感謝しなければならない。彼が労力を払ってくれたことを思えば、勧誘してくれたことの価値を改めて感じる。
だが、この件に関しては回答までに猶予が与えられている。無理に色良い返事をする必要もないだろうが、考えることの幅が広がったように思う。
それに、ユリーシアの存在もレンにとっては大きい。彼女のこともレンはもっと深く考えなければならない。
だが、そうした人たちとは別に、少し経ってからレンが考えるようになっていた人物がいた。
叔父、遼二郎である。彼はレンの転生前、祖父の死後の僅かな期間であったが、自分を養ってくれた人物であった。
この世界に転生する前、自分は孤独だと思っていた。不幸だとすら思っていた。だが、それは本当だろうか?
叔父だけではない。優しかった叔母や、屈託なく接してくれた従兄妹の二人。
だが、自分はこの世界に転生し、彼らの記憶から自分は消えた。
――後悔はない。
おそらく、あの世界に残っていたならば、ずっと気づかないままであっただろう。ひょっとすると気づいたかもしれない。だが、仮にそうなったとしてもそれは何年先のことであったか。
この世界に来て、様々な人々と触れあった今だからこそわかる。
だから、後悔はない。
だが、伝えられたなかった自分の想いに、思うところはあった。
叔父への感謝。
優しく母のように接してくれた叔母。
何気なくアドバイスをくれ、時折相談にも乗ってくれた従兄。
そして、言葉はきつかったかもしれないが、とても気を遣ってくれていた従姉。
――ありがとうございました。
見渡す限りの大草原であった。
その真ん中で、レンは背筋を伸ばし、綺麗に腰を折り、そして青空に向かって礼をした。
◇◇◇◇◇
東京西部、某所。
23区から左程離れていないものの、鉄道の狭間になっていることもあり郊外らしい風景が広がっている。近隣には広大な緑あふれる公園や、飛行場、サッカースタジアムなどがあり、それらと並び都内最大級の墓地があった。
「ここには有名な文豪の墓とかもあるらしい」
その墓地に、車のハンドルを握った要遼二郎の姿があった。
車には妻と二人の子供も乗っている。
「前に来た時も思ったけど広いわね」
「なんかキャッチボールしている人がいるんだけど。霊園なのに良いの?」
「良いんじゃない? 広いもん」
家族四人でそんな会話を交わしながらら、墓地の中を車で進む。
先日東北の田舎街から、先祖代々の墓を東京に移した。改葬や供養などは殆ど遼二郎が一人で行ったのだが、それらもようやく全て終わり、改めて家族全員を墓に連れて来たのだった。
父、宗丞が亡くなったあと、相続や遺産整理など大変であったが、これで遼二郎としてはようやく肩の荷が下りた気分であった。
――意外と金銭的な負担は少なかった。
ちょうど子供二人が大学生と高校生という、一番金のかかる時期であったこともある。相続税など大変なことになると遼二郎は恐れていたのだが、蓋を開けてみれば案外大したことはなかった。
それどころか上の子供は来年就職も決まり、経済的にはむしろ余裕すら感じられるくらいになっていた。老後はどこか旅行にでも行けそうな雰囲気すら漂っている。
――昨年まではなんだか大変なことになりそうだと考えていたのだが……。
――私はいったい何をあんなに慌てていたのだろう?
どうにも大切な何かを忘れてしまっているような気がしたのだが、どんなに記憶をひっくり返しても思い当たることはない。
最近では自分が勝手に慌ててしまっていた、と反省するようになっていた遼二郎であった。
そんな遼二郎の運転で墓地の中を進む。
都内最大級の墓地ともなると、広大過ぎて移動も一苦労である。墓地内は車での移動が前提となっており、広い道路が整備されている。
そろそろ冬の気配を感じる季節である。墓地は閑散としていた。他の人の姿は殆ど見られない。
そして、遼二郎はとある区画の前で車を止めた。
一家は車から降り、数多並ぶ墓の中からそれを探し出す。
――要家之墓
そう銘打たれた墓石。
そこに遼二郎の父、宗丞が納められている。
東北の田舎街で亡くなった祖父の遺骨は、地元の親戚とも相談したが、結局遼二郎は自分が住んでいる東京に新しく墓を立て、遺骨を移すことにした。地元の生家や道場なども売り払い、これで遼二郎は地元との縁が殆ど切れてしまった。
まだ、東北の田舎街には親戚が多くいるが、遼二郎がそこを訪れることなど、あと何回あるだろうか。
「親父も東京の墓に入るとは思ってなかっただろう」
墓石に水をかけ、洗いながらそんなことを遼二郎が墓石に向って語りかける。
大きくなった子供たちも墓石洗いを手伝ってくれた。妻はお供え物や線香の準備をしてくれている。
と、墓石の裏の銘が視界に移る。
そこにはこの墓石に納まっている人物の名が刻まれていた。
――要宗丞。
――要宗一郎。
――要翠。
その三人の名が刻まれていた。
――寂しくなってしまった。
自分も白髪の混じる年齢になってしまった。
父が亡くなったのは致し方ない。年齢から考えても十分に生きた。
だが、その父の前に兄夫婦が亡くなったのは全くもって不幸な出来事であった。
昔は東北の生家に遼二郎の家族があった。
父と母、そして兄の宗一郎と遼二郎。
先に結婚したのは遼二郎のほうだった。いつまでも結婚する気配のない兄だったので、将来独り身のつもりかと思っていたところに現れたのが、翠という女性だった。兄と同じく武道好きで、少々勝ち気な女性であった。
その頃もう既に二人の子供が生まれていた遼二郎一家が生家を尋ねると、それは賑やかなものだった。
その宗一郎と翠が亡くなったのは不慮の事故であった。
二人に子供はいなかった。
晩年の両親には田舎街で老夫婦だけで、少し寂しい思いをさせてしまったかもしれない。
――せめて兄貴たちに子供がいたなら。
遼二郎はふと、そう思うことがあった。
どうしてかわからないが、そんなことを何度も考えてしまう。
――もし、本当に兄貴夫婦に子供がいたなら、どうなっていただろう?
この時も墓石を洗いながら、そんなことを考えてしまった。
兄夫婦の子供である。
放っておいても武道にはのめり込んだかもしれない。
曲がったことが嫌いで、さぞ頑固な子供になってしまっただろうとも思う。
と、そこで別のことに考えば及ぶ。
――仮に二人に子供ができていたとして、でも二人が事故死してしまったら、その子供はどうなったのだろう?
――親父が亡くなった後は俺が引き取るしかないのか?
翠の親戚筋がどうだったかは、はっきりと覚えていない。だが、要家という姓を名乗っているからには、要家側で引き取るのが筋ではないか? となれば、誰が引き取るかと言えば、自分しかないだろう。
と、そこまで考えて、急に不確かな記憶と共に思考が回り始めた。
自分は子供を二人と考えて人生設計をしてきたのである。急に子供が一人増えたとして、そう簡単に対応できるものだろうか? もし、本当にそんなことになってしまったら大変なことになのではないか?
きっと悪い子ではないだろう。
宗一郎と翠の子である。悪い子であろうはずがない。
だが、思春期の難しい時期でもある。
妻には苦労をかけるだろう。子供二人がどのように反応するだろうか。
何より経済的な問題をどうするか。新車は諦めよう。不況の世の中である。給料が上がる気配はない。
だが、悪いことばかりではない。急に従弟と生活するようになって、子供たちは大きく成長した。
上の子は大学を卒業しようというのに、未だに「やりたいことを探したい」などと言っていたのが、現実を見据えて就職決めてくれた。
下の子も一念発起し、急速に学力を伸ばし、国立大学に合格してくれた。これで随分と家計的に助かった。
そして、妻は嫌な顔一つせず、甥を受け入れてくれた。苦労も迷惑もかけているにも関わらずである。感謝しかない。
そうして、大変な思いをして受け入れた甥もまた、辛い立場なのだろう。
聡い子でもある。こちらに大きな負担をかけているであろうことを理解し、とても良い子に振る舞っていた。だが、まだ子供である。無理をしていることもまた丸わかりであった。
宗丞のもとで要流に打ち込んでいたということも良くなかった。宗丞の死と共に道場は無くなり、田舎の零細な古流武術であった要流という流派は消滅した。それに打ち込んできた甥は戸惑ったことであろう。
学校では剣道部に所属していたようだが、現代剣道と古流武術は違う。VRゲームで要流を使ったりもしていたようだが、遠慮があるのだろう。東京に来てからはVRゲームは控え気味のようだ。
転校してきたばかりの中学で、すぐに高校受験である。目が回るような環境の変化に戸惑っていた。
「遠慮することはない。ここを我が家と思って生活しなさい」
もっと自分を出して良いのだ。
そう何度も伝えたが、それで甥の遠慮がなくなる筈もなく。
――聡い子だ。
だからこそ、自然には振る舞えない。
父に似て、頑なな性格だ。だが、母に似て、優しくもある。
それでも思うのだ。
――いずれわかってくれる。
いまでなくても良い。ひょっとすると数十年後、ずっと大人になってからでも良い。
だけど、きっとこの少年ならわかってくれる。
そう思うのだ。
目の奥が熱くなるのを感じた。
遼二郎は空を見上げた。
透き通るような秋の空。
その青い空に甥の面影が浮かび上がりそうになる。が、その顔が、懐かしい容貌が浮かび上がりそうで、浮かび上がらない。
そして、ハタと気づく。
――私は何を考えていたんだ?
――兄貴夫婦に子供なんていなかった。そんな仮のことを想像して、どうして自分はこんなにも感傷的な気持ちになってしまったのだろう?
ふと見れば、妻と子供たちが自分のことを見ていた。
目頭を熱くした自分の表情を心配そうな面持ちで見守ってくれていた。
「お父さん、泣いてるの?」
「ははは、それは墓参りだもの。少しくらいそういう気分になったりもするだろう?」
下の子の言葉に言い訳のように返しつつ、気が付けば遼二郎は先ほどまで考えていたことなど、何も思い出せなくなっていた。
記憶は消えている。
だが、感情のみは残った。
――何か、大切なものがあったような……。
それはとても悲しくも、だが大きな期待と希望を持った何かだったように思う。
だが、思い出せないからには自分の勘違いだったように思う。
やがて、遼二郎は立ち上がった。
「さあ、お爺ちゃんへの挨拶も済んだことだし、そろそろ帰ろうか。思ったより寒いし、風邪を引いてはいけない」
やがて、墓の掃除が終わると、一家は皆で両手を合わせ祈った。これから毎年ここを訪れ、同じように供養することになるのだろう。
線香の後片付けを終えると、秋空の下、一家は墓を離れる。すぐ近くに止めいてた車に乗り込むと、エンジン音が響いた。
そして、車は東京の街並みへと戻っていった。




