#63 青石のダンジョン、再び 2
〈青石のダンジョン〉六層。
青い岩に囲まれた小さな小部屋である。中央には淡く輝くダンジョン・コアが鎮座していた。
――また邪魔するよ。
そのダンジョン・コアをレンは撫でまわした。
ほんのりと暖かいなんとなく撫でまわす。どうでも良いことだが、レンはこのダンジョン・コアの感触が好きだった。ゲームの頃にはなかった温かみがある。持って帰りたい衝動に駆られるほどに好きだった。駄目だが。
どうでも良いことは置いておき、レンはこの部屋まで来た本題に取り掛かる。
手帳を取り出し、少し考える。
そして、小さな文字を書き込んだ。
――いま、連絡取れるか?
それをスキル〈異空間収納〉にて異空間へと送る。
待つことしばし。
果たして返信が来た。
――はいはーい。貴方の心の女神、アマテラスちゃんよー!
レンの表情が歪む。
会話の時と文章の時で人格が変わる人というのは儘いるものだ。しかし、先日プラウレティーネと同席していた時のことを思い出し、それほど変わってないのかもしれないと思い直す。
ともあれ、レンがこの〈青石のダンジョン〉へと来た理由はこれであった。
地下深く、かつ魔物が出現せずにゆっくりできる空間をレンはここしか知らない。だから、アマテラスと連絡を取りたいと思ったレンは、ユリーシアに断りを入れ、往復に三日必要なこのダンジョンへとやってきたのだった。
そして、アマテラスと会話したいと思った理由は、先日レベルアップ時に会話したこの世界の主神プラウレティーネのことであった。
――プラウレティーネ様、とても良い神様だったじゃないか。あんな優しそうな神様を疑うなんでどうかしている。
〈異空間収納〉でそれを送った。
レンがこの世界に来た当初、アマテラスはこの世界の神々に疑いの目を向けていた。現在のレンもプラウレティーネに見つからないように、こうして地下深くでアマテラスと交信している。
どのような神かとレンは様々な想像を巡らせていたのだが、実際に会った印象としては非常に善性の強い女神という印象であった。少なくともプラウレティーネは真摯にこの世界の人々のことを想っており、魔物への対処に苦慮している様子が伺えた。
――久々の再会をした後なのに、もっと「嬉しかった」とか、「アマテラス様は美しかった」とかの言葉はないわけ?
――神様なんて態度や表情なんていくらでも操作できるんだから見た目で信じちゃ駄目よ。でも、プラウレティーネが人々を思っている気持ちは私も間違いないと思っているわ。
――だけど、悪意なく人々を害している可能性はあるし、彼女の眷属の神たちには怪しいのがいくらかいるのよね。
アマテラスからの返信にレンは少し考える。
一行目の戯言は無視するとして、プラウレティーネの眷属という指摘については頷けるところがある。確かにその点についてはレンの考慮外であった。
この世界には主神プラウレティーネの下に七柱の眷属が存在している。
――眷属の七柱は主神とは完全に別人格なのか?
そういった基本的なことすらレンは知らない。
そもそもレンがこの世界に来た表の目的は、この魔物が溢れる世界においてそれを駆逐する一助となるためである。同様の理由で他の世界から転生してきている冒険者は他にも沢山いるらしいが、未だそういった転生者との面識はない。
そして裏の目的は、アマテラスの手足として、この世界に出現する魔物の不自然さを探るスパイとして活動するためとなっている。疑いの対象はこの世界の主神プラウレティーネにまで及んでいるが、実際のところ何が原因かなどレンには想像もできない。アマテラスの手足として良いように使われるのだろうと思っていた。
だが、たかが手足といっても意見はある。
納得した上で行動するのとそうでなく行動するのでは、自ずと結果が変わってくるので、レンとしてもある程度の意識の擦り合わせはしたい。
――プラウレティーネ様は美しかった。ああいう神様がいる世界が羨ましいと思った。いや、僕はもうこちらの住人か。
――いまのところこちらの世界の神話を読んでも、神々の存在は人間にとって益しかない。行動の面から見てもプラウレティーネ様はこの世界のために働いてくれているように感じる。
――何がどうなってあの神様を疑うようなことになるんだ?
おそらく神々というのは人間よりも遥かに高次元な存在なのであろう。異世界を知覚したり、精神世界に人を呼び寄せたり、およそ人間の理解できる範疇を超えている。
だが、一方で全知全能の神というわけではなく、人間の住む世界に対する影響力も限定的で、すべてを思うままにする能力はないようであった。
高次の存在ではあるものの、人間のように自分が思ったとおりになれば喜び、思った通りにならなければ悲しんだり怒ったり。案外人間に近しい存在なのではないか?
そういった前提の上で、レンはこの世界〈アビサス〉の主神プラウレティーネのことを調べていた。
だが、この世界に伝わる神話や歴史を見ても、実際にプラウレティーネと会話した感触からも、疑う要素を欠片も感じなかった。
――きー! プラウレティーネの見た目に騙されて! ああいう母性タイプが好みなの?
――神々は良くも悪くもこの世界に大きな影響を与えるわ。調べてほしいと思っている疑わしいところはあるんだけど、いま情報を渡しても貴方では危険な気がするのよね。だから、もう少しレベルが上がるまで待ってほしい。
だが、現段階ではアマテラスからは情報を貰えないらしい。
それであればレンとしてはできることはない。言われた通り、当面はレベル上げに専念するしかないのだろう。
――僕の好みはノーコメントで。
――わかった。どのくらいのレベルになったら情報をもらえる?
レベル上げは嫌いではない。放っておけばレンはいくらでもレベル上げを続けられるであろう。
だが、目途くらいは知っておきたい。
――レベル20くらいかしらね? 中級冒険者ともなれば少なくとも人間同士なら舐められことはなくなるでしょうから。
――それまでは自分の身の安全を第一に考えなさい。でも、言うまでもないけど、そちらの世界の最大の脅威は魔物だからね。
意外と早い、というのがレンの印象であった。レベル20であれば、そう遠くない将来到達できるであろう。一年か二年か、その程度の未来の話である。
逆にいうと、それまでにできることは殆どないだろう。
――わかった。当面はレベル上げに専念する。
――もう一つ聞きたい。叔父さんたちはどうしている?
ある程度納得したレンは、自分の裏の任務についての話を終えた。
そして、叔父のことに触れた。この日、アマテラスに聞こうとずっと思っていたことである。
――記憶がなくなって少し混乱していることもあるみたいだけど、穏やかに生活しているわ。こちらの世界は平和なものよ。心配は要らない。
そして、その叔父の記憶から、確かに自分が消えたのだと知った。アマテラスからの言葉だけであれるが、嘘は言っていないだろう。
寂しさはある。
だが、自分で決めたことでもある。
この世界〈アビサス〉に来た時のことを振り返る。
白い何もない空間でアマテラスを話して、元の世界を捨てることを決めた。そのことに後悔はない。
当時のレンは自分は不幸な境遇にいると思っていた。両親を幼くして亡くし、育ての親である祖父母も亡くなった。叔父一家の下へと引き取られ、一人汲々と生きていた。
この世界に転移――アマテラス曰く、肉体を再構築しているので正確には転生とのこと――した後、状況はすぐには変わらなかった。転生した後も一人、冒険者として孤独な日々を送っていた。
状況が変わったのはユリーシアとパーティーを組んでからのことであった。〈東の木漏れ日亭〉の人々とも触れあい、またずっとサポートしてくれたギルドの受付嬢ミルフィアとの信頼関係もいつの間にか深まっていた。
そして、今のレンがいる。転生に後悔はない。結果は悪くない。
だが、今になって思うのだ。
――転生前の自分はそこまで不幸だったのか?
と。
そして、長い時間考え込んだレンは、最後に一筆だけアマテラスへと送った。
――ありがとう。
――僕はこの世界のため戦うよ。
――連絡終わる。
◇◇◇◇◇
少年から送られてきた紙片。
その最後の言葉を見て、アマテラスは目を細めた。
――僕はこの世界のため戦うよ。
簡潔な一文。ともすれば見逃してしまいそうな言葉。
だが、そこにアマテラスは少年の決意を読み取った。
少年をこの世界〈アビサス〉に送り出した時のことを想い返す。
まだ若干の幼さを残す少年であった。明るく振る舞っていたものの、少し突けば崩れ落ちてしまいそうな危うさを感じる少年であった。
そんな砂の塔のような少年を異世界に送り出すことに、アマテラスとしても若干の躊躇はあった。だが、その塔は実に巧緻に積み上げられており、大きな期待を感じられたこともまた事実であった。
そして、アマテラスは少年の異世界へと送り出した。
――成功するも成功しないも彼次第。
――どうせ儚い人の生だもの。今のまま続けるよりは良いでしょう。
永い時を生きる神々からすれば、人の生とはその程度のものである。
だが、そこに共感や心の通じるものがまったくないわけではない。
少年の短い言葉から、自分が奥底の異世界に突き落とした彼が、立派に立ち上がったことをアマテラスは感じた。
むごい仕打ちをしたかもしれない。そのような懸念はずっとアマテラスの中にもあった。
だが、少年はその異世界にて逞しく成長していた。
――こちらこそ、ありがとね。
アマテラスはその小さな手紙の小さな文字を見て、そう呟いた。
彼女がいたのは白い世界。そこがどのような空間で、どのような場所であるか、人間には感知することすらできない。