#61 頭角 4
レベル5に上がったレンは以前と変わりなく、毎日冒険者ギルドを訪れていた。
中央ホールにて魔物発生状況を確認し、掲示板に張り出されている依頼を確認する。何が楽しいのか笑みを浮かべながら、受けることのできない高レベル帯の依頼まで丹念に確認する。
その後は図書館に行ったり、訓練場で汗を流したりするのが日課となっていた。
パーティーを組んでいるユリーシアが、新たに得たスキル〈錬金術(薬)〉で試したいことが多く、あまり構って貰えないという事情もある。このところ冒険者ギルドにいる時間が長くなった。
そんなレンであったが、この日はギルドの中央ホールに入って早々に、受付嬢ミルフィアから呼び止められた。
「〈白い翼〉のエイムアルさんが話をしたいということなんだけど、いま良いかしら?」
そう告げられ、真っ直ぐに三階へと案内された。
「いま良いかしら」などと言われつつ、有無も言わさずに連れ去られるのはこれで二度目である。
――なんだろう?
案内された三階は、一部の高位冒険者にのみ開放されている特別なエリアとなっている。
レンとしては珍しい場所なので、キョロキョロと周囲を見回しながら案内されるがまま歩いた。
待っていたのは付与術士エイムアルである。
この穏やかな物腰の男は喫茶スペースで待っていたが、レン少年の姿を見ると親しみやすい笑顔で迎えた。
「わざわざ来てもらって済まないね」
「あ、いえ、はい」
「今日来てもらったのは、以前の話の続きをしたいと思いましてね」
エイムアルが以前この少年と会ったのは三ヵ月ほど前のことになる。
――記憶してたよりも少し顔付きがかわっただろうか?
――以前よりも少し逞しくなった印象を受けますね。
記憶ではもう少し、おどおどとした頼りない印象であった。
そこは失言により怒られるかもしれないと思っていたレンの事情もあるのだが、いずれにせよ「男子三日会わざれば」のような格言もある。少年自身の成長もあるのだろう。
そして、上級冒険者用の喫茶スペースにて二人は向かい合って座った。
傍らには受付嬢ミルフィアが腰を下ろす。
エイムアルとレンには珈琲のような飲み物が出された。レンがこの世界に来てこのような嗜好品を目にするのは初めてであったかもしれない。もっとも、場の雰囲気から口をつけることはなかったのだが。
飲み物を運んでくれた給仕のギルド職員が去ったところで、おもむろにエイムアルが口を開く。
「グレーター・レッドウルフを倒したそうですね」
「ええ、まあ、はい」
「レベル4でグレーター・レッドウルフを倒すなんて、大変だったでしょう?」
「それはもう」
エイムアルは軽く今回の件の発端となった出来事に触れてみた。
だが、レンの反応はイマイチであった。
――普通はこういった偉業を成し遂げたなら饒舌になるものなんですけどね。
盛り上がらない会話にエイムアルをもう少し深掘りしてみる。
「ちょっと教えて貰えますか? 君はレベル5ですよね? 普通に考えてグレーター・レッドウルフを相手に傷をつけることさえ苦労すると思うのですが。どうやって倒したのですか?」
「ダメージは村の結界中を使わせてもらってグレーター・レッドウルフを弱体化させたり、あとは相手の勢いを逆用したりで。それでも与えられるダメージは確かに少しだけだったので、少しずつ削っていって、削り切ったみたいな感じです。
でも、今回は事前に準備とか何もしていなかったので。事前にグレーター・レッドウルフと戦うとわかっていたら、もう少し上手くやれたと思います」
――つまり上手くできなかったと思っているわけですか。
会話が盛り上がらない理由がわかった。
だが、それはエイムアルとしてはむしろ喜ばしい話である。
レベル4の少年がグレーター・レッドウルフを倒した。それが一生に一回の奇跡の出来事であったか、実力による再現可能なものであるか。レンの言葉からすれば後者であるということだろう。
――やはり、この少年は買いでしょう。
俄然、エイムアルは前のめりとなった。
もっとも貴族出身のエイムアルはこのような交渉事に慣れている。気持ちは前のめりとなってもそのような態度を見せることなく、落ち着いて珈琲を口に含んだ。
「さて、今日君を呼び出した本題について話しましょう。前回も伝えたましたが、改めてレン。君を〈白い翼〉に勧誘したい」
告げられたレンは全く予想もしていなかったようであった。
目を大きく見開いてエイムアルの話を聞いていた。
「条件を説明しましょう。我々としては君をクランに勧誘したい。我々のクラン〈白い翼〉は現在51名の冒険者が所属しています。クランに所属すれば、冒険に必要な装備品やアイテムの類は支給されます。もちろんある程度の限度はありますけどね。それに希望すればクランハウスに住むことも可能です。宿代は不要となりますし、それに食事も付きます。そして、何より我々のクランメンバーは優秀な者が多い。一緒に活動したならきっと君のためになるでしょう」
一気に説明したエイムアルであったが、レンは大きく目を見開き戸惑ったままであった。
助けを求めるようにミルフィアのほうに視線を向けるが、彼女もまた一緒に驚いていた。もっとも彼女のほうはレンが勧誘されること自体は知っている。
彼女が驚いていたのは、S級クランの所属メンバーに対する待遇の良さであった。
――やっぱりS級クランって待遇も良いのね。クランに所属したら生活に殆どお金がかからないんじゃないかしら?
――これはギルドでは敵わないわ。
傍で聞いていたミルフィアはそう思った。
そして、戸惑っているレンに優しい言葉をかけた。
「まだ怒られるかも、って思っていた? 気にしなくて良いんじゃないかな。S級クランなんて冒険者なら誰でも入りたいって思うようなものだし。良い話だと思うよ」
と、受付嬢の言葉を受け、エイムアルが忘れていたとばかりに言葉を繋ぐ。
「ああ、そうか。その件をまだ気にしていたかもしれませんね。以前君が気にしてたメリッサ、うちのクランにいる双剣士の女性ですが、彼女は『君のことはもう気にしていない』と言っていましたよ。『私もそんなに子供じゃない』ってね」
その言葉は一定の安心を与えたようで、ようやくレンはエイムアルから受けた説明の内容を真剣に考え始めたようであった。
クランに所属したなら衣食住が保証され、装備品などの心配もなくなるという。さらに優秀なメンバーたちとパーティーが組めるようになるのは大きな魅力であろう。
――このクランに所属している者にとっては普通なのかもしれないけど、待遇が凄い。
――きっと良いクランなんだろう。
レンは先ほど受けた説明を頭の中で反芻する。よく考えるまでもなく至れり尽くせりの待遇である。
ただ、ゲームにおいてレンはクランに所属した経験はなかった。極端に剣技に特化したプレイスタイルなので得手不得手が極端だった。そのため、ソロでの活動が多く、パーティーでの活動は専ら野良パーティーに混ぜてもらっていた。
野良プレイヤーとばかりパーティーを組んでいたので、逆にいろいろな職業のプレイヤーに合わせられるようになっていたということもある。だが、特定のクランで連携を深く突き詰めていくような経験は乏しい。
そういった意味で、クランからの勧誘というものに戸惑いはあった。
だが、レンは先日この世界の女神プラウレティーネと話し、この世界のために魔物と戦うのだと意識が強くなっていたところである。それを考えれば、非常に魅力的な提案であろう。
しかし、それでもレンは躊躇した。
――こんなにも良くしてもらって良いのだろうか?
この世界に来て、貧民街のような厳しい現実を目の当たりにしている。もっと言えば、転生前も叔父一家の下でも汲々と暮らしていた。
そうしたレンの人生において、ユリーシアとの出会いはひとつの転機であった。かの優しくも暖かい女性はそうした心冷えたレンの人生に温もりを与えてくれた。
――この話を受けたら、ユリーシアさんとのパーティーはどうなるのか?
そして、その疑問が浮かんだ時、レンは心が締め付けられるような気持ちとなってしまった。
そんなレンの様子をエイムアルは落ち着いて眺めていた。
説明を受けた当初のレンはとても驚いていた。そこから悩み、思案している様子が見て取れた。
――表情に良く出る。
交渉事に慣れているエイムアルからすれば、レンの考えていることなど手に取るようにわかる。これほど表情の読みやすい相手も珍しい。まだ、幼い少年なのだから当然と言えば当然である。
そして、総じて言えばレンの表情から読み取れるものは「戸惑い」であった。
――交渉に慣れていない。
――クランに所属したこともないと聞いていますし。
――そう言えば、彼はこの世界に来て間もないのでしたね。知らないことばかり困惑することが多いでしょう。
S級クランからの勧誘となれば、普通の冒険者であれば二つ返事で承諾する者が殆どである。
だがレン少年は、どうしたら良いかわからない、という風に見えた。
――つまり、幼いということですね。
エイムアルは少年の様子を眺めつつ、そう感じた。
経験不足、知識不足、いろいろな要因はあるのだろうが、総じてこの少年はまだ幼い。少なくともエイムアルの目にはそのように映った。
そして、レンがおもむろにそのように口を開いた。
「その、とても良いお話とは思うのですが。それほどまでしていただくのは心苦しいと言いますか」
――好条件過ぎて引いてしまったかな?
反応としては珍しい部類であるが、そういった反応をする者がいないわけではない。
貴族などからすればペイフォワードの精神は普通なのだが、そのような感覚のない一般人は好条件過ぎると警戒してしまう。
「好待遇なことは否定しませんが、ただ我々はクランメンバーに高い成果を求めています。決して無条件で良い思いをさせているわけではありません。ですが、期待値が高過ぎるということであれば、少し条件を変えても良いですよ?」
そう伝えたのだが、レン少年の反応は芳しくない。
――極端に他人に借りを作りたくない性格なのかな?
――いえ、違いますね。
――他に何かがあるような気がしますが。
だが、少年は喋らない。
殻に閉じこもった貝のように押し黙ってしまった。俯いたまま、視線も合わせてくれない。
何かが彼の中で引っかかっているようであるが、それすら話してくれない。
――さて、どうしたものでしょう。
冒険者としては非常に稀な素質のある少年である。かつて話した印象としては、冒険者としての知識も豊富にある。だが、それが人生経験と連動しているとは限らない。
――どう交渉するべきか?
――いえ、交渉でもないですね。
レン少年に対して対等な冒険者として交渉しようとして、だがエイムアルはそれを止めた。
エイムアルの目の前に座っている冒険者は、まだ一介の少年でしかない。
これはクランの勧誘という以前に、世間知らずの少年冒険者に対して年長者として諭すべきだろうと感じた。クランの勧誘はその後の話である。
――とにかく、何か押してみましょうか。
押し黙ってしまった少年。きっと何を話したら良いかもわからないのだろう。
こういった人物を動かすにはとにかく何か刺激を与えてみるしかない。もちろん悪い方向に動くこともあるが、それを考えては何もできない。
そして、エイムアルは貴族出身ということもあり、人を動かす手練手管は豊富に持ち合わせていた。
「そうですね。集団の中に所属するメリットというものがあります。〈白い翼〉は有望な人材が沢山います。その中で切磋琢磨していくと、冒険者としての成長はやはり早いものですよ。我々のクランの若手、二十歳前後の冒険者であっても平均のレベルは25くらいあります。これは一般の冒険者に比べればかなり高い」
そして、いくつかの実例を説明してみせた。白い翼に所属した少年少女たちが、みるみる実力をつけて行った実例がある。
が、レンは興味を示さなかった。
――これは駄目か。
とりあえずボタンを押してみた。だが、これは彼が反応しないボタンであった。
どんなに良いことを伝えても、相手の心に実感できるような前提知識がなかったり、理解や共感のできる準備がなければ響かないものだ。そして、人が動くようなボタンは人によって異なる。そして、どの人も反応するボタンはとても少ない。
そして、エイムアルはひとつのことを思い出した。
以前ミルフィア嬢からレンの話を聞いた時にも少し感じていたことである。
「そういえば、以前、君は彼女から出資の話をされた時、それを断ったそうですね」
と、傍らに控える受付嬢ミルフィアを指して言う。
確かにレンは〈青石のダンジョン〉に挑む際に装備を整えるのに、受付嬢のミルフィアから出資を提示されたことがあった。だが、その時は借金は性に合わないと断った。
「彼女は君の手助けをしたいと思ってしてくたことでしょう? 返せないかも、という気持ちもわからなくはないですが、彼女のほうの気持ちを考えたことはありませんでしたか?」
と、レンはミルフィアを見た。
ミルフィアは「気にしなくて良いよ」と苦笑しながら手を振ってくれたが、エイムアルの指摘は確かにレンの意表を突くものであった。
「君は他者から施しを受けるのが心苦しいと感じたのでしょう。世の中には悪い人もいますから、その反応は決して間違ったものではないでしょう。ですが、好意をもって何かをしてくれる人がいる。断ることはその好意を無碍にしてしまうことになる。無理に受け取る必要はありませんが、好意を向けてくれた人が、どういう気持ちでそのような好意を向けてくれたか、それについて考えたことはありますか?」
問われたレンは目に見えて動揺していた。
絵に描いたように狼狽え、やがて質問したのはエイムアルと思い出したか、大きく目を見開いて向き直った。
その大きな眼には「そんなこと、考えたこともなかった」と書かれていた。口を開いて何か返答しようとするも、言葉は何も出てこない。
――ふむ、意外と早く動いてくれるものに当たったようですが。
そのボタンは少年を大きく動かすことのできるボタンであった。
エイムアルの言葉は確かにレンに深く突き刺さっていた。
レンはミルフィア嬢が出資の話をしてくれた時、自分のことしか考えていなかった。ミルフィアの気持ちなど全く考えていなかった。そして、いま自分をクランに勧誘してくれているエイムアルの気持ちも。
そこまで考えたところで、レンはもう一つ、自分に大きな影響を与えてくれている人物のことを思う。
――ユリーシアさんはどうして自分にここまで優しくしてくれているんだろう?
さすがのレンでもユリーシアの気持ちまで全く考えたことが無かったわけではない。だが、そこは恩を返せているか、貸し借りはないか、迷惑をかけていないか、そんなことばかりに気を取られていたように思う。
ユリーシアがどのように思っているかなど、それを自分は真剣に考えたことがあっただろうか?
そんなレンの様子をエイムアルはつぶさに観察していた。
揺れる瞳。
その奥では随分と忙しく思考が働いているようであった。
――動いてくれたのは良かったのですが。
――ですが、あまり動き過ぎるのも良くない。
少年は目に見えて動揺していた。
軽く刺激を与えてゆっくり成長してくれるくらいが丁度良い。激し過ぎる刺激は良い刺激となったならば良いが、悪い影響を与えた場合は目も当てられないことになる。
自分が与えた刺激は強過ぎた、とエイムアルは感じた。
――ああ、そうですね。最初に感じたとおりだったということですね。
――彼はまだ幼い。
と、そこでエイムアルはふと、先日ギルドマスターのアネマリエからかけられた言葉を思い出した。
――仮にかの少年が将来〈白い翼〉に入ることになるとしても、少し時期尚早な気がするわ。
その言葉の意味をエイムアルはいま噛みしめていた。
――なるほど。
――確かに時期尚早かもしれませんね。
そこまで感じたところで、エイムアルは方針転換を決めた。
この日の話はここまでである。
なにも急ぐことはない。
「そうですね。今日の話はこのあたりにしておきましょうか。今回は君を〈白い翼〉に勧誘したいという意志がある、それを伝えるに留めましょう。我々はまだしばらくストラーラに滞在しますから、その間にゆっくりと決めてもらえば良いです」
そして、この日の会談はそれで終わった。