#60 頭角 3
いつか話した少年がグレーター・レッドウルフを倒したことを受け、エイムアルはその少年をクランに勧誘すべく早々に動き始めた。
――まずは、手順を踏みましょう。
エイムアルはまず宿に戻った。
宿を出る前にいた部屋へと戻る。
「アクアリート、いますか?」
「いるよ。お前が用意したこの書類の束のせいで俺はここから動けないでいる」
勢いよく扉を開けたエイムアルであったが、そこには不機嫌そうなクランリーダーが部屋を出る前と同じままの姿でいた。自分は少々興奮していたのだと反省する。
だが、新たに才能ある少年を発見したことは伝えたい。
「この街に来た当初、ご領主と話し合った時に異世界出身の少年と居合わせたのを覚えていますか?」
「いたな。なんとなくだが覚えている。メリッサが怒っていた奴だろう?」
「彼をクランに入れたいです」
熱っぽく語ったのだが、アクアリートからの回答は実にあっさりとしたものであった。
「エイムアルが良いというのなら依存などあるわけがない」
一任してくれるという。
任せてくれるのは有難いが、それではエイムアルとしても味気ない。
「もう少し真面目に取り合ってくれませんか?」
「真面目に考えているからエイムアルに任せると言っているんだ。俺のほうは前線のことに集中したい。エイムアルがパーティーから離れたのは残念だが、それだけに任せられることは全部任せたいんだ」
「おや、ようやく私が一軍パーティーを抜けたのを認めてくれたのですか?」
「そういうわけでもないんだが。戻ってきてくれるなら嬉しいぞ」
そう言って二人で笑い合った。
ともあれ、これでアクアリートの了解は取り付けた。
次にエイムアルが向かったのは宿にある食堂であった。
そこに〈白い翼〉の物理攻撃の中心である双剣士メリッサがいた。彼女は仲の良い女性冒険者たちと一緒に、テーブルに甘味を山盛りにして談笑していた。どうやら宿で注文できる甘味を全て注文したらしい。
口いっぱいに甘味を頬張りつつ、それでいて彼女たちのお喋りが止まる様子はない。
女性たちの忙しく動く口に感心しつつ、エイムアルはメリッサに話かけた。
簡単に事情を説明し、少年を勧誘する旨を伝える。
「そういうわけで、例の少年は有望ということで我々のクランに勧誘しようと思います。依存はありませんか?」
「私だって子供じゃないんだ。あの程度のことでいつまでも目くじらを立てるようなことはないよ」
以前の経緯がある。だが、些細な出来事でもあった。
当時は本気で怒っていたメリッサであったが、その記憶も薄れつつあるようだ。
「もし彼がクランの一員になったならメリッサが先輩です。気になることがあればビシバシ鍛えてあげてください」
軽くフォローのつもりでエイムアルが言ったのだが、それを受けメリッサは意地の悪そうな表情になった。どのような未来を想像したのか、実に愉快そうな笑顔を見せた。
「ああ、そうか。そういう手があるか。エイムアル、良いこと言うね」
「いまのは失言でしたね。まあ、ほどほどにしてくださいよ」
少々将来の心配はできてしまったが、これで〈白い翼〉のほうに問題はないだろう。
◇◇◇◇◇
続いてエイムアルが向かったのはストラーラの冒険者ギルドであった。
目立つ容姿の長身の受付嬢を見つけ、ギルドマスターとの面会を申し入れる。
この受付嬢は物怖じしない性格のようで、S級クランのエイムアルが相手でも普通に対応してくれる。それで彼女には良く取り次ぎを頼んでいた。
そして、今回も期待どおりギルドマスターにすぐに面会することができた。
「昨日かなり話したと思ったけど、話し忘れたことなんてあったかしら?」
「今回は別件で」
そのギルドマスター、アネマリエは執務室にて穏やかに応対してくれた。小柄な初老の女性であるが、地位にふさわしい貫禄のようなものがある。
そんな彼女に向かってエイムアルは単刀直入に要件を切り出した。
「ストラーラで冒険者登録しているEランク冒険者レン。彼を〈白い翼〉の一員に加えたいと考えております」
その言葉にアネマリエは眉をぴくりと動かす。
傍らに控える長身の受付嬢が息を飲んだ音が聞こえた。
常識的に考えて、エイムアルの発言はかなり唐突なものであっただろう。
冒険者レンは異世界出身という特性こそあるものの、未だレベル5の初心者冒険者に過ぎない。それがS級クラン〈白い翼〉から勧誘されるなど、知らない者が見れば青天の霹靂とでも言うべき出来事である。
だが、かの少年の潜在能力は見る者が見れば明らかである。遅かれ早かれこういった事態は起こったであろう。
エイムアルの発言を受けアネマリエは少し考えると、穏やかな声で所見を述べた。
「冒険者ギルドは冒険者やクランの活動を支援することはあっても、指示できる立場ではありません。〈白い翼〉が彼を勧誘したいというなら『ご自由にどうぞ』というのが我々の立場です。……と、言いたいところなのですけれどもね」
と、穏やかな声であったのだが、最後には自嘲してしまった。
当然そのような反応が予想されたので、エイムアルも事前に話を通しにきたのである。
「ストラーラの冒険者ギルドにも事情があるのですよ。まず、貴方たち〈白い翼〉は冒険者都市イスタリアルを拠点としているクランです。その認識に間違いはありませんか?」
「間違いありません」
冒険者都市イスタリアルはエルファード王国における最大の冒険者都市である。東部未開拓領域への進出拠点としては最東端に位置しており、大手クランの多くはこの都市を拠点としている。
そして、〈白い翼〉もまた、その都市を活動拠点としていた。
「ストラーラは街自体が若く、この街を拠点としている冒険者たちもその実力は満足なものではありません。それこそ今回のような事態を自力では対処できず、貴方たち〈白い翼〉を呼び寄せなければいけないほどにね。彼はそんなストラーラでようやく現れた将来有望な冒険者です。その彼を勧誘することを止めることはできませんが、彼をクランに入れたならばイスタリアルに連れていくのでしょう?」
「それはそうなるでしょうね」
「困ります」
アネマリエは表情ひとつ変えず、まっすぐにエイムアルに苦情を告げる。
だが、エイムアルのほうは全く動じない。ここまでは想定通りである。
「それは困るでしょう。それに対してストラーラの冒険者ギルドとしてどのような対応をするおつもりで?」
「先ほども言ったとおり、冒険者ギルドは冒険者やクランを支援する組織です。強制力はありません。ですから、何もできません。ですから、ただ、困ります」
つまり、アネマリエは報復措置などは行わないと明言したのである。
その上で、アネマリエはエイムアルに告げる。
「その上で、お願いします。彼を引き抜かないでいただけませんか?」
つまり、ただの懇願である。情に訴えている。
これにはエイムアルも参った。彼としては全く想定していなかった反応であった。
「ははは、変な対抗措置を取られるより困りましたね」
「より困っているのはこちらですよ?」
「違いありません」
現在〈白い翼〉はストラーラの街と良好な関係を築いている。それを悪戯に悪化させるの良くはない。
といっても、エイムアルの対応としては当初想定したもので足りる。
「そうですね。何か引き換えにストラーラに益を提示するべきでしょうね。我々〈白い翼〉は今後ストラーラの依頼を優先的に受けることにしましょう。これはご領主様にとっても悪くない提案と思います」
「それは契約と捉えても?」
「口約束です」
微妙ではある。
だが、おそらくストラーラの領主メザレーゲは喜ぶであろう。
「それに、ストラーラのご領主様はレン少年を高く買っていないのでしょう?」
アネマリエの表情が歪む。痛いところ突かれたと思ったのだろう。
ストラーラの領主であるメザレーゲと、街の実務的な管理者であるアネマリエには若干の意識の乖離がある。メザレーゲは領主らしく細かなとこには目を向けず、即物的な利益に目が向きがちである。街の実態を深く知るアネマリエとはどうしても認識に乖離が発生する。
レンのようにその潜在能力に比して肩書が伴っていない存在は、領主の評価が低い。それはアネマリエがいくら言葉を尽くして説明しても覆ることはないだろう。
そういった事情を見透かした上で、エイムアルは畳みかける。
「クランに所属させると言っても、彼を必ずイスタリアルに連れていかなければならないと決まっているわけではありません。将来的には彼だけをストラーラ駐在要員としても良いですし、何なら〈白い翼〉からその駐在要員をもう何名か出すことを検討しても良いでしょう。
もっとも、我々としてもクランとしての活動がありますので、今回のようなことがあれば、長期間ストラーラから離れるということはありえます。いずれも確約は難しいでしょうね」
いずれも口約束である。確約ではない。
だが、レンのことも将来性と言う意味では確定したものではない。
「まあ、そのくらいの言質を取れたところで良しとしないといけないかしらね?」
アネマリエが嘆息気味にそう告げた。ある程度の好条件を引き出せたことで、彼女としても落としどころと感じたようであった。
これで合意が取れたことになる。
満足そうな表情を浮かべたエイムアルに、アネマリエが少し愛嬌の混じった笑顔を見せる。
ここからは雑談である。
「随分とあの少年を買っているのね?」
「青田買いは早めが良いのですよ。他の誰も気づかないうちにね」
「彼が本物と決まったわけではないでしょう?」
「買って後悔するのは良いですが、買いそびれて後悔は取返しが効きませんので」
S級クランと言えど人材の揃っていない新興クランである。現状では目ぼしい人材がいればどんどん声をかけている段階であった。
もちろんそれは〈白い翼〉側の事情であって、奪われる側のストラーラとしては堪ったものではない。もっとも、アネマリエのほうに未練はないようであった。少年の才能を思えば遅かれ早かれこういった事態は起こったであろう。
そして、アネマリエは最後にこの交渉をしている間、ずっと思っていた疑問をエイムアルにぶつけた。
「〈白い翼〉がかの少年を勧誘することは認めましょう。ですが、あともう一つ大きな問題が残っているのではありませんか?」
「なんでしょう?」
「彼、本人は貴方の提案に同意していて?」
アネマリエが興味深そうにエイムアルを見ていた。
エイムアルはまだ二十代の若者である。初老のアネマリエから見れば全くもって若い。
そして彼女の予想どおり、その疑問についてエイムアルは全く考えていなかった。それが何か問題になるとも思っていなかった。
「いえ。ですが、断られる理由はないと思っていますが?」
エイムアルの正直な感想である。断られる要素は全て排除したつもりであった。
そんなエイムアルに微妙な表情を見せるアネマリエ。
「彼のほうに何か問題でも?」
「問題というほどのことはないでしょうけど。仮にかの少年が将来〈白い翼〉に入ることになるとしても、今はまだ時期尚早な気がするわ」
「時期尚早、ですか?」
エイムアルはその言葉の意味を少し考えたが、特に思い当たることはない。
が、アネマリエはこれ以上何かいうつもりもないようであった。
――まあ、良いでしょう。
――これで彼に声をかえる準備は整いました。
それでエイムアルはギルドマスタールームを辞した。




