#55 主神プラウレティーネ 1
コッピア村からストラーラに戻って数日後。ユリーシアは〈東の木漏れ日亭〉で日常を取り戻していた。
いつもの自室。いつもの錬金作業。日常とは心落ち着くものである。
だが、そんなユリーシアの心が浮ついていた。
――レベル15の壁を突破してしまった。
レベル15の壁。
それは長らくユリーシアの前に大きく立ち塞がっていた壁であった。超えることなど、ずっと諦めていた。
――まさか、私がレベル15になるなんて。
ユリーシアが錬金術師を志したのは14歳の時。師となる人物に弟子入りし、以来さまざまな修業に明け暮れた。
調薬系の錬金術師ということで薬草の目利きや、調薬など覚えることは沢山あったが、レベルアップも重要な修行のひとつであった。レベルを上げれば魔力が増える。魔力が増えれば錬金術の扱いも上手くなる。
だが、レベルアップの効用はそれだけではない。レベルアップするに従いスキルを取得することができる。そこでスキル〈錬金術(薬)〉を得ること。それこそが調薬系の錬金術師として一人前になる絶対条件であった。
――私は錬金術のスキルを得ることはできなかった。
レベル5になったとき、ユリーシアは〈錬金術(薬)〉のスキルを得ることはできなかった。取得可能と提示されたいくつかのスキルの中に、それはなかった。変わりに〈魔力操作Ⅰ〉のスキルを取得した。
レベル10になったとき、強い期待を持って挑んだにも関わらず選択肢に〈錬金術(薬)〉は現れなかった。仕方なく〈鑑定(薬草)〉を取得した。
才能のある錬金術師であれば、レベル5でスキル〈錬金術〉を得られるという。
才能が普通程度であれば、レベル10で〈錬金術〉のスキルを得られるという。
そして、例え才能がなくとも地道に錬金術師としての訓練を積んだならば、レベル15で〈錬金術〉のスキルが現れると言われていた。
「まあ、こういうこともあるさ。地道に頑張りなさいな。また次がある」
ユリーシアがレベル10となり、望んだスキルを得られないとわかった時、師はそう慰めてくれた。
師の言うことはもっともだと思い、ユリーシアも頑張った。次のレベル15を目指し、懸命に魔物と戦った。
だが、ユリーシアには戦う才能もなかった。
レベルが上がるに従い、ユリーシアの戦闘は困難なものとなっていった。元より性格が戦闘向きではない。戦闘向きでないからこそ、錬金術師という職業を志したのである。
それでも己の本能に逆らい、魔物と戦う日々を送った。才能ある弟弟子、妹弟子たちに追い抜かれる日々。時には命の危険を感じるほどの戦闘すら経験した。それでなんとかレベル14まで達した。
そして、何度目かの命を賭した戦闘を終えたとき、ユリーシアの心が折れた。
「私はもう駄目です! 私にレベル15は無理です!」
泣いて懇願するユリーシアの背を師は撫でた。
「そうかい。……そうなのかい」
以後、師はユリーシアを無理に戦闘に立たせることをしなくなった。
やがて18歳となったユリーシアに師は告げた。
「ストラーラという新興の街がある。そこは錬金術師が少ないようだから私たち草莽派の活動の余地がるようなんだ。ユリーシア、行ってみないかい。生活していくには少々心もとない腕だが、実地で学ぶこともあるだろう」
そうしてユリーシアはストラーラへと来た。
そして、いまユリーシアは思いもよらず、レベル15に達してしまった。
神殿に赴き神に祈りを捧げれば、新しく取得可能なスキルが提示されるであろう。そこに〈錬金術(薬)〉があるかは未だ定かではない。
――怖い。
ユリーシアはそう思った。
今度こそ、という思いはある。
だが一方で、また〈錬金術(薬)〉が無かったら。そういう恐怖がユリーシアにあった。
◇◇◇◇◇
「シアちゃん、レベルアップおめでとう!!」
冒険者ギルドにて揃ってレベルアップの報告に訪れたユリーシアとレンは、受付嬢ミルフィアから手放しでの祝福を受けた。
「あの、僕もレベル5にアップしたんですけど?」
「はい、レン君もおめでとう。でも、シアちゃんは本当に良かったわね」
「本当にありがとうございます。それもこれもミルフィアさんのお陰です。ミルフィアさんがレン君とパーティーを組ませてくれたから」
そう言って手を取り合う二人。
空気を読めないレンが何事か言っていたが、今回の主役は間違いなくユリーシアであった。
レンは放っておいてもレベルアップしたであろう。だが、ユリーシアは苦節二年以上を経てのレベルアップである。その喜びも一入であった。
「神殿にはもう行った?」
「まだですけど。その、少し怖いって思って。〈錬金術(薬)〉が出ないかも、って思うと……」
そうユリーシアが暗い表情を見せる。
「そうね。でも、もしいざとなったら取らないって手もあるわ」
神殿で祈った際に、取得可能なスキルがいくつか提示される。だが、そこで欲しかったスキルがなかった場合は、スキルを取得しないという選択もできる。後日再び神殿を訪れた際に、再度取得可能なスキルが提示される。その時に増えていることを期待してのことである。
だが、そのような方法を取っても、結局は提示スキルが増えるタイミングは殆どの場合がレベルアップの時だったりする。狙ったスキルを得るには長い時間を要することが多く、それよりも取得可能なスキルを取って、次のレベルアップを目指すほうが一般的である。
また、一度スキル取得を止めた場合、次に神殿で祈るのは二ヶ月以上間を置かなければならない。これは提示スキルが増えてないか毎日神殿を訪れる者がいたため設けられたルールである。
「そうですね。最悪の場合はそういうことも考えないと」
だが、いずれにせよ神殿に赴き、期待した結果が得られなければユリーシアは何かしらの決断を強いられる。
おいそれと軽い気持ちで訪れるわけにはいかなかった。
対して直ぐにでも神殿に行きたいと勇んでいる少年がいた。
「神殿で祈るって、どうするんですか? 普通に祈れば良いんですか?」
ウキウキという音が聞こえてきそうな少年がはしゃいでいた。
そんなレンを見て、受付嬢ミルフィアはなんとなくイラッとした。いまユリーシアと大切な話をしているのである。
「そういえばレン君もレベル5になったからスキルを得られるのね。何か欲しいスキルでもあるの?」
「剣士なんで、まずは無難に〈身体強化Ⅰ〉か、もしくは〈強撃〉とかですかね。あとは〈鑑定(魔物)〉か〈地図〉も捨てがたいんですが。あ、でも〈異空間収納Ⅱ〉があったら間違いなく取ってしまうような気がします」
「なんて強欲な子なのかしら」
あっけらかんと言い放つレンをミルフィアが忌々しいそうに睨んだ。
だが、レンのそんな様を見たユリーシアは、なんとなく笑ってしまった。ユリーシアがレベル5になって初めてスキルを得た時、彼女もまた今のレンのように様々な期待に胸を膨らませたものである。そんな懐かしい記憶を呼び覚ましてくれた。
――だけど、レン君は私とは違う。きっと望み通りのスキルを取得してしまうんだろうな。
根拠はない。
だが、きっとそうなるだろうと思った。
そしてまた、そんなことを考えていると、神殿に行くことを恐れていた気持ちが少しだけ和らいだような気がした。
◇◇◇◇◇
ユリーシアはレンを伴って神殿を訪れた。
神殿はストラーラの街の繁華街の更に奥にある。狭い街だが、細い路地が多く、見通しの効かない街である。その神殿の存在をいままでレンは知らなかった。
「こんなところに神殿があったんですね」
狭い路地を抜けたところにぽっかりと広場が設けられており、そこに小さな神殿があった。
小さな神殿だが雰囲気は十分にある。
「本日のご用件はなんでしょうか?」
と、神官と思しき女性に話しかけられた。神殿に相応しく質素な装いの神官であった。
ユリーシアが応える。
「レベルアップしたのでスキル取得を神に祈らせてください。私はレベル15で、彼はレベル5です」
「では、拝謁料として銀三枚をお願いいたします。そちらの方は銀一枚ですね」
言われたとおり二人は銀貨を支払った。
「お金取るんですね」
レンがこそこそと愚痴っていた。
だが、もはやユリーシアにはレンに構っていられるような余裕がなくなっていた。あと少しで希望するスキルの有無が判明する。動悸がどうにも止まらない。
そして、神殿の奥へと通される。
通された先は天井の高い空間であった。ドーム型の天井から光が零れる。その広間を囲むように八つの神像が鎮座していた。礼拝堂である。
この日、二人がここを訪れた目的の場所でもある。
レンが物珍しそうに神像を眺めていた。
鎮座している八柱の神像は、この世界の住人であれば誰でも知ってる。この世界の主神プラウレティーネとその眷属たち。そんな神々はこの世界のあらゆる出来事を見守っているという。
八つの神像に囲まれた中で、ユリーシアは膝を折った。
他に人はいない。ストラーラに冒険者は数多いるものの、レベルアップをする者となればそう多くはない。礼拝堂を訪れている冒険者はユリーシアとレンの二人だけであった。
ユリーシアが神像を見上げる。
神々しい神の姿があった。
胸が高鳴る。
「神様……」
ユリーシアは祈った。
と、ユリーシアの周囲の景色が消える。
気が付けば白い世界にユリーシアはいた。スキル取得時に訪れるという白い世界。神界とも精神世界とも言われる。
そして、目の前には一柱の神の姿があった。
スキルを司るという技術神ダウェルファス。
過去二度、その姿を見た。過去二回のスキル取得時である。顎髭を豊かに蓄えた中年男性の姿をした神であった。いつかの時と全く変わらぬ姿の神。
その厳格そうな容貌の技術神が口を開く。
「ユリーシアよ。よく来た。この魔に覆われようとしている世界で、魔に立ち向かいし勇気を称えよう。魔に覆われようとしている世界で、魔に抗った功績に応えよう。魔を打ち滅ぼす新たな力をそなたに授ける」
以前にも聞いた神の口上。
そして、もっとも重要なことが神から告げられる。
「そなたが取得できるスキルはこれだ」
ユリーシアの目の前にいくつもの文字が現れた。
〈体力向上Ⅰ〉
〈生活魔法(水)〉
〈革細工〉
〈防具加工〉
……
そういったスキルがいくつも並ぶ中、それはあった。
〈錬金術(薬)〉
その文字が確かにあった。
――あった。
涙が溢れる。
想いが溢れる。
錬金術師を志して数年。多感な時期、ずっとそれを目標にしてきた。
そして、ようやく一人前の錬金術師を名乗れるそれが目の前にあった。
「どうだ? 選べるか? 選べないのであれば今回は選ばないという選択もできる」
技術神ダウェルファスは淡々とした口調であった。ユリーシアにとっては何年もかけた大事な選択であっても、神にとってはありふれた出来事なのであろう。
「いえ、選びます。選びます!」
ユリーシアが叫ぶように言った。
と、そんな時である。
ユリーシアの肩を叩く者がいた。
「お取り込み中のところ申し訳ないんだけど、ちょーっと良いかしら?」
突然そのように話しかけてきた人物がいた。
それはユリーシアが見たこともないような恰好をした女性であった。ユリーシアが知りようもないことだが、その女性が着ていたのは、白い唐絹に緋袴という古代日本風の装束であった。
そんなこの世界とは全く関係のない装束を身にまとったその女性の正体は、この世界とは異なる世界の神。その名をアマテラスという。
そのアマテラスがユリーシアに笑顔で語りかける。
「いまウチのレンがプラウレティーネと話してるんだけど、レンがお世話になっている貴女にも一緒に同席して欲しくてね。んで、悪いんだけど、いまちょっと良いかしら?」
真っ白な精神世界である。
あまりのことにユリーシアは言葉を失ってしまった。
技術神ダウェルファスも憮然としていた。




