#54 コッピア村、その後
コッピア村を朝日が照らす。
村のあちらこちらに狼の残骸が残る。
踏み荒らされた畑の殆どは元から耕作放棄地であったが、既に秋の実りを迎えていた畑もいくらか荒らされた。
廃屋にも倒壊したものがあった。
そんな状態の村の奥、入り口とは反対側にそれはあった。
「すみません。駆けつけるのが遅くなって。これを倒すのに時間が掛かったので」
レンが指し示した先には、レッドウルフ・リーダーよりも遥かに巨大な赤い狼の残骸があった。
体中にいくつもの傷を付けられ、特に顔の周辺には異常なまでに斬撃の跡が残っていた。目や鼻を潰され、死骸となってなお壮絶な表情を浮かべる巨大な狼。上あごには廃屋のものと思しき木材が貫かれ、おそらくトドメとなったであろう結界柱が胸部を突き破っていた。
どれほどの激闘があったか、もはや想像もできないほどであった。
「グレーター・レッドウルフだと思います」
レンにそう説明されたユリーシアは、あまりのことに言葉を失ってしまった。それはウラカ一家も同様で、巨大な狼の魔物の姿に圧倒されてしまった。
「グレーター・レッドウルフって。どうしてそんなものとレン君は戦ったの?」
そして、ユリーシアがなんとか言葉を絞り出すも、なんとも間の抜けた質問だったかもしれない。
「どうして、と言われましても。村を襲ってきたので戦わないわけにはいかなかったので」
「それはそうなんでしょうけど……。グレーター・レッドウルフって、レベル20くらい?」
「確かそうだったと思います」
「そんなものと戦って、よくも……」
一般にレベル20を超えると、いわゆる中級冒険者と呼ばれるようになる。つまり、グレーター・レッドウルフは本来中級冒険者が相手にするべき強さの魔物ということになる。
それをレベル4のレンが、しかも一人で倒してしまったのだから、ユリーシアが動転してしまったのも致し方ない。
「新調した剣がなければ倒せないところでした。あと、ユリーシアさんのポーションで助かりました」
レンの装備は至る所が破損していた。特に背中はごっそりと装備が消えていた。初心者装備とは言え、革製のジャケットが削ぎ落されるなど、どれほどの攻撃を受けたのだろうか。僅かに残る革の切れ端に、狼の鋭い爪の痕が残っている。
ユリーシア特性のポーションは全て使い切ったという。結果としては事なきを得たが、一歩間違えば大変なことになっていたに違いない。
――転生者は危ない。
ふと、ユリーシアは冒険者ギルドの受付嬢ミルフィアの言葉を思い出す。転生者には大成する者が多いが、それ以上にその途上で亡くなる者も多い。今回の出来事は間違いなく片足を死に突っ込むような行為であった。
転生者とは、かくも危険を冒すものであろうか。
と、ユリーシアは感極まってレンを抱きしめてしまった。
抱きしめてみると、グレーター・レッドウルフを倒した少年は意外なほど小柄で華奢だった。筋肉質ではあるものの、これほど小柄な少年が目の前の巨大な狼を倒したことが、にわかには信じられない。
「レン君、危ないことしちゃ駄目だよ」
「あ、え……。はい、すみませんでした」
そんな二人の様子を、ウラカ一家が見ていた。
特に歳若い兄妹は顔を赤くしていた。
◇◇◇◇◇
ともあれ、コッピア村はレッドウルフの襲撃を撃退した。
当初の要件も済んでいたのでユリーシアとレンはストラーラに戻るところであったが、村がこの状態となっているので、すぐに戻るわけにはいかない。
「この狼の死骸は放置しては駄目ですよね?」
「秋になって涼しくなってきたけど、何日かしたら腐ってくるでしょうね」
「この数を処理するんですか?」
「いえ、これはギルドで応援を呼びましょう」
大量の魔物を倒してその解体が追い付かない場合、冒険者ギルドで募集して、低級冒険者に素材の剥ぎ取りを請け負ってもらうことができる。
今回の場合は多少の時間を置いても、高台の村で死体が他の魔物に荒らされる心配が少ない。また、グレーター・レッドウルフを初めとして、いくつか上位種が混じっているので金額としても悪くない。低級冒険者としては良い稼ぎとなるだろう。
もちろん、討伐したレンとユリーシアにはいくらかの金額が流れ込むこととなる。
「そういうことができるんですね」
「私も依頼する側になるのは初めてよ」
ということで、村に散在している狼の死体は放置。
だが、それでもやるべきことはいくらか残っていた。
耕作中の畑にある狼の死骸は早急にどかしたほうが良いし、グレーター・レッドウルフとの闘いで村の結界柱が動かされたので、それも早めに元の位置に戻したほうが良い。
「でも、ごめん。ちょっと私は働けないかも」
「良いですよ。僕がやっておきますし。ユリーシアさんは休んでいてください」
ユリーシアはレッドウルフの襲撃時に使用したステータス増強薬の副作用により、かなり具合が悪そうであった。相当な劇薬を使用したようで、かなり顔色が悪かった。
結局、その日レンは一日中ウラカ一家とともに村の片付けを手伝うこととなった。
そして、ユリーシアの容態も考慮し、村にもう一泊することとなった。
夕暮れ。
とりあえずの復旧作業を済ませたレンのもとに、ウラカがやってきた。
夕日に照らされ、この中年女性の顔に深く刻まれた皺が良く見えた。この村で苦労を重ねてきたであろう味わい深い皺である。
今回のレッドウルフの襲撃においても、この女性は非戦闘員とは思えない的確で冷静な行動を終始見せていた。知的で、逞しく、経験豊富な女性の姿がそこにあった。
「レンさん、今回のことは、本当に。本当にありがとうございました」
そんなウラカがレンの手を取り、涙を流さんばかりに感謝を伝えてきた。
農作業で荒れ、分厚くなった手。だが、とても暖かい手であった。
「あ、いや、僕は……」
レンは戸惑った。
今回の件はレンたちにも一因がある。レッドウルフの群れを連れて来たのはレンたちであった可能性がある。だが、レンたちが来なかったとしても、いずれはこの村が魔物に嗅ぎつけられた可能性は高いように思う。
何とも解釈が難しい。
だが、そんなことは一言も口にせず、ウラカはレンに強い感謝を示してくれた。
レンにとって、これほどの感謝を他者から示されたのは、人生で初めてのことであった。それこそ前世を含め、他人からこれほど感謝された経験などなかった。
レンの前世は高校生一年生でしかない。高校生で涙を流して感謝された経験がある者など、どれほどいるだろうか。
「今回のことで痛感しました。この村に居続けるのは限界のようです」
そして、ウラカはレンの目を真っ直ぐに見据え、決意を告げる。
「ストラーラの冒険者ギルドには『ご提示いたいだいた条件で受ける』とお伝えください」
その発言にレンは驚いた。
「よろしいのですか?」
この村に来た当初、レンはウラカ一家がこの村を離れないことに強い憂慮を抱いた。だが、一家の事情を知ってからは理解を示していた。
が、そのウラカが翻意した。
「以前からこの村が限界というのは理解していました。夫がいたころは他にも数家いました。それでもギリギリだったのに、いまは私たち一家のみです。無理が来ていたのはわかっておりました」
彼女は重い決断をしたのだと、レンは強く感じた。自分のような若輩者が口を出して良いことではない。
なので、とりいそぎ必要なことのみを口にする。
「どうしましょう? 今の状態の村に残るのはもう既に危険と思います。ウラカさんたちが村から離れると決断されたのであれば、我々がストラーラに戻る時に一緒に行きますか?」
そう尋ねた。
それにウラカはかなり迷ったようだ。
レンたちと同行するならば、明日にも村を離れることになるだろう。
ウラカはふらりと数歩、歩いた。彼女の目の前には、彼女の人生において多くの時間を過ごした村の景色が広がっていた。
夕日に照らされた村の景色。
皆で協力して建てた家。
切り開いた数々の畑。
苦労と工夫を重ねた溜池や灌漑路。
遠くに薄っすらと見える山々は彼女たちのそんな姿をずっと見守っていたに違いない。
「もう少しだけ。もう少しだけこの村に居させてください。ストラーラには必ず行きます。ですが、もう少しだけ、あの人と切り開いたこの村に……」
村の景色を眺めながらウラカがそう言った。
レンは黙って彼女の背中を見ていた。
彼女の目にはこの景色がどのように映っているか、余所者のレンには伺い知ることはできない。ただ、無暗に口を出して良いことではないと思った。
◇◇◇◇◇
翌朝、ユリーシアとレンはストラーラへの帰路に就いた。
ストラーラへは丸一日かかる。
強行軍でいけば、夜には到着できるかもしれないが、未だ魔法薬の後遺症の残るユリーシアの体調と相談しつつの道程となった。
「ウラカさんたち、残してきて大丈夫だったんでしょうか?」
「大丈夫でしょう。グレーター・レッドウルフを倒した後だし、あれクラスの魔物がそう周辺にいるとは思えないから」
ただ、そう答えつつもユリーシアは具合が悪そうであった。体内にある魔力を全て魔法薬に吸い取られ、身体の芯のほうから力が抜けてしまっているような状態なのだという。
「荷物持ちます」
「大丈夫よ、って言いたいところだけど、お願い。悪いわね」
本当にしんどそうであった。
そんなユリーシアを気遣いつつ、それでもレンは旅路を急ぎたい気持ちとせめぎ合っていた。ユリーシアのことも心配だが、ウラカ一家のことも心配である。
早く冒険者ギルドに彼女たちのことと、コッピア村の状態を伝えたい。
そして、それと共にレンは思うのだった。
「ウラカさんたち、村から離れる決心しましたけど、あれで本当に良かったんでしょうか?」
今回のレッドウルフの襲撃により、ウラカ一家は一つの決断をした。だが、その決断をさせてしまったことがレンの中で上手く飲み込めないでいた。
そして、具合の悪いユリーシアにそんな面倒なことを聞いて、口に出してから後悔してしまった。
しかし、そんなレンにユリーシアは微笑んでくれた。
「何言っているの? ギルドの提案を受けたほうが絶対に良いって、最初にレン君も言っていたでしょう?」
「それはそうなんですけど」
公平に見ればそうに違いない。
レンがこの村を始めて見たとき、第三者的な視点で見て、あの村の状態はあまりにもリスクが高いと感じられた。実際にきっかけの是非はともあれ、レッドウルフの群れに襲われたのは事実である。残るという選択肢はやはりなかったように思える。
が、それでもウラカと話したことにより、レンの心に残る何かがあった。ウラカに手を取って感謝された。その荒れた手の感触がレンの中に残っている。
「それは何もかも思い通りにはならないのだから。誰だってそうでしょう?」
だが、ユリーシアはこの世界の厳しい現実に向き合っているようであった。
この世界ではよくあること。
それもまた一つの事実であろう。
「ウラカさんから感謝されていわね。見ていたよ」
「はい、感謝されました」
「いろいろと想定外があったけど、今回の依頼、良かったわね」
具合悪い中、ユリーシアはそう笑顔を見せてくれた。
レンの背中を強く後押ししてくれる笑顔であった。
――そうか、良かったのか。
ユリーシアの言葉に、レンは改めてそう思えてきた。
いろいろなことが起こり過ぎてレンの中では何がなんだかわからなくなっていたが、ユリーシアの言葉は優しくも力強い。レンの心の中にその言葉は、すとんと納まった。
危ないことは多々あった。
想定外のことだらけであったが、結果は悪くない。むしろ、良かった。
そして、また思う。
――ユリーシアさんは最初からウラカさんたちのことを、なんとなくわかっていたんだろうな。
この村に来た当初、ユリーシアの素っ気ない態度に釈然としないものを感じていた。
だが、違った。
彼女は彼女でウラカ一家のことを思っていたのであろう。
そんなことをレンはようやく理解した。
「ううぅ……」
と、そんな頼もしいユリーシアが道端にしゃがみ込んだ。
「だ、大丈夫ですか?」
「ごめん、ちょっと休憩良いかしら?」
「全然、ぜんぜん、もちろんです!」
そんなユリーシアが、いま現在、限界まで頑張っていた。
レンはそんな彼女を気遣いつつの、ストラーラへの帰路となった。
結局街に着いたのは翌日となった。
◇◇◇◇◇
ウラカ一家がストラーラの冒険者ギルドを訪れたのは、結局それから二ヶ月も経った後のことだった。
魔物に襲われることもなく、無事に一家はストラーラを訪れた。
レンとユリーシアとも再会し、挨拶を交わした。
一家はストラーラから更に西の街にいる親戚を頼るという。
その後の彼女たちがどうなったか、レンたちは知らない。
知る由もない。




