#5 転生
要蓮は白い世界にいた。
「ここはどこだ?」
あたり一面なにもない、どこまでも白い空間が続いていた。
「これはイベントか?」
蓮はいつもプレイしているVRMMORPG〈エレメンタムアビサス〉にログインしたところだった。通常であればいつものリスタート地点に降り立ち、すぐにゲームの世界を冒険するところである。
それが全く見ず知らずの白い世界にいた。
「これはイベントではありません」
と、突然蓮の目の前に美しい女性が姿を現した。
その女性は黒く長い髪に、白い着物に緋袴という恰好をしていた。神社にいる巫女のような、あるいはもっと古い時代の女性ような、どこか浮世離れした雰囲気を漂わせていた。
そして、彼女はこう名乗った。
「私はこの世界の神です。そうですね、アマテラスとでも呼んでください。他の神々からはそのように呼ばれていますので」
「ふむ」
その女性の発言に、蓮は少し考え込んだ。
そして、すぐに得心したように手を叩いた。
「なるほど、そういうイベントか! 急に世界観をぶち壊すような和風イベント。今回の運営は随分と思い切ったな!」
「えっ!? 違う! 違うから! 私は本物の神なのよ!」
「凄い! このNPCはツッコミまでできるのか!」
「そうじゃなくて!!」
蓮の発言にこの美しい女神様は慌ててしまったが、実のところ本物の神様だったのである。
そして、その蓮の誤解が解かれるのに、多少の時間を要した。
◇◇◇◇◇
「というわけで、ご理解いただけたかしら?」
「うーん、つまり、僕にその〈アビサス〉という世界に転生して、魔物を沢山倒して欲しいと? それでその〈アビサス〉という世界は、僕が今までプレイしてきたゲーム〈エレメンタムアビサス〉にとても良く似ている世界だから、僕なら上手くやっていけるはずだと?」
「そうですね。ざっくり要約するなら、そういう話になります」
蓮は真っ白な謎の空間にて、アマテラスと名乗る女神様から異世界への転生について滔々と説明された。
随分と長い話になってしまったので、白い世界にはいつの間にか四畳半ほどの小上がりの和室とちゃぶ台が出現していた。そこで二人でお茶をすすりながらの話である。
何しろ説明された内容が内容である。いきなり信じろというほうが難しい。
しかし、当初こそ蓮は懐疑的であったが、話を続けるうちにどうやら冗談ではないことに気づき始めた。どうやら本当に本当の話であるらしい。
しかしながら異世界への転生である。大いに困惑した。
「えーっと、もし、この話を断ったらどうなるのですか?」
「特に何も。ここでの出来事は記憶から消させてもらうけど、あとは貴方のいつもの生活に戻るだけです。そして、私は別の候補者に転生を打診する。といっても、貴方が断るとは思っていないけど?」
「それは、まあ、そうなんですけれども」
要蓮は16歳の男子高校生であったが、やや特殊な家庭の事情を抱えていた。
そして、蓮はVRMMORPG〈エレメンタムアビサス〉というゲームに極端に嵌まっていた。そのゲームの世界はそうした鬱屈とした現実を忘れさせてくれたからである。
そうした状況の上で、そのゲームと酷似した世界に行けるのだという。魅力を感じないわけがない。
だが、一方で疑問もあった。
というより疑問だらけである。
「どうして、僕なんですか?」
異世界に転生する。それが誰にでも起こる出来事だとは思えない。おそらく宝くじの一等に当たるよりも低い確率で自分は選ばれたに違いない。
だが、そんな希少なものに自分が選ばれたことが不思議であった。
「それはね、その〈エレメンタムアビサス〉での貴方のプレイを見て、貴方を転生させるのが最適だと思ったからです。何しろあのゲームは私が〈アビサス〉に転生させる人材を選別するために世に送り出したものですからね」
女神様は少し自慢気に胸を反らせた。
VRMMORPG〈エレメンタムアビサス〉は運営会社もあり、開発者の人たちも実在しているゲームである。であるが、彼ら運営者、開発者の意識に少しずつ神の力による介入が行われ、彼らの知らない異世界〈アビサス〉に酷似したゲームが世に送り出されたのだという。
実はこのゲーム、アマテラスにとっては自信作であったらしい。
「ですが、自分より上位のプレイヤーは沢山いたと思いますが?」
「重課金で上位にいてもあまり意味はないのよ。現実世界だとどうしてもそういう要素が入っちゃってね。運営会社もそこで働いている人も実在しているわけだから致し方ないのだけど」
「はあ」
「それに比べ、貴方は微課金にも関わらず上位ランカーの常連。それに殆ど死んだことのない安定したプレイスタイル。時には重課金プレイヤーすら倒してしまうほどの強さ。ま、ちょっとした変態よね」
「変態ですか?」
「変態は褒め言葉よ」
近年別の意味で使用される頻度が高い言葉であるため蓮としては抵抗があったわけだが、純粋に「常態ではない」という意味で褒め言葉として使われることもある。
「それともう一つ、貴方を選んだ理由があります」
「というと?」
「実は貴方を異世界に転生させると、この世界における貴方の存在は消えて無くなります。失踪という扱いにしても良いのですが、それだと残された者も辛いでしょう。ですから、神の力を使って要蓮という存在がこの世にいた痕跡を全て消し去ってしまいます」
「痕跡を消し去るというと、僕の知り合いとかはどうなるのですか?」
「貴方を知る人々の意識に介入して、貴方との記憶を消します。神の力ならば造作もないことなんですけど、大変は大変な作業でね。だけど、貴方の場合はちょうど交友関係の殆どが切れているから。そういった記憶を消し去る作業的にも楽なんですよ」
「ああ、まあ、そうかもしれませんけれども……」
要するに交友関係が狭いと言われているらしい。そんなことを言われても蓮としては心楽しくなれなかったわけだが、自覚はあった。
蓮は幼少期に両親を亡くしていた。それで、物心ついてからずっと祖父母に育てられていたのだが、それも長くは続かなかった。まず祖母が亡くなり、最近になって祖父も亡くなった。そして、叔父のもとへ引き取られることとなったが、田舎から東京に出て、さらに高校への進学というタイミングであった。
従来までの交友関係がほぼ切れたような状態であった。いまの自分であれば、周囲の人々から忘れ去られるのは容易であろう。
ただし、例外はある。
「僕の事情はどのくらい?」
「転生させる人物についてはしっかりと調べました。把握しています」
「そうすると、叔父さんと叔母さんの記憶も消し去る?」
「消し去ります。少し寂しいかもしれませんが、貴方が異世界に転生してしまえば二度と会えない人たちです。彼らの記憶を完全に消し去ってしまったほうが未練が残らなくて良いでしょう? 彼らのためにも、貴方のためにも」
そこまで説明されたところで、蓮は少しすっきりとしたような表情となった。
祖父が亡くなったのはつい一年ほど前のこと。
一人残された蓮は叔父夫婦の家に引き取られたが、そしてその叔父夫婦にはとても良くして貰っていたが、それでも親戚とはいえ他人の家族である。その関係は難しいものであった。
叔父には突然扶養家族が増えたことによって経済的に大変な負担をかけていたし、それで従兄妹の進路にも影響を与えていた。聡い蓮はそうしたことが理解できただけに、とても居心地の悪い思いをしていた。
優しい叔父夫婦と従兄妹の顔が思い浮かぶ。彼らが自分のことを忘れてしまうことは、とても寂しいことであった。
だが、それ以上にそんな彼らに迷惑をかけている自分がとても嫌だった。
「それで良いです。それが良いです。お願いします」
蓮は深々とアマテラスに頭を下げた。
転生すると決めた蓮の表情は晴々としたものであったが、ふと気がついたように尋ねる。
「あれ? すっかり覚悟を決めた気分なんですけど、これが僕の夢だったりとか、ないですよね?」
「ほっぺた抓ったりして良いから」
「痛いですけど。これも含めて夢だったりして?」
「そこはもう実際に転生してみるまで、心から信じるのは無理じゃないかしら?」
この白い世界は精神世界なので蓮が頬を抓った痛みも本物ではなかったりするのだが、それを話し始めるとややこしいことになるので、アマテラスは深く説明するのを止めた。
◇◇◇◇◇
アマテラスからの説得により蓮は転生すると決めた。
しかし、それですぐに「はい、転生です」とはならなかった。決めたら決めたで女神様としては伝えたいことが沢山あった。
「で、転生先の世界、〈アビサス〉と呼ばれる世界なんだけど、基本的には貴方がプレイしていたゲーム〈エレメンタムアビサス〉に酷似した世界だと思ってください」
「それは、レベルとかステータスがあって、魔法もある、ということですか?」
「そういうことです」
「わお」
ゲームに似た世界ということで期待していたが、その期待どおりの回答に蓮は素直に喜んだ。と同時に、レベルやステータスなどというものが実際に存在する社会など、なんとも面倒で大変な社会だろうとも思った。だが、このタイミングであまり深く考えても致し方ないであろう。
また当然のことであるが、転生先となる〈アビサス〉という世界とゲーム〈エレメンタムアビサス〉には差異がある。
死んだらリスタート地点に戻ってやり直しなどということはなく死は死である。マップもゲームでは狭い箱庭であったが、当然広大な世界が広がっている。そこで暮らす人々もNPCではなく、実際に生きている人々である。
「なるべくゲームの世界は〈アビサス〉の世界に似せたつもりだから、ゲームの世界で活躍していた貴方であれば、〈アビサス〉の世界にも適合し易いと思う。ただ、細部は違っているからゲームでの経験が悪い方向に出ることも考えられる。そこは注意して欲しいわ」
「了解です」
「そして、あの世界で一番大きな問題は『魔物がいる』ということ」
「それはゲームだって、そうだったでしょう?」
「それはそうなんだけど、実際に魔物がいる世界というのは厳しい世界なのよ。私はあちらの世界のことは傍から見ているだけなんだけど、あの世界は厳しいと思うわ。そこは覚悟して行って欲しいかな」
アマテラスの表情から、転生先の世界が楽しいだけの世界ではないことを蓮は感じ取った。美味いだけの話でないのは当然であろう。
「あと、一番大事なことを聞いていないと思うのですが?」
ある程度アマテラスからの説明を受けたところで、逆に蓮のほうから質問してみた。
「僕がその〈アビサス〉って世界に転生して、やるべきことって何ですか?」
「そこね。詳しく説明すると長いんだけど、端的に言うと、なるべく沢山の魔物を倒して欲しい」
「それだけ?」
「それだけって言っても結構大変なことよ。あの世界には色んな世界から転生者が送り込まれているけど、溢れかえっている魔物には焼け石に水って感じでね。そこの事情も説明するとなると長くなるから難しいんだけど」
「いやいや、説明してくださいよ。時間はあるでしょう?」
「時間がそれほどあるわけでは……。転生させるのにもタイミングってのがあって今のタイミングを逃したくないんだけど。そこ、聞きたい?」
「聞きたいですよ」
「ええぇ、聞きたいの?」
蓮の要求に渋面を作るアマテラス。
実は案外限られた時間であったようだが、その説明を省かれるのは困る。蓮は強く主張した。
その甲斐あってか、その限られた時間でアマテラスから急いで詳しい事情が説明された。と言っても、本当に急いでの説明だったので、蓮の頭には半分も入らなかったのだが。
アマテラスの説明によると、この世にはいくつもの異世界が存在するらしい。そうした異世界の中で〈アビサス〉という世界は一番「底」にあると神々は認識しているのだという。
そして問題となるのは、異世界間を移動する魔素と呼ばれる物質の存在である。それを物質と言い切ってしまって良いかはさておき、その魔素という物質はその一番「底」にある〈アビサス〉という世界に自然と落ちていき、溜まってしまう性質があるという。
結果〈アビサス〉という世界では、人々は魔法を使えることができ、魔法文明とでもいうべきものを築き上げているのだとか。だが、それと同時に〈アビサス〉では魔物が溢れかえっている。
「そして、〈アビサス〉って世界は、どう見ても魔法による恩恵よりも、魔物の弊害のほうが大きく見えるのよ」
「それで別の世界から人を送り込んで魔物を倒すことに、どういう関係が?」
「魔素はこっちの世界で発生したものも最終的には全部〈アビサス〉に落ちていっちゃうからね。とくに私たちの世界は上のほうにあるから、魔法なんて欠片も使えないでしょ? だけど魔物もいない。前者はともかく、後者を全部〈アビサス〉の世界が引き受けてくれていると考えるとね。少しは手助けしてあげないと悪いかな、って考えがあって。それで色んな異世界からこの〈アビサス〉に優秀な人を送り込んでいるわけ」
「それで『魔物を沢山倒せ』、と」
「そういうこと」
蓮としては正直に言って全然わからなかったわけだが、概念的なところは何となく理解した。
どうやら各異世界を管理する神様同士で助け合いの精神があるらしい。その一端として自分は異世界へと送り出されるのだろう。
「結局のところ、僕はゲームの世界に転生して、そこで魔物を相手に暴れてれば良いんですよね?」
「シンプルな解釈で助かります。もう、それで十分です」
背景が半分くらい理解でき、しかも自分にはあまり関係なさそうだと解釈した蓮は、早々にそのように割り切った。
「でもねえ、あの世界、ちょっと変なのよねえ」
「あの世界って、僕が転生するその〈アビサス〉って世界ですか?」
「そう、その〈アビサス〉なんだけど、底のほうにあるから自然と魔素が溜まってしまうのはわかるんだけど、それにしては変な魔物の発生の仕方していると思うのよね。だから、貴方、転生した後は十分に気を付けなさい。貴方が死んでも私は次を送り込むだけだけど、そんなに沢山の人を送り込みたいとは思ってないから」
「あ、はい。気を付けます」
そう蓮に注意をうながしつつも、アマテラスは少し俯いて考え込んだ。
時間がない、と言っていたのに考え込むアマテラス。
と、顔を上げると、蓮にこう言った。
「ねえ、貴方、少しあっちの世界の調査に協力してくれないかしら?」
「は?」
「あなた、結構話が通じるし、理解が早いから。あっちの世界の情報を少しずつで良いから、私に流してくれないかしら? 指示はこっちから出すし、そう難しいことは言わないから」
「ええ!? えーっと、詳しい説明を聞いてからでも?」
「詳しい説明……。うーん、時間が!」
と、そこからさらに大急ぎで女神様から説明を受け、大変にバタバタと慌ただしく蓮は異世界へと転生したのだった。