#45 白い翼 2
このところのレンはギルドの図書室に入り浸っていた。
ユリーシアが錬金術の仕事をしている間レンは時間が空く。九月の終わりとなり残暑もいくらか和らいだものの、〈東の木漏れ日亭〉の屋根裏部屋はまだまだ熱がこもる。そのため涼を取るのと、この世界に情報を得ること、二つの目的から図書室を訪れるようになっていた。
そしてレンが主に読んでいたのは、ストラーラ周辺の魔物情報などが主であったが、それと並行してこの世界における神話にも目を通していた。
――この世界〈アビサス〉の神々のこと、全然覚えてなかったな。
ゲーム〈エレメンタムアビサス〉にてこの世界の神々に関する知識を植え付けられたはずのレンであったが、実際のところあまり覚えていなかった。転生前の世界の神アマテラスの工夫も虚しく、レンの知識はいかに上手く敵を倒すかに偏重しいた。
主神プラウレティーネはじめとした幾柱もの神々のことは「そんなものいたなあ」程度の認識でしかなかった。
――ただ、知っておかないと調べようもないからな。
レンがこの世界に転生してきたのには裏の理由がある。
それに関して調べるにしても前提知識は必要なわけで、まずはこの世界で得られる一般的な知識から習得を試みていた。
もっとも、いくつかの神話は物語としても普通に面白かったので楽しく読むことができた。この世界の常識も知れて良いこと尽くめである。
そんなレンであったが、その日もいつもの如くギルドの図書室に向かおうとしていた。ユリーシアと一緒に薬草採取を終えた後のことである。
ギルドの中央ホールは冒険者たちの喧噪で溢れていた。一時はスタンピードによる混乱を極めたギルドであったが、以前と同じとはいかずとも一時期よりは落ち着いた雰囲気となっていた。
受付に並ぶ人たちや、依頼掲示板に群がる人たち。待ち合わせしているのか手持ち無沙汰な様子の人々。それぞれの冒険者がそれぞれの目的に従って行動していた。
そんな中、図書室のある二階に向かおうとしたレンは、ふと呼び止められた。
「レン君、ちょっと良いかしら?」
レンが振り向くと、そこにいたのは長身の受付嬢ミルフィアであった。
彼女を見たレンは破顔した。
この受付嬢には転生来ずっとお世話になっている。最近はユリーシアとのパーティーが軌道に乗ったこともあり相談する機会は減っていたが、この世界に転生して未だ友人知人の少ないレンである。話しかけられただけでも嬉しかった。
「ミルフィアさん。なんでしょうか?」
「実は〈白い翼〉のエイムアルさんという方がレン君に会いたがっているのだけど、ちょうど良かったわ。いま時間あるかしら?」
「うっ」
笑顔だったレンの表情が渋面に変わる。
というのも、〈白い翼〉がストラーラに来た際に、レンが「ちょっと火力が弱いなあ」などと悪口を言ってしまったため――もちろん悪口のつもりなどなかったのだが――、そのメンバーから酷く睨まれてしまった。
その〈白い翼〉から呼び出されたという。悪い予感しかしない。
「あいたたた、ちょっとお腹が痛いみたいなので今日のところは、ちょっと」
「くだらない冗談言ってないで、暇なら今から良い?」
「いや、なんか、冗談じゃなくて本当に胃がキリキリしてきたような……」
レンとしてはかなりの本気で抵抗したのだが、日頃の行いが悪かったのかミルフィア嬢は一向に真面目に取り合ってくれず、レンは冒険者ギルドの三階へとご案内されてしまった。
冒険者ギルドの三階は基本的に一般の冒険者の立ち入りは許可されておらず、ギルド職員や一部の上級冒険者のみに解放されている特別なエリアとなっている。レンが冒険者ギルドの三階にきたのギルドマスターへの挨拶に来た時以来であった。
「さあ、こちらへどうぞ」
「あ、はい」
そう通されたのはカフェのような場所であった。
待っていたのは〈白い翼〉の付与術士エイムアルであった。
◇◇◇◇◇
エイムアルは穏やかな男性であった。
貴族出身ということもあり立っているだけでも品位のようなものがある。だが、他者を威圧するような雰囲気はなく、自然と周囲の人が打ち解けてしまうような柔らかな雰囲気を持っていた。
しかし、そんな男性を前にしても、空気の読めないレンはガチガチに緊張してしまっていた。
「すんませんでした!!」
開口一番レンは深々と頭を下げて謝った。
これにはエイムアルも同行していたミルフィア嬢も驚いた。
「私はどうして謝罪をされたのかな?」
エイムアルは不思議そうに下げられた少年の頭を眺めた。
それに対し、この少年を連れてきたミルフィアはある程度事情を察している。
「ほら、あれですよ。彼が〈白い翼〉の悪口を言って睨まれたって」
「ああ、アレのことか」
エイムアルもすぐに理解したが、彼のほうは意に介していない。
レンの心を解きほぐすように優しく語りかけた。
「まあ、発端はその件ではあるのだけども。今日君に会いに来たのは謝らせるためじゃない。〈白い翼〉のエイムアルだ。よろしく」
そう言って右手を差し出してきた。
戸惑いつつもレンが握手をすると、暖かくも力強い手であった。
「まずは少し自己紹介しておこうか」
と、エイムアルがテーブルの上に一枚のカードを差し出す。
それはレンも見慣れている冒険者ギルドカードであった。ただ、レンのそれと違うのはランクBと表示されていることであろうか。
名前の欄には「エイムアル・デュアクレーセ」と書かれていた。この世界で家名が付いているのは珍しい。貴族出身であることが一目でわかる。
「私は最近まで〈白い翼〉の一軍パーティーで活動していたのだが、見ての通り未だにB級冒険者でね。他のパーティーメンバーに付いていけなくなって、クランメンバーの管理とか、こうしてパーティー外との渉外に当たる役割を担うようになっている」
「B級って結構ランク高いと思いますけど?」
「うちの一軍パーティーは私以外は全員S級かA級だったよ。だから肩身が狭くてね。抜けられてほっとしているよ」
そう言って笑ったエイムアルに一軍パーティーへの未練はなさそうであった。
そして、話はレンのほうへと移る。
「そして、ギルドから君の情報は見せてもらったよ。転生者だそうだね」
――この世界に個人情報の保護みたいな概念はないのか?
などと文句の一つも言いたくなったが、無いのだろう。
レンの出身世界についていくつか質問され、レンは普通に答えた。当初こそ緊張していたレンであったが、そういった受け答えをするうちに自然と話せるようなっていた。
エイムアルが本当にレンを問い詰めに来たわけではなさそうという雰囲気が感じられたからである。
などと思っていたら、話が戻ってきた。
「で、君のそういった前世での経験が、〈白い翼〉の火力が足りないと言わしめたのかな?」
そんなエイムアルの言葉にレンが緊張すると、エイムアルが手を振って笑った。
「そんなに構えなくて良いよ。問い詰めにきたわけではない。ただ、火力というのは攻撃力のことだろう? 人は図星を突かれると怒るものでね。攻撃力不足は我々〈白い翼〉が長年抱えている懸案事項なんだ。それをいかにも初心者冒険者に初見で指摘されてしまったわけだ。不思議に思うだろう? それで、今日はどうしてそう思ったのか、それを聞きに来たんだ」
そして、ようやくこの会談の目的が明かされた。




