#4 錬金術師ユリーシア 4
「逃げて!!」
ユリーシアは全力で叫んだ。
走っている最中に叫ぶのは辛かったが、それでもユリーシアは叫ばねばならなかった。
その声にレン少年は気付いたらしい。そして、その背後から追ってくるホブ・ゴブリンの存在も。
だが、それを見たレン少年は腰の剣を抜き放った。
――そうじゃない!
レン少年はホブ・ゴブリンを迎え撃つ体制を取りつつあった。
だが、彼はレベル1でしかないことをユリーシアは知っている。ホブ・ゴブリンはレベル15相当。敵う筈がない。
「逃げて! 勝てる相手じゃないから!」
必死に叫ぶも声は届かない。
――どうしよう。
全力で走りながらユリーシアは悩んだ。
レン少年は明らかにホブ・ゴブリンと戦うつもりのようであった。ユリーシアが呼びかけても翻意する気配はない。
――冒険者は自己責任。
そして、その言葉がユリーシアの脳裏に浮かぶ。
擦れ違いざまに少年を担いで逃げれるか? そんなことはとても無理だ。
となれば、彼を見捨ててユリーシアのみが逃げるしかない。レン少年が逃げないことは自己責任だ。
――ごめん、巻き込んで。
俯いて走るユリーシア。
そのままレン少年の横を駆け抜けた。
「そのまま走って! 喰い止める!」
レン少年が叫んだ。
その声にユリーシアは申し訳なく思いつつ、言われたとおりに走り続けた。
ユリーシアの後にすぐにホブ・ゴブリンが追って来ている。
最悪の事態は容易に想像できた。
ゴッ!
鈍い音がユリーシアの背後で響いた。
――あぁ。
全力で駆けつつも、ユリーシアは振り返ってしまった。見たくもない最悪の事態を見届けるために。
「えっ!?」
と、そこには予想外の光景が広がっていた。
ホブ・ゴブリンが地面に伏し、それを小柄なレン少年が見下していた。
――何が起こったの?
おそらく追ってきたホブ・ゴブリンのこん棒と、レン少年の剣が交差したに違いない。その結果としてレン少年がホブ・ゴブリンを叩き伏せたのだろう。
レベル差を考えればあり得ない結果であった。
逃げていた筈のユリーシアの足が止まる。
それでもレベル差は如実にあって、倒れていたホブ・ゴブリンがゆっくりと身体を起こした。
確かに剣で斬られた痕らしきものがホブ・ゴブリンの腹にあった。赤く腫れ上がった一筋の痕。だが、逆に言えばそれだけであった。腫れ上がっているものの斬れてはいない。
ゆっくりと立ち上がるホブ・ゴブリン。その身長はレン少年のそれを遥かに超える。レベル差だけではない威圧感がそこにはあった。
だというのに、少年に怖れる様子はなかった。
「思いっきりカウンターで入ったのになあ。やっぱレベル差が大きいか。これは大変そうだ」
呑気にそう言うレン少年の様子を、ユリーシアは逃げることもできずに見入ってしまった。
◇◇◇◇◇
ストラーラ冒険者ギルドの最上階。
この街で一番の巨大組織であり、その組織運営の頂点を担うギルドマスターの執務室がそこにある。
「失礼します」
その執務室に受付嬢のミルフィアが入室してきた。その手には数枚にまとめられた資料があった。
「昨日の異世界からの転生者に関する情報をまとめました」
「はい、ありがとう」
資料を受け取ったのはこの執務室の主。つまりストラーラ冒険者ギルドの長であるアネマリエであった。
小柄で理知的な雰囲気の初老の女性であるが、これで現役冒険者であった頃は大剣を振り回していたという。そんな彼女も現在は落ち着いて、組織運営と後進の育成に努めていた。
「本当にレベル1なのね。スキルが三つもあるのはさすが転生者というところかしら。だけど、それほど有用そうなスキルには見えないわね。性格はどんな感じだった?」
「大人しい子でしたよ。少し戸惑っているようでしたけど、礼儀正しかったですし」
「トラブルを起こすようなタイプじゃなさそうね。緘口令は?」
「関わったギルド職員には彼が異世界からの転生者であることを口外しないように周知しました。ちょうど居合わせた冒険者、錬金術師の娘もいたんですけど。そちらにも伝えてあります」
「ありがとう。それなら、あとはしばらく静観するとしましょう」
資料に目を通しつつ、アネマリエが簡単にそう結論付けた。
と、そのミルフィアが少し言い難そうにギルドマスターに尋ねる。
「でも、この対応で良いんでしょうか?」
「何か気になることでも?」
「だって転生者ですよ? もっとギルド内で情報共有して大切に扱うべきじゃないんですか? 特に彼はまだレベル1ですから、ギルド全体で見守ってあげたほうが良いのではないかと」
「見守ってあげるのは構わないけど、それは他の低レベルの冒険者と同じくらいで良いわよ。特別扱いする必要はないわ」
と、落ち着いた様子でアネマリエは答えた。
そんなギルドマスターの態度をミルフィアは不満に思ったようで、言い難そうにしながらもさらに上司に反論を試みる。
「確かにレベルは低いですし、期待は薄いかもしれませんけど、ですが彼だって転生者ですよ。将来S級冒険者になる可能性はありますよね?」
「それを言うなら他の全ての冒険者にもS級冒険者になる可能性はあるわね?」
「それは、そうですけど」
「また感情移入してるわね。まあ、そこが貴女の良いところでもあるのだけど。自分が担当した人に過度に肩入れしちゃ駄目よ」
少し興奮気味のミルフィアをアネマリエは諭した。そして、それだけでは足りないと思ったか、優しい表情で言葉を付け加えた。
「でも、ミルフィアの言いたいことはわかるわ。異世界からの転生者ってそれなりに珍しいから、少し期待してしまう気持ちは理解できなくはない。でもね、世間には知られていないだけで、異世界からの転生者でも活躍できないような人も珍しくないのよ?」
「それは私も知っています」
「この世界は魔物に溢れているから、それを見かねた異世界の神々が同情して優秀な者を転生させてくるという話だけれども、その『優秀な人』というのは冒険者として優秀という意味だけではないわ。それにこの世界に適応できずに燻ぶったまま人生を終える転生者だっている。それを世間の人たちは知らないのよね。冒険者ギルドで働いている貴女なら、そういう人を実際に見る機会だってあったでしょう?」
冒険者ギルドの受付という仕事をしていれば、必然的に冒険者のステータスを見る機会は多い。そして、思わぬ人が異世界からの転生者だったりすることに気づくときがある。
もちろん転生者で冒険者として活躍している人は多い。だが、その一方でC級、D級の冒険者に甘んじている人はもっと多い。それどころか、冒険者を諦めて市井に紛れている人すら珍しくなかった。そして、そうした転生者たちが安定した生活を営めているかと言うと決してそんなことはないわけで。
だが、そうしたことを踏まえた上で、アネマリエはそれほど悲観はしていなかった。
なおも不満そうにするミルフィアに苦笑しつつも、優しく諭すのだった。
「この転生者の少年が実際にどうなるかは私にはわからなけどね。もし彼が将来S級になるような冒険者だったら、周囲が何を言ったって関係ないわ。レベルがどうとか関係ない。転生者かどうかだって関係ない。そういう人は放っておいたって勝手にのし上がって来るんだから」
◇◇◇◇◇
ホブ・ゴブリンの棍棒とレンの剣が交差する。
細身のレンの剣が棍棒とまともに打ち合えば簡単に折れてしまうだろう。だから、レンは正面からは討ち合わない。
避けて、薙いで、叩いて、ホブ・ゴブリンの棍棒を翻弄する。
そして、隙を見ては急接近して、ホブ・ゴブリンに打撃を与えていた。
――凄い。
それを見ていたユリーシアは静かに驚いていた。
レベル1のレン少年がレベル15相当の魔物と互角に戦っている。否、互角以上ですらあった。
ユリーシアですら戦えないと判断したホブ・ゴブリンを相手にである。
ユリーシアはレベル14。だが、錬金術師を生業としており、魔物との戦闘は護身を主としたものである。だから、実際のレベルよりもユリーシアは弱い。ステータスの補助があったとしても、ホブ・ゴブリンと戦うことなどとても無理だ。
それに対し、レン少年はレベル1であるが、間違いなく彼は生粋の戦闘職であろう。そして、それを証明するように、彼は大柄なホブ・ゴブリンから繰り出される棍棒の強撃に臆することなく立ち向かっていた。
――だけど、このままじゃ勝てない。
レン少年の剣はホブ・ゴブリンを何度も叩いている。だが、ホブ・ゴブリンの肌には打撃痕が赤く腫れ上がるものの、出血には至らず。
それよりもホブ・ゴブリンの棍棒がいつレン少年を捉えるかと、ユリーシアはハラハラと見守るしかできなかった。
どごっ!
と、レンの新たな打撃がホブ・ゴブリンを捉えた。
それはホブ・ゴブリンの膝を強かに打ち付け、それを破壊したらしい。
ホブ・ゴブリンが片膝を突いた。
「ようやくダメージらしいダメージが入ったな」
巨体のホブ・ゴブリンの膝が土に汚れる。それを見下す小柄なレン少年。
均衡が崩れた。
レン少年がホブ・ゴブリンに猛攻をしかける。それまで届かなかった顔周辺への攻勢を強めた。
的確に眼球や口腔、頚椎、左胸へと剣を突き入れようとするレン少年と、それを防ごうと躍起になるホブ・ゴブリン。
と、眼球に剣を突き立てられるのを厭わず、ホブ・ゴブリンが棍棒を大きく振り回した。
それはレン少年を捉えることはできなかったが、そのまま地面を抉り、石礫を周囲にまき散らした。
苦し紛れの一手。だが、その被害は甚大であった。
「ぐっ……」
至近距離で石礫を受けたレン。間一髪で身体を回転させ受け流したものの、大量の石礫が少年を打った。
結果、レンの身体は血塗れとなっていた。
これがレベル差、ステータス差の横暴である。
同レベル帯であればかすり傷程度で済んだであろう石礫であったが、ステータスにおける攻撃力の差、防御力の差によりレン少年は甚大な被害を被った。
片目を潰されたホブ・ゴブリンが不敵な笑みを浮かべる。
そして、流血したレン少年もまた同様に笑う。
傍からみていたユリーシアがその表情に気付く。だが、それは戦闘職ではない彼女には理解できないものであった。
「やっぱ、そう簡単には行かないよな!」
そして、ユリーシアに見守られる少年は、全身から血を滴らせつつも、ホブ・ゴブリンへの猛攻を再開した。
そこからは一方的な戦いとなった。
学習したホブ・ゴブリンの棍棒が頻繁に地面を抉る。だが、こちらも学習したレンは石礫ごと棍棒を避ける。
そして、隻眼となったホブ・ゴブリンの死角に回り込み、一方的に攻撃を叩きつけた。
残りの眼球を、口腔を、それに負傷した膝を執拗に攻撃した。弱点となりそうな部位にひたすら攻撃を仕かける。
そして、長い攻撃の末、ホブ・ゴブリンは遂に地面に伏したのだった。
「ようやく削り切ったって感じか」
倒れたホブ・ゴブリンを前に、レン少年は当然のことのように嘯いていた。
◇◇◇◇◇
ホブ・ゴブリンを倒したレン少年が振り返り、ユリーシアに声をかける。
「すみません。僕だとなかなか剣が入らないみたいなので、これにトドメ刺してもらって良いですか? 完全に死んでるか怪しいので」
その声により、ユリーシアは傍観者から当事者へと戻った。
突然、当事者へと戻ってしまったユリーシアは慌てた。
石礫を受け全身血塗れのレンと、地面に伏したホブ・ゴブリン。どちらも大変な状態であるのだが、あわあわと慌てた挙句、結局はレン少年の指示に従った。
ホブ・ゴブリンの首にユリーシアの短剣が突き立てられた。これでさすがのホブ・ゴブリンとて起き上がってくることは無いであろう。
安全が確保されたところで、ユリーシアはレン少年に駆け寄った。
「ごめんなさい、巻き込んじゃって。こんな大怪我させてしまって」
「いえ、血は出てますけど表面だけで骨が折れてるとかじゃないですから。大怪我というほどでは」
心配そうにするユリーシアに対し、全身から血を流しつつもレン少年は呑気な感じであった。
「でも痛いでしょう?」
「すげー痛いです」
だが、痛いことは痛いらしい。当然である。出血も酷い。
そんなレン少年を前に、ユリーシアは自分の荷物を地面に広げ、ごそごそとアイテムを取り出した。
「それは?」
「廉価ポーション。私、錬金術師なの。そのままじっとしていて」
レン少年を立たせたまま、ユリーシアは薬瓶に入った廉価ポーションを振りかけた。
すると、振りかけた箇所が淡く輝き、レンの全身にあった傷が見る見る回復していった。
「おー、凄い!」
「あと、深い傷が残るといけないから、これ飲んで」
そう言ってユリーシアはもう一つの薬瓶をレン少年に渡した。
それを受け取ったレン少年は、瓶のコルク栓を開けると、クンクンと匂いを嗅いだ。
「ポーションを飲むのは初めて?」
「はい。これ、普通に飲めば良いだけですか?」
「うん、飲むだけよ」
そう言われ、レン少年は薬瓶をグイっと呷った。
と、少年が渋面を作る。
「味あわないで! 味はアレだから! 喉の奥に一機に流し込む!」
ユリーシアが慌てて言ったが、もう遅い。
「ああ! ああああぁ! あああああああぁぁぁ!」
レン少年は舌を出して、ユリーシアに非難の眼差しを向けていた。
「ごめんなさい、異世界人だったものね。常識が違うのよね。廉価ポーションを味わうとは思ってなくて」
「ほえ、ほふひふおうあったんふぇふか(これ、飲む必要あったんですか?)」
「ごめんなさい、聞き取れない。あと、味覚は一日くらい麻痺しちゃうから」
「ふぇえええぇぇぇ!?」
◇◇◇◇◇
〈東の木漏れ日亭〉
夕食の時刻となると、一階の食堂は宿泊客たちで溢れる。
といっても、女性客の多いこの宿は冒険者都市たるストラーラの中では比較的に落ち着いた雰囲気である。もっとも女性たち特有の姦しさはあった。
そんな食堂にてユリーシアは一人で食事を取っていた。
食べているのは兎肉の香草焼き。ストラーラにおいては安くて美味しい定番の料理である。この〈東の木漏れ日亭〉の亭主は料理が丁寧なので、安い料理であるが味覚を大いに満足させてくれる。
そんな料理に舌鼓を打ちつつ、ユリーシアは昼間の出来事を思い返していた。
――今日は凄いものを見た。
レン少年のことである。
――彼は間違いなくレベル1だった。冒険者ギルドで見たんだから間違いない。
――ホブ・ゴブリンが地面を抉って石を飛ばしてきただけで大怪我をした。やっぱりレベル1の防御力しかなかったんだ。
――それなのに、ホブ・ゴブリンを倒した。
思い返すにつけ、危険な出来事であったと思う。
だが、危険な筈なのに、レン少年は臆することなくホブ・ゴブリンに立ち向かい、そして倒した。倒した後も大喜びすることもなく平然としていた。
――凄い。
ただただそういう感想しか浮かばなかった。
――異世界人とはああいうものか。異世界で生まれ育ったからこそ……、いえ、たぶん違う。おそらく、彼は今も私とは異なる世界に生きているのだろう。
――ああいう人が将来S級冒険者とかになるんだわ。きっと彼は、とんとんとーん、と上位ランクに駆け上がっていくに違いない。
――しがない草莽派の錬金術師でしかない私とは大違いだ。
ユリーシアは自分の分をわきまえている。自分は彼のように駆け上がっていく者ではない。
それでも彼と出会えたことは良かったと思う。少なくとも今日は助けてもらったし――レン少年と出会わなくても逃げ切れたとは思うが――、得難い経験をしたことは間違いなかった。
と、そんなことを考えていたユリーシアの横に、気が付けば宿の女将のエリザがいた。
「どうしたの、シアちゃん。ニマニマして?」
「うわっ! エリザさん!」
「何か良いことでもあった?」
「良いこと? 良いことかな? どちらと言うと悪いことだったと思うけど」
「あらら、どうしたの?」
レン少年の活躍に思いがけず遭遇したのは良いことであったが、そもそもホブ・ゴブリンに遭遇したことはどう考えても悪いことであった。総合すると本日の出来事は悪いことであったと思う。
結果としては決して悪くなかったのだが。
ともあれ、ユリーシアは少しだけ考える。
ユリーシアとしても今日の出来事は誰かに話したくて仕方なかった。
かのレン少年が異世界人であることは冒険者ギルドから口止めされている。だが、口止めされているのは異世界人であることのみ。それ以外のことは別に話しても問題ないだろう。
「今日、結構大変なことがありまして。エリザさん、ちょっと聞いてくれます?」
「ほうほう、聞きましょう」
そうして〈東の木漏れ日亭〉の夜は更けていき、ユリーシアは再び日常へと戻っていった。
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名前:ユリーシア(種族:人間、年齢:20歳)
レベル:14(クラス:薬草採取士)
VIT:9(E-)
ATK:7(E-)
DEF:21(D-)
INT:14(E)
RES:12(E)
AGI:11(E)
スキル:鑑定(薬草)、魔力操作Ⅰ