#32 兆候 1
〈青石のダンジョン〉を攻略して数日。
レンはストラーラの街周辺での魔物狩りに精を出していた。アマテラスとの交信という目的を達成したことにより、〈青石のダンジョン〉での活動はいったん終了である。
そもそもレッドサジタリーの攻略はかなり無理をしていたのだが、そこは異世界に一人でいる寂しさが彼を突き動かしたのかもしれない。
ともあれ、これまで懸命にダンジョン攻略に勤しんでいたレンであったが、その行動は少し落ち着いたものへと変わっていた。
――ストラーラ周辺の魔物だと経験値少ないからなあ。
――レベル5まであと少しなんだけど。
活動を鈍化させたことによりレベルアップも期待できなくなった。ちょうどレベル5と10の壁に阻まれたような形となったが、これに関しては致し方ないとレンは受け入れていた。
これまで命の危険を冒してまで懸命にレベルアップを図っていたレンである。そんなレンが停滞を受け入れた理由は、ダンジョン攻略が一段落したという以外にも実はあった。
「暑い! とにかく暑い!」
ストラーラの街は八月を迎えていた。
この世界の暦も一年は十二ヶ月である。と言っても閏月があったりして微妙に異なるのだが、八月が夏というところは同じで、夏真っ盛りとなっていた。
ここが北半球なのかとか、そもそもこの世界でも地球は丸いのかとか、不明なことは多いが、ともあれ現在このストラーラの街は酷暑に見舞われていた。
夏は冒険者にとってあまり嬉しくない季節である。
鎧を着こんでいるだけで汗だくとなってしまうし、草原や森は草木が茂り、魔物を見つけ難くなる。水分補給も欠かせないとなると、どうしても荷物が増えてしまう。
そうした酷暑を凌げるということで〈青石のダンジョン〉には低レベル帯の冒険者がかなり増えているという。冒険者が増えると魔物の取り合いなど不要なトラブルが予想される。〈青石のダンジョン〉からレンの足が遠のいた理由の一つである。
――まあ、いいや。この際しばらくは装備を整える方向で活動していこう。
ミルフィアからの勧めで冒険者ギルドの講習を受けたことにより魔物の解体を覚えたレンは、一角兎を狩ればそれなりに稼げるようになっていた。
転生以来ずっと金銭的に余裕がなかったので、むしろ良い機会と気持ちを切り替え、一角兎狩りに精を出していた。
――といっても、肉が銅貨3枚、革が銅貨2枚。それに一番高い角でも銅貨5枚だからなあ。丁寧に処理したとしても全部で銀貨10分の1にも満たない。
――コツコツやるしかないか。
ストラーラ周辺の草原は遭遇率が低いので、一日で三匹も見つけられれば良いほうである。その上、レンは暑さから日中は活動を避けており、朝夕のみ狩りを行っていた。なので、実際の収入としては一日で銅貨30枚程度にしかならない。
それでも現在の宿代程度にはなるが――これは冒険者ギルド宿泊所二号棟が極端に安価だからである――、もっと良い宿に泊まるとなると全くもって足りない。装備を整えるにしてもこの程度の収入では時間がかかるであろう。
――どうしたものか。
ただ、夏の暑さから積極的に活動したくない気持ちもあって、レンの冒険者としての活動は停滞を余儀なくされていた。
◇◇◇◇◇
夏であろうと酷暑であろうと、ストラーラの冒険者ギルドは年中無休である。
冒険者など何かノルマがあるような仕事ではない。働くも休むも自由である。だが、基本的にこの世界の人々は勤勉なようで、殆どの冒険者が夏だからといって休んでいる様子はない。
もっとも収入が不安定な職業であるし、生活に余裕がある者は一握りである。純粋に休んだりする余裕がないだけかもしれない。
冒険者ギルドの中央ホールは柱が林立する大空間で、天井が高く、風通しも良い。人混みにも関わらず、そこを訪れたレンは涼しい風が通り抜けていくのを感じた。
――ああ、涼しい。もう、夕方までここで涼んでいようかな。
他の冒険者たちも似たようなことを考えるようで、この季節の冒険者ギルドは意味もなく混雑するらしい。一度冒険者ギルドを訪れるとなかなか外に出たがらず、中には涼を取るためだけに訪れる冒険者もいるのだとか。
――それにしても、ちょっと今日は人が多過ぎじゃないか?
ところがこの日、冒険者ギルドを訪れたレンは、いつもと違う雰囲気を感じ取った。
ただ、人が多いというだけではなく、行き交う冒険者たちの表情がどこか厳しい。
――何かあったのか?
中央ホールの奥。受付カウンターのほうに人垣ができていた。レンがこの冒険者ギルドに通うようになってから初めて見る光景であった。
背の低いレンでは人垣の奥がどうなっているのか見えなかったが、声は聞こえる。どうやらギルド職員が大声で冒険者たちに呼びかけているらしい。
「現在、冒険者ギルドはスタンピードの兆候を確認しています! 本日をもってギルドはいったん通常の依頼受付を中止しています! ストラーラ周辺の魔物の分布に変化の兆しがあります! 冒険者の皆さんにはくれぐれも慎重な行動をお願いします!」
そのような声を聞こえた。
――スタンピード?
スタンピードとは魔物が大量発生し一斉に暴走する現象である。
ゲーム〈エレメンタムアビサス〉においてはイベントとして月に一回程度発生していた。このイベントが発生すると、各エリアに通常出没しないような強力な魔物が大挙侵入してくるので、初心者がイベントと気づかずに死んでしまうことが良くあった。
高レベル者にとっては珍しい魔物が沢山現れるので楽しいイベントであったが、初心者にはいつものエリアに不相応に強い魔物が出現する迷惑なイベントとなっていた。
――そうか、この世界でもスタンピードは発生するのか。
――ひょっとしてアマテラスが言っていたのはこれか?
先日、転生元の世界の神アマテラスとの交信において、「貴方がいる地域の魔物の動きが少しおかしいから本当に気をつけなさい」という気になる一言を告げられていた。それがこのスタンピードのことを指しているように思えた。
ただ、現状のレンはレベル4に過ぎず、できることは限られる。
――これは開店休業になっちゃいそうだな。
もし本当にスタンピードが発生するならば、かなり行動を制限されてしまうだろう。だが、レンは最悪の場合「異世界転生者 支援金」に頼ることができる。なるべくなら頼りたくないとは思っていたが、スタンピードとなればやむなしであろう。
しかし、この世界の冒険者はレンのような者ばかりではない。周囲を見渡せばギルド職員に喰ってかかっている冒険者の姿も見られた。普通の冒険者にとっては死活問題であろう。
そんな喧噪に包まれる冒険者ギルドのホールで、レンは見知った顔を見つけた。胡桃色の髪を後ろ髪にまとめ、一本かんざしで留めた錬金術師の女性である。
「ユリーシアさん!」
その女性を見つけたレンは嬉しそうな声を上げて駆け寄った。
先日、〈青石のダンジョン〉を攻略したレンは、約束どおり真っ先にユリーシアのもとへと報告に訪れた。レベル4のソロで本当にダンジョンをクリアしたことに驚かれたが、と同時にとても褒められた。
その後、レンがダンジョン攻略を控えたことによりポーションの購入もなくなっており、彼女とはそれ以来の再会である。
「珍しいですね。こんなところで」
「あら、レン君。なんだか大変なことになっちゃったわね」
「大変そうですねえ」
「他人事みたいに言うけど、レン君だって困るんじゃないの?」
「困りはするんでしょうけど、初めてのことでどうしたものかと」
「そうか。レン君がこの世界に来てからスタンピードは初めてだものね」
ユリーシアは中央ホールに掲示されている魔物発生状況の地図を見ていたらしい。そこにはストラーラ周辺の森全体に「要注意、低レベル冒険者の活動は非推奨」との注意書きがされていた。
「本当に困ったことになったわね。私も薬草を取りに行けなくなって、どうしようかって悩んでいたところ。このあいだレン君と大量に薬草の採取をしておいて本当に良かったわ。あれがなかったら私の仕事はしばらくお手上げだったかも」
「そうか。ユリーシアさんにもそういう影響があるんですね」
「もちろんよ。当面は今ある薬草で凌げるけど。これがいつまでも続くとね……」
と、騒然としたギルドホールの人混みの中、レンとユリーシアが良く知るギルド職員の姿を見つけた。ギルドの制服をきっちりと着こなしたスタイルの良い長身の女性である。
忙しそうにしているところ悪いとは思ったが、二人はその受付嬢ミルフィアに話しかけた。
「ミルフィアさん、すみません。スタンピードって」
「あら、レン君とシアちゃん。そうなのよ。スタンピードの兆候が確認されて。二人とも掲示はちゃんと見た?」
「掲示?」
「あっちに詳しいことが書かれているから、って。あれじゃ無理か」
と、ミルフィアが指さしたほうには冒険者たちの人垣ができていた。
「二人とも。いまはストラーラの近くでも森とかには入らないようにね。特にレン君! いくらレン君が強いといっても、今は危ないところに突っ込んで行かないように!」
「あ、はい。わかりました!」
「その元気の良い返事で危ないことをするから君は要注意なのよ。本当にわかってる!?」
そうレンは鼻先に指を突き付けられてしまった。
すっかり信用を無くしてしまっているようだ。
「それで、スタンピードは発生するんですか? 発生するとしたらどれくらいで?」
そんな二人の茶番は置いといて、ユリーシアが気になっていることを尋ねた。
おそらくこの場にいる全冒険者が聞きたかった事であろう。周囲の冒険者たちがそれとなく聞き耳を立てている様子が伺えた。
「大丈夫よ。スタンピードは発生させない。ちゃんとギルドも手を打っているから。いまは大変な感じになっているけど、しばらくでこの騒ぎは収まるはずよ」
ミルフィアが力強く言い切った。
その言葉に聞き耳を立てていた周囲の冒険者たちが少し静まった。
ともあれ、冒険者ギルドが何か対策をしているのであれば、その職員であるミルフィアも忙しいはずである。
「それじゃ、私はもう行くね。それとレン君はくれぐれも無茶な真似をしないように!」
人混みの中を縫うように駆けていくミルフィアを、レンとユリーシアは見送った。
と、ユリーシアがレンに重ねて忠告する。
「レン君、本当に変なことしちゃ駄目よ?」
「ミルフィアさんもユリーシアさんも、僕のことを何だと思ってるんですか。スタンピードだとどんな魔物が出てくるかわからないし対策のしようがないんで、しばらくは大人しくしますよ」
――あ、なんかこれ、本当に大人しくしそうだわ。
レンの返答を意外に思いつつも、ユリーシアは少し安心した。




