#30 対レッドサジタリー戦 2
――厄介なことになった。
〈青石のダンジョン〉のボス、レッドサジタリーに挑むこと四日目。
その夜、キャンプ地に戻ったレンは焚火の前で、この日の出来事を振り返った。
初回に強襲をかけたまでは良かったが、そこで逃げられて以降、レッドサジタリーはまともにレンと相対しなくなった。
ゴブリンの群れの中にいてもレンの姿を見ると他のゴブリンたちを見捨てて逃げ出すようになった。稀に姿を見せる時は必ず背後に回り込んだり物陰に隠れており、一矢を放つとすぐに逃げ出してしまう。
――そもそもソロでの討伐は無理ではないだろうか?
――ストラーラに戻ってしまおうか?
そう思ったが、今のレッドサジタリーをこのまま放置することに懸念があった。
現在のレッドサジタリーは明らかにレンとの対戦で経験値が上がっている。おそらく通常のレッドサジタリーよりも遥かに討伐し難くなっていると思われる。レッドサジタリーに挑む冒険者はそれほど多くないだろうが、このまま放置して他の冒険者が酷い目にあったらと思うと責任を感じる。
――自分の不始末だろうから、自分で片づけないといけないよな。
しかしながら、今回持ってきた食料は五日分。
レッドサジタリーに挑戦できるのは、いずれにせよ明日が限界であった。
――さて、どうするべきか?
レンは焚火の炎を眺めながら考え込んだ。
◇◇◇◇◇
翌日、レンは再び5層に挑んだ。
身を小さくし、細い通路から広間の空間をのぞき込む。すると、ゴブリンの群れとレッドサジタリーの姿があった。
魔物たちはまだレンに気づいていない。
だが、レッドサジタリーまでの距離はある。
――強襲、あるのみ。
レンは物陰から飛び出した。
慌てるゴブリンたちには構わず、レッドサジタリーのほうへと一直線に向かう。
当然のように緑色のゴブリンたちが立ち塞がる。
その数、五匹。
――要流、裏太刀、旋毛!
レンがその五匹を瞬く間に斬り伏せると、レッドサジタリーは驚愕の表情を浮かべた。
早々に反撃を諦め、奥の通路へと逃亡する赤いゴブリン。相変わらず逃げ足は速い。
前日までのレンであればここで追撃の手を緩めていたであろう。だが、今回は危険を承知で通路を追う。
「ギャ! ギャッ!」
追ってきたレンの姿を見たレッドサジタリーが悲鳴のような声を漏らしていた。
この狭い通路で矢をつがえる余裕はないらしい。
「待てぇ! コラアアアァ!!」」
普段どちらかと言えば大人しいレンであったが、この時ばかりは鬼の形相でレッドサジタリーを追い回した。
途中で通路が別の広間に接続すると、そこには再びゴブリンの群れが。
だが、レンは構わずにゴブリンの群れに突入すると、右へ左へと斬り捨てた。
「ギャアアアァ!」
これには溜まらずレッドサジタリーが驚愕と悲鳴が入り混じった声を上げた。
だが、レンはお構いなし赤い弓兵を追い回す。
通路から通路へと執拗に追う。
だが、再度別のゴブリンの群れと遭遇したところで、レッドサジタリーを見失ってしまった。
「クソっ!」
残されたゴブリンをすべて斬り伏せたレンは、悔し紛れに倒したゴブリンの頭を蹴った。
◇◇◇◇◇
強襲に失敗したレンであったが、今回は諦めるつもりはない。
再び探索を再開すると、今度はレッドサジタリーのいないゴブリンの群れと遭遇した。
――ゴブリンに不審な点はない。
前日の経験から、一見通常のゴブリンの群れであっても物陰にレッドサジタリーが潜んでいる可能性がある。だが、その場合はゴブリンたちの挙動でわかるはずであった。
――今回はいないか。
安心して物陰から飛び出したレンであったが、数匹のゴブリンを倒したその時である。
矢が飛んできた。
――え!?
足に矢を受けてしまった。
太ももに矢を受けたレンの足が鈍る。だが、ゴブリンに遅れを取るほどではない。
痛む足を無理に動かし、残るゴブリンを斬り伏せたが、見ればレッドサジタリーの姿はどこにもなかった。
――どういうことだ?
ゴブリンの群れに不審な点はなかった。だが、明らかにレッドサジタリーは潜んでいた。ゴブリンたちを上手く自然に振る舞うように指示したか、あるいはゴブリンたちにも黙っていたか。
いずれにせよ、どんどん厄介になっていくレッドサジタリーにレンはますます後に退けなくなった。
――このレッドサジタリーを放置するのは駄目だろう。
レッドサジタリーの学習速度が加速度的に高まっているのを感じた。
このままこの個体を放置し、もしレベル7前後の冒険者パーティーが数を頼みに挑んだならばどうなるだろう? 倒せるかもしれないが、死傷者がでないとは限らない。
もちろん、レンはストラーラの街に戻ったらすぐに冒険者ギルドに報告するつもりであったが、それで他の冒険者すべてに周知されるとは限らない。それに、レンがストラーラに戻る前にレッドサジタリーに挑む冒険者がいるかもしれない。
考えすぎかもしれないが、レンは責任を感じていた。
足に受けた矢を引き抜いて、下級ポーションを半分振りかけて、半分を飲み干す。廉価ポーションと違って飲み易い味となっていることが有難い。
――いや、待てよ?
あのレッドサジタリーの個体はレンとの戦闘において急速に学習を重ねている。
今回レンを負傷させた作戦は、あの個体にとって明らかに成功体験であろう。成功体験があるのならば、それを繰り返すのではないだろうか?
レンとて強襲に固執していたのは、その初回にて手応えを感じたからである。
――それを逆手に取れないだろうか?
◇◇◇◇◇
レンが通路から広間を見ると、ゴブリンの群れがいた。
ゴブリンたちに不審な点はない。
だが、レンはすぐにその場から引き返した。
――5層の地図は頭に叩き込んである。
この〈青石のダンジョン〉は一層からずっと細い通路と、少し開けた広間が繰り返す洞窟状のダンジョンとなっている。
ボスがいる5層も同じで、広間と通路が網目状に広がっている。
――おそらくあの広前の奥の通路にレッドサジタリーが潜んでいる。
先ほどの成功体験を得たなら、きっとそうするだろう。あれを繰り返せばレンを殺せる、とあのレッドサジタリーは考えるはずであった。
それを逆手に取るべく、レンは別の通路からその背後へと回り込もうと考えた。
途中別のゴブリンの群れと遭遇したが、なるべく大きな音を立てないように静かに始末した。
そして、目的の通路へとやってきた。
足音を立てないように慎重に奥へと進む。
薄暗い通路に身をかがめるようにして進むと、果たしてそれは居た。
――やった! 完全に向こうを気にしている。
レッドサジタリーはおそらく広間に現れるであろうレンを警戒し、物陰に隠れるように身を潜めていた。
そのさらに背後に身を潜めるレンは、内心で笑い出しそうになってしまった。
だが、いま声を出すわけにはいかない。
散々苦労させられたレッドサジタリーを倒す千載一遇のチャンスである。
息を潜めてゆっくりとレッドサジタリーの背後ににじり寄る。
ブーツが小石を踏む音がやけに気になる。
呼吸が自然と荒くなる。
逸る気持ちを懸命に抑える。
そして、これ以上近づいたらバレるという距離まで来たところで、レンは跳躍した。
ほんの僅かな足音。だが、それに反応したレッドサジタリーが振り返る。そこには驚愕の表情があった。
慌てて逃げ出そうとする。
しかし、もう遅い。
レンが剣を振り切ると、レッドサジタリーの背中が鈍い音と共に大きく斬り裂かれた。
倒れたレッドサジタリーが痙攣していたが、レンはその左胸に剣を突き入れトドメを刺した。
終わってしまえば実に呆気ない幕切れであった。
「ふうぅ」
完全にレッドサジタリーが事切れたことを確認したレンは、あまりにも呆気なく終わったことに何とも言えない気持ちとなった。
ゲームであればボスを倒せばファンファーレくらい鳴ったのだが、もちろん現実世界でそんなことはない。思い返せばレベルアップ時に身体が淡く光ったのは、まだしも演出があったほうだったと思う。
と、レッドサジタリーが潜んでいた通路から広間のほうを見ると、そこにいたゴブリンの群れがレンに気づいたようで、向かってくるところだった。
「なんだよ。もう少し余韻に浸らせて欲しいな」
致し方なくレンはゴブリンの群れの相手をした。




