#26 特製ポーション 2
レンは〈青石のダンジョン〉のボス、レッドサジタリーに挑む準備を着々と進めていた。
まずは、弓対策として頭部を守る鉢金と身代わりの石を購入した。
身代わりの石については、実際に装備した状態でゴブリンの攻撃をわざと受けて、どのような効果をもたらすか実証実験も行った。
――頭部の対策はこれで良し。
――あと胸も対策したほうが良いだろう。
ヘッドショットの対策はできたが、同じく左胸部に直撃を受けると即死の危険がある。頭部にせよ胸部にせよレッドサジタリー程度の弓矢であれば即死しない可能性のほうが高いが、万が一を考えると対策を疎かにはできない。
新たに革製の胸甲を購入したレンは、その前後に身代わりに石を装着した。
――あとは、それ以外のところに矢を喰らった時の対策だけど、そこは廉価ポーションの大量購入でなんとかしよう。
致命傷を負う可能性のある部位以外は、基本的にダメージを受けた上で回復する方針である。
ということで、レンは冒険者ギルドほど近くで露店を開いているマクセルのもとへと向かった。
「すみません。三日後くらいなんですけど廉価ポーションを15本くらい用意できますか?」
「は? ちょっと待て」
突然のレンの問いかけに露天商マクセルは慌てた。
少年が久々に顔を見せたかと思えばこれである。
目の前の少年が普通ではないということは既にマクセルも承知している。
この時折現れては錬金術師ユリーシアの廉価ポーションを大量購入する少年は、実は異世界からの転生者であるという。レベル1でも〈青石のダンジョン〉に潜れるくらいの実力があるという非常に印象深い人物であった。
最近では週に一回ほどのペースで現れ、廉価ポーション数本の購入を繰り返していた。購入本数こそ減ってきているものの依然として得意様である。
だが、今回の注文はあまりにも突飛に感じられた。
「おいおい、少年よ。廉価ポーションを15本なんて、何に必要なんだい?」
「いえ、あの、〈青石のダンジョン〉のボスに挑もうかと思って」
「それで廉価ポーションが15本も必要なのか? それはいくらなんでも危険に過ぎるんじゃないかな? いままで散々ポーションを売っておいて何だが、ポーション頼みの冒険は良くないぞ」
「いちおう冒険者ギルドとも相談した上で挑むので、大丈夫かと」
「ふーむ」
以前にも同様の忠告を少年にしたことがあったが、その後もマクセルは彼に廉価ポーションを売っていた。ユリーシアとも相談してのことである。
だが、さすがに今回の注文は非常識に過ぎる。
「わかった。ユリーシアさんに相談してみるよ。だけど、彼女の都合もある。いきなり三日後に15本なんてどうかなあ」
「そんな感じなんですか」
「とりあえず、彼女に聞いてみるから明日もう一回ここに来い」
「わかりました。よろしくお願いします」
元気良くそう返したレンは、露店の立ち並ぶ街の通りへと消えていった。
そんな彼の後ろ姿を見ながら、マクセルは思う。
――彼には儲けさせてもらったが、ここらが潮時かね。
◇◇◇◇◇
翌日、再びマクセルの露店を訪れたレンは、そこに錬金術師ユリーシアの姿があることに驚いた。てっきりマクセル経由で回答を聞くだけと思っていた。
「レン君、聞いたよ。〈青石のダンジョン〉のボスに挑むんだって?」
「あ、はい」
「また、無茶なことを。ミルフィアさんに相談はしているの?」
「いちおう相談しました。渋い顔されましたけど、納得はしてもらっています」
「ミルフィアさんも了承済なのかあ」
あとでミルフィアに裏を取ろうとは思ったが、おそらくレンが嘘を付いていることはないだろう。前回あれほどこっぴどく叱られたのだから。
となれば、ユリーシアとしても協力してやる方向で動いたほうが良い。
「それで、少年よ。一つ提案なんだがな」
そこで露天商マクセルが口を開いた。
「お前さんのポーション購入だがな、今後はユリーシアさんと直接取引したらどうだい?」
「直接取引?」
「ユリーシアさんと話したんだがな、俺を通さないで彼女から直接ポーションを取引してもらったほうが良いと思ってな」
「オッさんは、それで良いんですか?」
「オッさんじゃなくて、俺の名はマクセルだ。まあ、お前さんには名乗ってなかったかもしれんが」
レンが驚いたのは、今のままマクセルを通しての取引を続けたほうが彼の利益となるからである。商人というのは仲買が仕事なわけだから、直接取引するならば彼の利益はなくなってしまう。常識的に考えれば直接取引を進めてくる商人などいないだろう。
「お前さんとの取引は俺の商売の範疇を越えているんでな。いままで十分儲けさせてもらったってことで。このままお前さんにこのポーションを売り続けるのは俺にとっても良くないんだよ」
だが、マクセルにはマクセルなりの論理があるのだろう。おそらく彼なりの商人としてもっと広い視野での判断であろうが、いずれにせよレンにとっては有難い話であった。
「というわけで、マクセルさんからの有難い申し出もあったことですし、少し詳しい話を聞かせてもらえるかな?」
と、ユリーシアが身を乗り出してきた。
実のところ、これはユリーシアにとっても嬉しい話だったのである。
◇◇◇◇◇
〈東の木漏れ日亭〉、それはストラーラの裏路地にあるこぢんまりとした小さな宿であった。
若い夫婦が切り盛りする宿で、美味しい料理を売りとしながらも同時に少し量が少ないということで、比較的に女性客が多い宿である。
ユリーシアもそんな女性客の一人で、この宿での暮らしは二年を超えようとしていた。
「ただいま」
「あら、おかえり、いっ!?」
女将のエリザがユリーシアの姿を見て、さらにその後ろから付いてきた少年の姿を見て固まった。
そして、彼女はドタドタを奥へと入っていき、亭主であるバクドゥと話す声が聞こえた。
「あんた、大変、大変! シアちゃん、男の子を連れて来た!」
「なに、彼氏か?」
「ちょっと年下っぽかったわよ」
「意外だな」
などと会話が駄々洩れであった。
「違います! 商談です!!」
ユリーシアが大声で否定したのだが、エリザが厨房から顔だけ出して心から悲しそうな表情を見せた。
「ええ、違うのお? 面白くない」
「他人の恋愛事情を娯楽にしないでください! まったくもう。それじゃ、話は私の部屋でしましょう。五階よ」
そう言ってユリーシアはレンを連れて階段を昇っていった。
「お、部屋に連れ込んだぞ」
「いきなり部屋に入れるのね」
その背後で亭主夫妻がヒソヒソと話ていたが、もはやそれは無視である。
◇◇◇◇◇
ユリーシアの自室。
彼女自身は心の中で「アトリエ」と呼んでいたが、ベッド一つにテーブルと椅子が一組だけという実に簡素な部屋であった。
壁面には様々な薬草が乾燥と保存を兼ねて吊るされている。部屋の中には薬草の独特な香りが漂っていた。
「適当にベッドにでも座って」
「あ、はい」
レンはきょろきょろとユリーシアのアトリエを眺めながら、言われたとおりベッドに腰を下ろした。
だが、その顔は真っ赤になっており、身体もカチンコチンに緊張させていた。
実のところレンにとって前世から通じて初めて訪れた女性の部屋であったかもしれない。無理もない。
――わー、エリザさんが変なこと言うから、レン君が意識しちゃってる!
少々亭主夫婦に憤慨しつつも、レンを落ち着かせるために魔道具のコンロで湯を沸かす。そして、気持ちを落ち着かせる効果のあるハーブティーを淹れた。ユリーシアの部屋には魔法薬の原料となる薬草だけでなく、さまざまな効果のある薬草で溢れていた。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
ユリーシアは自分もハーブティーを口に含み、椅子へと座った。
ここが彼女の定位置でもある。
「さて、それでは話を聞かせてもらいましょうか?」
ユリーシアは現在レンが〈青石のダンジョン〉にてどのような活動をしているのか、ボスであるレッドサジタリーにどのように挑むつもりであるかについて聞き取りを行った。
話を聞くと、レンは現在七日周期で〈青石のダンジョン〉に通っており、ダンジョンの探索に三日、ダンジョンと街の往復に二日、街での休憩と準備に二日、というサイクルで活動しているらしい。
そして、肝心のダンジョンでの探索では相変わらず一人で行動しているらしく、しかも怪我が絶えないという。
「別に命に別状があるような怪我はありません。ですが、気が付くと切り傷があったりするのと、稀にゴブリンから攻撃を受けることはあります。だいたい打撲ですけど、廉価ポーションのお世話にはなっています。でも、レベル4になって出血することは滅多になくなりました」
というような話であった。
ゴブリンはATK値が高く、またレンはまだレベルが低いために、攻撃が掠っただけでも出血に至ってしまうのだろう。
――普通なら無茶をしていると思うのだけれども。
話を聞いたユリーシアとしては呆れるばかりであった。
まず、この世界において普通、冒険者は出血するようなことはしない。出血するということはステータスのDEF値を大きく超えるダメージを負っているということで、死の危険がある状態である。それは適正レベルを超えた活動の証左とされ、そのような場合「また自分には早かった」と言って撤退するのがこの世界の常識である。
だが、今ユリーシアの目の前にいる少年は常識的な人物ではない。
レベル1でホブ・ゴブリンを倒してしまうような非常識な人物である。
「いまの話だと、レン君は〈青石のダンジョン〉に行って、ほぼ毎日廉価ポーションを飲んでいたということよね?」
「そうですね。多い時は一日で一、二本くらい飲んでいました。打撲が多いのと、気が付かないうちに怪我があったりするので」
「身体に異常はない?」
「特にはないですけど」
「ポーションの連続使用を続けると魔力欠乏症になることがあるし、それとは別に依存症になったりすることもあるから、あまり良くはないのだけれども」
「えっ、そうなんですか?」
ユリーシアの指摘に純粋にレンは驚いた。ゲームの世界ではそのような弊害はなかったからである。
現実世界になったことにより多少の違いは感じてはいたが、ポーションに関して言えば、味が強烈なのと、大量に飲むとお腹がたぽたぽしてしまう程度のことと思っていた。
ユリーシアが指摘したような恐ろしそうな症状など考えたことすらなかった。
「あと、純粋に辛くない? 主に味覚が」
「それは、辛いですね」
「だよね」
ユリーシアが作っている廉価ポーションの味については、実はこれは意図されたものである。
薬効の強い薬草を原料とするとどうしても味覚を犠牲にせざるを得ず、結果としてユリーシアが作る廉価ポーションは効き目が強い代わりに味が酷い。それこそ飲んだ後は一日ずっと味覚が麻痺するほどに。
だが、レン少年はそのようなことは些事とでも言わんばかりに、毎日のように廉価ポーションを服用してたらしい。ダンジョン攻略に対してなのか、それともレベル上げに対してなのかは知らないが、すさまじい執着心のようなものを感じる。少なくともユリーシアには理解できないような何かが、この少年にはあるようであった。
「それで、レッドサジタリーにはどうやって挑むつもりなの?」
そして、肝心のボス戦にどのように挑むつもりかを尋ねると、その回答もユリーシアには随分と無茶なものに感じられた。
そもそも怪我をしても良いという前提で戦うということがどうかしている。ポーション頼みなどというのは冒険者ギルドが諫める悪い例の見本のようなものである。よくそれを受付嬢のミルフィアが納得したものだと逆に感心してしまうくらいであった。
「うーん、随分と無茶な作戦なように感じるけど。でも、レン君ならやってしまいそうな気がするのよね」
ユリーシアとしてはなんとも感想に困る話であった。
だが、放っておいてもこの少年はレッドサジタリーに向かって突撃してしまうであろう。そこで万が一のことがあってからでは遅い。
であれば、ユリーシアとしてはできるだけ手助けしてあげたい。
「まず、廉価ポーションは止めましょうか。下級ポーションを作ってあげるから、レン君にはそれを使ってもらいましょう」
「あの、でも……。下級ポーションって、一個で銀貨一枚とかするものでは?」
「冒険者ギルドとかで買ったらね。卸値ならそれほどでもないし、それにレン君用に保存料を少なくした特別な調合にすれば、もっと安価くなるから。レン君の使い方なら半減期は短くても問題ないでしょう?」
廉価ポーションと下級ポーションの大きな違いは、その効果の強さの違いも大きいが、保存期間の長さも大きく異なる。廉価ポーションが一週間ほどで効果が半減するのに対し、下級ポーションの半減期間は半年以上もある。
さらに大きいのは下級ポーションは薬草に含まれる雑味を精製するため、味が圧倒的に良くなる。
「下級ポーションなら味覚が麻痺するようなことはなくなるわ。毎日飲むならそのほうが良いでしょう?」
「あの味から解放されるんですか!?」
その点についてはレンは大いに反応した。彼としても苦労していたのであろう。
「あとは、細かい傷に対応する用のポーションと、レッドサジタリー戦用に緊急の大怪我に対応できるようなポーションの二種類を作りましょう。そうすると、材料は……」
「二種類のポーション。そんなことができるんだ……」
そうしてユリーシアは必要な材料を書き出していった。
そんな彼女の様子をレンは大きな目を見開いて見守っていた。
ゲームの世界ではポーションに細かい調合などはなかった。しかし、ここは現実世界。一口に回復アイテムと言ってもそのように単純なものではなく、材料によっても作り方によってはその効果はさまざまである。
レンはゲームの世界ではない、この世界の本物の錬金術師というものを始めて目の当たりにしたのである。
「でも、そうは言っても下級ポーションですよね。お値段は……」
だが、最終的にレンが気になっていたのはそこであった。
それに対してユリーシアは書き出した材料に、それぞれ必要な値段を算出し、合計金額をレンに提示した。
「うーんとね。本来ならこれくらい必要かな?」
そこには銀貨二枚と銅貨二十三枚と書かれていた。
これにレンの表情は蒼ざめた。
「とてもそんな大金でません!」
「うん、わかってる」
そしてユリーシアはレンに優しくも告げるのだった。
「だから、レン君にはポーションを作るところから手伝ってもらおうかな。材料を集めるところから。それならもっと安価くできるから」




