#19 青石のダンジョン 3
その後もレンは二回ほど〈青石のダンジョン〉に潜った。
――やはり、ダンジョンに挑むのはリスクが高い。
正直に言ってレベル不相応という実感はあった。レベル1の紙装甲では傷が絶えなかったのは確かである。
――だけど、やはりダンジョンは経験値効率が良い。
――圧倒的と言って良いんじゃないか?
それでもレンが〈青石のダンジョン〉に潜り続けたのは、大量の経験値ポイントが得られるからに他ならない。
手帳の記録によれば、レンが転生後に獲得した討伐ポイントは合計で676と計算される。多少の誤差はあるにしても、間違いなくレベル2は近づいていた。
――次のダンジョン探索で決めたいな。
過去三回のダンジョン探索では、ストラーラからダンジョンまで一日かけて行き一泊。そして、半日ほどダンジョンに潜って一泊。その後、ストラーラの街へと帰っていた。合計三日間のダンジョン遠征である。一回で持って行ける水や食料を考えるとそのくらいが限界であった。
だが、ダンジョンの近くに水を汲める小川があると聞き、次のダンジョン探索は三日間連続を、往復も含めれば五日間を計画していた。荷物として一番重い水を現地補給できるならば長期滞在も不可能ではない。あとは体力と精神力が続く限りダンジョンに潜ることができる。
また、野営道具やポーションを大量購入したことにより金欠気味となっており、これ以上ダンジョン遠征を続けるのが限界という事情もあった。
――魔物除けの香が高価いんだよな。
野営道具や廉価ポーションも高価であったが、何よりも高価かったのが魔物除けの香であった。これがストラーラの宿で一泊するよりも高価い。
現在のレンはゴブリンの魔石の売却額が多少増えているものの、基本的には未だ最初に受給した「異世界転生者 支援金」で細々と食い繋いでいるのが実情であった。
そのため節約の意味も込めて、一回のダンジョン遠征で複数日潜ることに決めた。
――そうと決めれば、三日分の食料とアイテムを準備だ。
レンはストラーラの街で準備を始めた。
◇◇◇◇◇
露天商マクセルはいつものように冒険者ギルドの前で露店を広げていた。
マクセルが店を開いているのは午前中だけで、午後は仕入れなどもあるので店を畳む。この冒険者ギルド前の場所は露天商としては一等地なので、午後は別の商人が店を開くこととなる。そもそも街から買っている場所の権利が午前と午後に分かれているのである。
露店などというのは店を開いている間は暇なもので、特にマクセルが扱っているような商品の場合、それほど多くの客が来るわけではない。気長に客が来るのを一人のんびりと待つのが常だった。
ところが、この日は嬉しいことに話し相手がいる。
「マクセルさんの話だと、そろそろ来る頃と思いますけど」
「そうだねえ。前回来た時はこれくらいの時間だったかな」
マクセルの横には駆け出しの錬金術師ユリーシアの姿があった。
先日彼女が作った廉価ポーションが売れたのだが、そこで一人の人物が十本も買っていくという珍しい出来事があった。
それが一回であれば「そういうこともあるか」と済ませていたであろう。だが、その人物はその後二回ほどもその行為を繰り返していた。
「ちょっと、その方と話をしたほうが良さそうですね」
ポーションの作成者たるユリーシアがそのように言い出したのは自然の成り行きであっただろう。
廉価ポーションが何十本も必要というケースはなかなか考え難い。貧民街の者が大怪我をしたものの普通のポーションを買う金がなく廉価ポーションを都度買っているとか、もしくは何か普通ではない使い方でもしているのか。
いずれにせよ間違った使い方をしているのであれば、錬金術師としては気しないわけにはいかない。
ユリーシアは街の通りに設置されている街頭時計を見た。
時計はこの世界でも普及している。もちろんこの世界の時計は魔力を動力源とする魔道具なのだが、この世界でも午前午後12時間制の時計となっていた。ユリーシアは与り知らぬことであるが、異世界から転生してきたレンが理解し易いと喜んだものである。
その時計の針が11時を回ったかという頃。果たして、その転生者であるレンという少年はやってきた。
「こんにちは、廉価ポーションください」
普通にやってきて普通にそう声をかけてきたレン少年であったが、露天商マクセルの横にいる女性の姿を見て破顔した。
「あ、ユリーシアさん!」
胡桃色の髪を後ろにまとめて簪を差した女性の姿は、少年の記憶に残っていたらしい。
「やっぱりレン君だったのね……」
対してこの黒髪の華奢な少年を見たユリーシアは脱力してしまった。
この廉価ポーションの奇特な購入方法を繰り返す人物の特徴を詳しく聞いたユリーシアは、聞くうちにほぼこの少年であろうと予想していた。当初はそんなことはないだろうと思っていたのだが、話を聞けば聞くほど特徴がこの転生者の少年と一致するのである。
――思い返せば少し奇行が目立つ子だったような……。
転生者だからと納得してしまっていたが、そもそもおかしな言動の多い少年であった。
だが、それにしても廉価ポーションを大量購入するのはおかしい。
「ユリーシアさんの廉価ポーション、お世話になっています。凄く良く効きます」
「レン君が使っているの?」
「はい! で、今日も10本買いたいんですけど」
レン少年はそう言って視線を露天商マクセルほうに移す。
が、話を向けられたマクセルは苦笑してしまった。
「まあ、待てよ、少年。お前さんはここ数日でこの廉価ポーションを何本も買って行ったが、そのことについて彼女から一言あるそうだ」
「え、なんでしょう?」
心底思い当たる節がないという顔のレン少年に呆れつつ、ユリーシアは真面目な顔で問い質す。
「レン君は廉価ポーションをそんなに沢山買って、いったい何に使っているの?」
「普通に魔物からダメージを負った時に使っていますけど」
「そんなにダメージを追うことってある?」
「最近ダンジョンに行っているので」
「ふーん、ダンジョンね。えっ、ダンジョン!? レン君、ダンジョン行ってるの? 君、レベル1でしょう!?」
一瞬普通に聞き入れそうになってしまったが、ユリーシアは驚いた。
「え、お前さん、レベル1なのかい?」
ユリーシアの発言に隣のマクセルも驚いた。少年がレベル1ということも初耳であったが、それがダンジョンに行っているというのだから尚更である。
「ダンジョンっていうと、この辺だと〈青石のダンジョン〉か?」
「あ、はい。そこに行っています」
「あそこは確かゴブリンだけだったかな。けど、それにしたってレベル1で行って良い場所じゃないだろう?」
「レン君はそこでダメージを追う度に廉価ポーションで回復しているの?」
「はい。あ、でも、かなり慣れてきたので今は一回潜っても二、三本しか使っていないですけど」
「ポーションはそんなに沢山使うものではありません!!」
ユリーシアは街中というのに叫んでしまった。
というのも、この世界においてレンのようなポーションの使い方は、典型的な悪いポーションの使い方とされていたからである。
この世界においても魔物と戦ってダメージを追った際に、その怪我をポーションで回復することは一般的である。他にも魔法で回復することもできる。怪我を負った状態では当然戦闘に支障が出るので、都度回復することは大切である。
だから、魔物からダメージを負ったらすぐにポーションを飲んで回復する。それの何が悪いのかと思ってしまうが、この世界の冒険者にとってそれは多用するべき手法ではないとされていた。
もちろん、緊急回避として使用することは問題ない。だが、ポーションを多用してそれに頼ってしまうような行動は悪とされていた。
「中級レベルで体力に十分な余裕があるならまだしも、初級冒険者はそもそもダメージを負ってはいけないの。低レベルからポーション頼りで高レベルの魔物に挑む冒険者ってのは稀にいるけど、そういう人は大抵すぐにあの世に行くのよ」
ユリーシアがそのようなことを懇々とレンに説明した。
その隣で露天商のマクセルがうんうんと頷いているので、妥当なことを言っているのだろう。
だが、レンにはレンの事情がある。
異世界から転生してきているのである。しかも、その使命はこの世界にてなるべく多くの魔物を倒すこと。危険を冒しているという自覚はあったが、リスクを恐れていつまでも低レベルに甘んじているわけにはいかない。
「つまり、この世界では冒険者はそもそも怪我をしないように活動するべきだと?」
「ある程度のレベルになったら多少のダメージを受けることも必要になるけど、低レベルの間は一歩間違えば簡単に大事に至るからね」
「うーん……」
「納得できない?」
「いちおう僕は異世界から転生してきているんです。今はリスクを取る時だと思うんです」
もし、レンがリスクを冒さずにスライムやレッドワームのような魔物だけを狩っていたら、レベルを一つ上げるだけで半年やそこら必要となるだろう。すると、レベル50以上の一線級のレベルになる頃には40歳を超えてしまう。それでは余りにも遅すぎると感じられた。
レンは強い意思を持ってそのように述べた。
そう言われてしまうとユリーシアとしても返す言葉がない。
「えっ、この少年って異世界からの転生者なの?」
その横でマクセルが驚いていたが、ともあれレンが翻意するつもりがないのは確かなようであった。
「なので、廉価ポーション10本買いたいんですけど」
「……しょうがないわね」
「えっ、良いのかい? 売っちゃって?」
「たぶん、ここで売るのを断っても別の場所で買うでしょうから」
そうして、廉価ポーションを購入することに成功したレンは、そそくさと去っていった。
「良かったのかい?」
「あんまり良くはないですけど、彼を止めることはできなさそうですし。それに彼、ホブ・ゴブリンを倒せるくらい強いですから。どうにかなるような気はします」
「えっ、ホブ・ゴブリンを倒した? あの少年はレベル1だって話でしょ?」
「レベル1でしたよ。少なくとも一ヶ月くらい前は、確かに」
先ほどからマクセルは驚きっぱなしであったが、それでもレン少年があまり良くないことをしているのは間違いない。
彼とて元冒険者である。少年が取っているリスクはあまりにも不相応と感じられた。
「このまま彼を放っておいて良いのかい?」
「良くはないでしょうけど」
「でも、何かできる余地はあるかね?」
「……あります。彼も冒険者ギルドに登録しているので」
◇◇◇◇◇
マクセルの露店から冒険者ギルドは目と鼻の先である。
ユリーシアは躊躇なく建物の中に入ると、すぐに目的の人物を見つけた。
「ミルフィアさん!」
「あら、シアちゃん。今日は珍しい時間に来るのね」
そこにいたのは制服姿の受付嬢ミルフィアであった。他のギルド職員と同じ制服であるのだが、長身の彼女は制服姿が良く映える。目立つ存在なので見付けるのはすぐであった。
「レン君のことなんですけど。少し前に私が連れてきた転生者の」
「うん、レン君? 彼がどうしたの?」
「彼の活動ってギルドでちゃんと把握しています?」
「レン君のことならちゃんと把握していますよ。私のところに良く相談に来てくれるから」
「最近〈青石のダンジョン〉に入っているらしいですけど、それは把握されています?」
「は? 〈青石のダンジョン〉?」
ユリーシアに問われたミルフィアは目を点にしてしまった。
彼女にとってレンはいつも元気良く返事をしてくれるとても素直な少年であった。まめに相談に訪れるので、ミルフィアだけなく最近は他のギルド職員とも関わる機会は増えていたが、他の者も概ねそのような印象である。
――レン君が黙って〈青石のダンジョン〉に行くものかしら?
――というより、ついこの間〈青石のダンジョン〉には行っちゃ駄目って伝えたし。
そもそもミルフィアの認識としては、レン少年はストラーラの西側でレベル1らしく弱い魔物と戦っているはずであった。現地で取りまとめ役のようなことをしているタレスという冒険者が面倒を見てくれているものと思っていた。
そんなこともありユリーシアの言葉を俄に信じられなかったミルフィアであったが、次の言葉に衝撃を受けた。
「彼、強いですよ。レベル1でホブ・ゴブリンを倒したんですから」
「え、そんな。まさか?」
「間違いないです。実際に私は目の前で倒すところを見ました。助けられたので。そのこともミルフィアさんに話していなかったですか? たぶん、ゴブリンくらいなら彼、全然普通に倒せますよ」
ユリーシアは嘘を言うような娘ではない。
となれば、レン少年が嘘をついていたのだろうか。嘘というほどではなくとも、黙っていたわけである。
どちらが正しいか判断に迷ってしまったが、このような時には受付嬢たる経験が活きる。本当のことを確認をする手段がギルド職員にはあった。
「シアちゃん、ちょっと一緒に来てくれる?」
と、ミルフィアが足早に向かったのはギルドの買取受付であった。
ここでは冒険者から倒した魔物の魔石や、素材として活用できる部位を買い取っている。大抵の冒険者はここで素材を売り払うので、ここでの記録を見ればどのような活動をしているか一目瞭然である。
「すみません、レンという少年の買取履歴を見せていただけますか?」
「おう、ミルフィアさん。どうした、慌てて?」
買取受付カウンターにいたのは禿頭の男性職員であった。大きな素材が持ち込まれることが珍しくないので買取受付では力仕事が多い。自然、彼のように大柄な職員が大半である。
そんな彼は勢い込んでやってきたミルフィア嬢に少し驚いたようであったが、すぐにその記録を探し出してくれた。
そして、それを確認したミルフィアの表情が歪む。
「うふふふ、レン君ったら。素直で良い子だと思っていたのに。こういうことをする子だったのねぇ……」
ミルフィアは髪が逆立ったかと錯覚するような表情となった。その表情に買取カウンターの男性職員やユリーシアが一歩退いてしまったほどであった。
彼女が手にした買取記録には、数百を超えるゴブリンの魔石の買い取りが記されていた。それはストラーラ付近の草原や森だけで活動していては決して得ることはできない。レンがミルフィアの忠告を無視していたことの言い逃れできない証拠であった。