#17 青石のダンジョン 1
ストラーラの街から歩くこと12時間余。
朝早く街を出立し、ほぼ一日中歩き続けたレンは、ようやく〈青石のダンジョン〉へとやってきた。
――もう、くたくただ。
レンは体力には自信があるほうだったが、それでも舗装もされていない道を一日中歩き続けるのは少々辛いものがあった。
足を棒のようにしてたどり着いたダンジョンの入口前には、冒険者たちが自然発生的に作ったキャンプ地があった。そこには既に数組のパーティーの姿があり、彼らは野営の準備を行っていた。
レンは彼らに挨拶すると、キャンプ地の端で彼らと同じように野営の準備を始めた。
元の世界では高校生だったレンである。
キャンプの経験など数えるほどしかなく、殆ど手探りのようなものであった。簡易テントを立てるだけでも四苦八苦し、夕食のための火起こしにも苦労した。
火起こしには街で火打ち石を売っているのを見かけたが、使いこなせる自信がまるでなかったので、多少高価であったが着火の魔道具を買った。
――見た目はライターみたいだ。
――そして、使い方もライターみたいだ。
その小さな魔石を動力源とする魔道具はどのような原理で動作しているのか全くわからなかったが、使い方はレンが元の世界で使っていたライターと良く似ていた。使用方法を考えていくと、原理が違っても結局似たような形に行き着くのかもしれない。
――こうしてキャンプしている感じも前の世界とそれほど違いはないかな。
焚火の揺れる炎を眺めながら、レンはそんなことを考えたりした。
そうしてレンが一人で夕餉の準備をしていたところ、近くで同じようにテントを張っていた冒険者が近づいてきた。
やってきたのは若い男性の冒険者であった。
「君はソロなのかい?」
それほど強そうな冒険者ではなかったが、さすがに街から離れて活動しているだけのことはある。一定水準以上の実力があるのだろう。物腰が穏やかで、落ち着いた自信のようなものが見受けられた。
「はい、ソロです」
「〈青石のダンジョン〉とはいえ、ここまで一人で来るならそれなりの実力者なんだろう?」
「いえ、まだレベル5です」
レンは嘘をついた。
本当はまだレベル1なのだが、〈青石のダンジョン〉に挑むのであれば最低でもそれくらいないと不自然だからである。
だが、それでもレンの回答に若い冒険者は驚いたようであった。
「レベル5なのか? ギリギリじゃないか。それで一人は危ないだろう? もし良かったら……」
と、若い冒険者が言いかけたところで、彼の背後に控えていた女性の冒険者が袖を引いた。彼女に続き、他のパーティーメンバーが彼を囲んで、小声で何やら説得を始めてしまった。
おそらく、このリーダー格の若者がレンをパーティーに誘おうとしたのだろう。だが、他のメンバーがそれを止めた。リーダー格の若者が同情心から誘おうとし、他のメンバーは足手まといの心配から反対したのだろう。
――変に気を使わせちゃったかな。
パーティーを組みたいという気持ちはレンの中にもあったが、現在はレベル1の身である。嘘をついたこともあり、パーティーに入れて欲しいとは思わなかった。
「大丈夫です。今日は様子見に来ただけなので、無理そうなら直ぐ帰るつもりです」
「そうか。邪魔したね」
そうして若い男女数人のパーティーとはほどほどの距離で野営を行い、夜を過ごした。初めての野営で他のパーティーの近くというのは少し安心感があって良かった。
もちろん、魔物がいる世界での野宿は初めてなので油断はしない。冒険者ギルドの資料室にて野営のいろはの教本に目を通している。また、露天商などからも必要なことを聞き出していた。
魔物避けの香を焚き、教本に欠かれたとおりに夜を過ごす。異世界における初めてのテントでの就寝は、それなりにドキドキの体験であった。
◇◇◇◇◇
翌朝、目が覚めると他のパーティーは既にダンジョンへと入ったようで、キャンプ地に人の姿はなかった。
――うーん、良く寝た。いよいよダンジョンか。
興奮や緊張から眠れない心配もあったが、前日の疲れからか、いったん寝てしまうとむしろ熟睡してしまった。ここは安全なキャンプ地のようだが、魔物に襲われる心配が皆無ではない。不用心な野営になってしまったことを少し反省する。
ともあれ、前日の疲れは取れ、日も改まったところでいよいよ初めてのダンジョンであった。
〈青石のダンジョン〉は他の多くのダンジョンがそうであるように、地下深くへと潜っていくタイプのダンジョンである。
ダンジョンの入口は山の中腹くらいに口を開けていた。なんだか自然の洞窟の入り口のような見た目で、それほど存在感のあるものではない。もっとも入口の近くにはストラーラの冒険者ギルドが設置した立札があり、注意さえしていれば気づかないということはないだろう。
また、ダンジョンの入口でギルド職員が出入りを管理しているようなことはなく、出入りについては自由であった。
――では、いざ!
レンは高揚した気持ちでダンジョンへと足を踏み入れた。
――明るい!
ダンジョンに足を踏み入れたレンの最初の感想はそれであった。
ダンジョンでは壁面が光を放っており、照明が不要なことが多いという。事前情報からこの〈青石のダンジョン〉もそうした中が明るいダンジョンと知ってはいたが、やはり実際に自分の目で見ると不思議に感じられた。
もっとも凄く明るいかと言えばそんなことはなく、やや薄暗いものの照明が必要というほどでもない、という地下空間であった。
――普通の洞窟の岩壁みたいなのに確かに少し光っている。
――ゲームと違って岩の質感は現実的なのに不思議。
レンはやや興奮した面持ちで仄かに明るいダンジョンを歩いて行く。
魔物が出てくるかもという緊張感と同時に、洞窟を探検をしているという、そして冒険をしているという実感があった。そこにあるのはゲームで体験していた仮想世界のダンジョンではない。本物のダンジョンである。
洞窟の壁面には〈青石のダンジョン〉という名前の由来となっている青味を帯びた堅そうな岩が散見された。洞窟の外は初夏の陽気であったが、青い洞窟の中は涼しいくらいであった。
――さて、初回でもあるし予定どおり地下一階を一回りしてみよう。
〈青石のダンジョン〉内部の地図は冒険者ギルドの資料室にて把握済みである。それなりに広いダンジョンで、一層を一回り歩くだけでも一時間くらい必要とのこと。
ごつごつとした岩肌の地下通路を歩くと足音が響いた。壁面が光っているとはいえ地下空間である。その雰囲気は少しだけ不気味であった。
細い通路を少し歩くと、やや開けた空間へと出た。そこから再び通路が三本延びている。
――資料室の地図は正確らしいな。
手元のメモ帳に書き写した地図と見比べつつ、レンはさらに奥へと進んだ。
と、再び道が開け、大きな空間へと出る。
そして、そこにゴブリンがいた。
――1、2、3、4匹か。多いな。
初ダンジョンの記念すべき魔物はゴブリン4匹であった。
レンはこの〈青石のダンジョン〉に挑むにあたって、実は大きなリスクを負っている。
というのも、レンはレベル1であるにも関わらずゴブリンを安定して倒せる実力があったが、それは一匹だけで単独のゴブリンを相手にしていた場合の話である。
だが、この〈青石のダンジョン〉ではゴブリンが複数匹で群れているという。
――一対一と一対多では難易度が段違いだ。
戦闘において相手が多人数というのは非常に不利な要素である。余程の達人であったとしても多人数を相手にするのは難しい。
まして、レンは未だレベル1。本来の適正レベルが5のゴブリンを相手に、かつ群れに挑むというのは大きなリスクを伴ったものであった。
だが、そうしたリスクを承知の上で、レンはこの〈青石のダンジョン〉に挑んでいる。
――今のペースでレベル上げをしていたら、高レベル帯にたどり着くのに何十年もかかってしまうだろう。それもまた別の意味でリスクと考えるべきだ。
――それであれば、多少の危険は承知の上で挑むしかない。
レンはそうした別のリスクと天秤にかけた上で、そのように判断したのだった。
通路の陰から広間にいるゴブリンの群れを観察する。不用意に襲いかかるような真似はしない。何しろゲームと違って掛かっているのは自分の命である。
しばし通路の入口に身を潜め機会を伺う。
そして、一匹のゴブリンが近づいてきた時、レンは飛び出した。
袈裟斬り一閃。
ゴブリンを綺麗に斬り伏せた。
「ギャッ! ギャッ!」
「グギャ―!」
残るゴブリンは三匹。仲間を殺された恨みからか、不快な声を上げながら向かってきた。
ここでレンが心がけたのは古流武術に良くある対多人数の立ち回りである。相手がなるべく縦に並ぶような位置を維持し、複数の敵から同時に襲われることを回避する。これが実際にやってみるとそれなりに難しい。難しいという以上にとても忙しい。
次々に襲ってくるゴブリンをレンは的確に捌いていった。
先頭で躍りかかってきたゴブリンが石斧を振り下ろす。
レンは落ち着いて一歩下がって回避する。
――当たらなければどうということはない。
昔の某SFアニメの台詞ではないが、確かにそれは真理ではあって、どんなに強力な攻撃でも当たらなければダメージを負うことはない。
もっとも「当たらなければどうということはない」ということは「当たっちゃったら大変になことになる」の裏返しでもある。武道で培ってきた足さばきがあるとはいえ、命が掛かっている状態で攻撃を避け続けるのは心理的な負担が高い。
だが、レンはゲームの仮想空間にて魔物との戦闘を幾千、幾万と繰り返してきた経験がある。そうした経験の量がレンの平常心を支える。
「グゲ!?」
石斧を空振りしたゴブリンがたたらを踏んだところを、レンは逃さず、喉元に剣を突き入れた。
すぐさまゴブリンの腹を蹴って剣を引き抜くと、すぐに次のゴブリンが襲って来る。
だが、それを半身で躱すと、擦れ違いざまに首筋に剣を振り下ろた。
さらに返す刀で最後の一匹を薙いだ。
あっという間の出来事であった。
「ふう、四匹だとギリギリ感があるな」
武道の経験とゲームにおける経験により一方的にゴブリンを倒すことができたが、一発でも攻撃を喰らえば一気に不利に陥る可能性があった。そういった意味では全く油断できない戦闘であった。
そして、レベルを上げるためにはゴブリンをあと数百匹も倒さなければならない。
まだまだ長い道程であった。