#16 レベル上げ 2
明け方。
冒険者ギルド宿泊所二号棟の大部屋では多くの冒険者たちが寝静まっていた。
レンは日中、休みなく冒険者としての活動をしていたので、夜は良く眠った。
転生以来、休日を設けることもなく、本当に毎日冒険者としての活動を行っていた。レンには「ゲームの世界に転生した」という認識が少なからずあり、冒険者の活動そのものが半分趣味のようなところがある。戸惑うことや落ち込むことも少なからずあったが、飽きることなくこの世界の攻略に勤しんでいた。
そんなレンであったので、夜は泥のように眠るのが常だった。他の冒険者たちも似たようなもので、明け方の冒険者ギルド宿泊所は彼らの寝息に包まれていた。
「ぐええええぇ!」
そんな中、突然レンが奇声を上げた。
むくりと起きたレンが自分の腹の上を確認すると、見覚えのある大男の足が乗っかっていた。最近見ないと思っていたが、酔っ払い中級冒険者ことコバートが久々に出没したらしい。どうやらこの大男は明け方に寝返りを打つ習性があるようだ。
――全く迷惑なオッサンだ!
大男の足を除けたところで、宿泊所の魔導灯が点灯した。
「コバートさん、朝ですよ」
「んが!? うぉおおお! 朝かあ!」
レンも慣れたもので仕返しの意味も含めて肘鉄を喰らわせたりして起こしたのだが、この大男には全くのノーダメージで、ご機嫌の起床と相なった。
「また飲んでたんですか?」
「久々に飲んだんだよ」
「あれ、最近は懐が寂しくなってたんですか?」
「逆、逆。魔物が多過ぎて、一気に討伐依頼が舞い込んじまってよ。飲む暇もありゃしねえ。懐が暖ったけえのに飲めないってのは、これ如何に」
「羨ましいような、羨ましくないような」
「まあ、あとでたっぷり飲めると思えばな、わはははは」
そんな大男コバートであったが、いつもレンに蹴りを入れていることを済まないと思ったか、この日は洗浄魔法だけでなく朝飯も奢ってくれるという。
洗浄魔法の老女に「あんた、毎朝あの男の子のこと蹴ってるわよ」と指摘されてのことである。「あれ? そうなのか?」と自覚症状は全くないようであったのだが。
そんなわけで、レンは大男コバートに連れられストラーラの屋台街へとやってきた。
表通りから少し外れた広場に大小数十もの屋台が軒を並べている。レンもコバートも通い慣れた屋台街である。ストラーラには二人のように食事を屋台に頼っている冒険者は多く、朝早くから賑わっていた。
もっとも朝から人は多いものの、どことなく皆静かであった。夜は酒が提供されるので大変に騒がしい場所となるのだが、この時間帯は店の人たちも客となる冒険者たちも眠い目を擦りつつ、気怠い朝を迎えていた。
中には徹夜で飲み明かし、これから宿に戻るという冒険者の姿も見られた。
「よし、坊主、ここにしよう」
「え、ここですか? 良いんですか? 高価いでしょう?」
「低レベルだとそんな感覚か。俺くらいのレベルなら別に普通だよ。むしろ安いくらいだ」
連れてこられたのは麦粥を出してくれる屋台であった。
一口に麦粥と言っても、肉や根菜など具沢山で、しかも調味料でしっかりと味付けをしてくれるやや高価めな屋台である。さらに、粥の上には少量ながらも新鮮な野菜を刻んだものが。レンとしては転生してから初めての新鮮な野菜であったかもしれない。
「瑞々しい野菜って美味しい!」
「わはははは、低級冒険者だと確かに手が出ないわな」
そうして屋台で大柄なコバートと小柄なレンは並んで麦粥を掻き込んだ。
ちなみに麦粥のという選択をしたのは、コバートなりに前日に深酒で弱った胃を気遣ってのことらしい。丼ぶりのように巨大な椀の麦粥を食していたので本当に胃に優しかったかは不明である。
「坊主のほうの調子はどうだ? お前さん、冒険者になったばかりなんだろう? 少しは慣れてきたか?」
「それなりに慣れては来ましたよ。全然レベルが上がらなくて苦労してますけど」
「ま、レベルなんてもんはそう簡単に上がるもんでないからなあ」
麦粥を食べるついでに世間話を交わす。
この大男はガサツではあるが気さくでもある。レンとしては何となく話し易い相手であった。
思い返せば前世における生家の道場にも似たような雰囲気の古参の門下生がいた。恐ろしく厳つい外見の割には、いざ話すと人懐っこい笑顔となるところなどそっくりであった。レンとしてはどことなく懐かしい気分にさせられる。
「で、もっと魔物を倒したいのに魔物との遭遇率が低くて悩んでいると」
「そうです」
「ゴブリンで苦労してないなら坊主のレベルは5か6くらいか? それならそろそろ〈青石のダンジョン〉に行って良いと思うがな」
「〈青石のダンジョン〉?」
「ストラーラから一日か二日くらい歩いたところにあるダンジョンだ。ゴブリンばっか出る。駆け出し冒険者御用達のダンジョンだな。ゴブリンが苦にならないなら良い経験が積める場所だ。まあ、ゴブリンだからそれほど金にはならんのだが」
事も無げに言うコバートであったが、レンとしては驚きの情報であった。
――あったのか、ダンジョン。
ゲーム〈エレメンタムアビサス〉ではもちろん沢山経験したダンジョンであったが、この世界にもあるとは知らなかった。というより、この世界でもどこかにあるだろうとは思っていたが、それと関わるのはもっと高レベルになってからと思っていたのである。
そして、コバートの話によるとダンジョンでの遭遇率はそれ以外の場所よりも格段に高いという。
「それよりも坊主、レベル5超えたらならそろそろパーティー組んだほうが良いぞ。一人よりも二人、二人よりも三人のほうが格段に死なない」
「あははは、それがなかなか難しくて」
「ま、こればっかりは出会いとか相性とかあるからなあ」
実はレベル1です、とはとても言えない雰囲気に、レンは苦笑いしながら麦粥を胃袋に掻き込んだ。
いつも食べている屋台よりも量も味も確実に一段上で、コバートからの情報を得て今後の活動について様々なことを考えつつも、滅多に食べれない美味にレンは舌包みを打った。
◇◇◇◇◇
「そういえば、〈青石のダンジョン〉ってのが近くにあるんですか?」
「ああ、〈青石のダンジョン〉ね。レン君には少し先の話になるかな」
レンは冒険者ギルドの相談カウンターにて受付嬢ミルフィアに何食わぬ顔でそう話しかけた。もう内心では〈青石のダンジョン〉に行きたくてうずうずしていたのである。
だが、それで情報収集を怠るような愚は犯さない。事前にどれだけ情報収集ができるかがゲーム攻略の鍵である。
「ゴブリンが巣食っているダンジョンで、全部で五層しかない小さなダンジョンよ。冒険者ギルドのほうでダンジョンが成長しないように管理しているから、ある意味で安全なダンジョンかな。ただ、ゴブリンしかいないから収入的には美味しくなくて、あまり人気がないのよね。低級冒険者はあそこで下積みして実力を付けると良いんだけど」
という概要のみを得られたが、ミルフィアからはそれ以上の情報は引き出せないようであった。
二言目には「レン君にはまだ早い」と言われてしまったからである。
ストラーラの冒険者ギルドには相談カウンターだけでなく、資料室なる文書による情報提供をしてくれるサービスも存在している。最初に保証金として銀貨一枚を払う必要はあるが、以後は無料で資料を閲覧できる。
ちなみに資料室の奥には図書室というもっとしっかりとした書籍を扱っている部屋があるが、こちらは保証金として銀貨五枚が必要で、更にそれはと別に利用ごとに毎回使用料まで取られる。現在のレンにはとても手が出ない場所であった。
ともあれ、〈青石のダンジョン〉の情報を得るならば資料室で事足りる。
――ストラーラ冒険者ギルドで三ヶ月に一回の掃討を行って、成長しないように管理しているダンジョンと。
――出没する魔物はほぼ全部ゴブリン。
――推奨レベルは5以上。
――なんだ、地図までしっかり載っているのか。
と、ダンジョンの情報を集めた結果、レンは確信を得るに至った。
――行ける!
本来の推奨レベルは5以上であるが、レンにはゲーム時代の経験がある。
ゴブリン程度であれば正しく立ち回れば攻撃を喰らうことはないだろう。攻撃さえ喰らわなければ多少のレベル差があっても時間をかければ攻略は可能である。少なくとも1層、2層でレベル上げをするならば問題ないだろうと思われた。
――むしろ、考えるべきはストラーラから歩いて二日って距離か。
――野宿の経験はないからな。
そこからレンは本格的に〈青石のダンジョン〉攻略の準備に取りかかった。
まず往復だけで二日以上かかるので街の外での野営が必要となる。それに必要な道具類や保存食の購入。いざという時の為にポーションの購入も忘れなかった。
もちろんそれらを購入してすぐに〈青石のダンジョン〉に出発するということはない。ストラーラの街の近くでそれらの道具の使い方をじっくりと予行演習した。
これらの出費は懐の寂しいレンにとって厳しいものであったが、日々の食事を節約してでもこのダンジョン攻略は必要なものと判断した。
◇◇◇◇◇
ストラーラの冒険者ギルドは東門のすぐ近くの大通りに面した場所にある。
東門へと延びる大通りには左右に露店が並び、行き交う冒険者や買い物をする街の人々と相まって賑やかな日常を見せていた。
その大通りに露店を出している商人の一人に、マクセルという男がいた。
元は冒険者で中級手前くらいまでいったが、いつしか自分は冒険者に向いていないと自覚し、商人へと鞍替えした人物である。このストラーラで暮らす人にはこのマクセルのような元冒険者は少なくない。
そんなマクセルが取り扱っている商品は多岐にわたる。冒険者の中古の装備品や、半分くらい使ったポーション、壊れかけを買い取りマクセル自らが修理したアイテム、などなど。
しっかりとした新品の商品はこのような露店ではなく店舗を構えた商店が取り扱うものである。このような露店で取り扱っているのは、そうした立派の店舗では取り扱わないような雑多なものが殆どであった。だが、冒険者に溢れるこのストラーラの街では、そのような商品の需要は決して少なくない。
そんなマクセルが取り扱っている商品の中に「廉価ポーション」と呼ばれるアイテムがあった。
しっかりとしたポーションではなく、薬草をただ絞っただけという単純なアイテムである。回復量が少ない上に、保存も殆ど効かない。一週間もすると効き目が半減してしまうという安価な回復アイテムであった。
だが、錬金術師が構える正規の店舗でポーションを購入したならば銀貨一枚は下らない。そうした高価な正規のポーションに手が出ない層に、こうした廉価ポーションの需要はある。
――しっかしなあ。
マクセルは自分が広げている露店の商品を前に、腕を組んで考えていた。並べられてる商品の中にその廉価ポーションは既にない。全て売れてしまったのである。
と、そんなところに一人の女性がマクセルの露店へとやってきた。
「マクセルさん、こんにちは」
「やあ、ユリーシアさん」
話しかけてきたのはマクセルの良く知る錬金術師の娘であった。
まだ年若い女性で、マクセルの店にアイテムを卸してくれる駆け出しの錬金術師である。錬金術師としての腕はまだまだのようであるが、マクセルのような露天商にとっては彼女くらいの存在が有難い。もっと腕の良い錬金術師であれば自分で店舗を構えてしまうからである。
その上、ユリーシアは気さくで話し易い性格なこともあって、マクセルとしては懇意にしている商売相手であった。
そんな錬金術師の娘であったが、丁度マクセルが考え込んでいた事の当事者でもあった。
「ポーションの売れ行きはどうでしたか?」
「売れたよ」
「わっ、嬉しい」
「預かっていた廉価ポーション10本が全部売れた」
「えっ、本当に!?」
マクセルの回答にユリーシアは驚いた。
というのも廉価ポーションなどというものは日に1本も売れれば良いほうで、数日間1本も売れないということも珍しくない。
日持ちしないアイテムなので、普通は怪我をしてから買うのが一般的である。高価なポーションを使うほどでもない軽傷であったり、もしくは重傷であっても神殿で高額な治療費を払うのが難しいような者が買っていく。安価ではあるものの使いどころの難しいアイテムであった。
そういった事情を考えると一度に10本もの廉価ポーションが売れたことが、いかに珍しい出来事であったか。
「ひょっとして一人の人が10本全部買っていったとか?」
「それがそうなんだよ」
「廉価ポーションは日持ちしませんよ? 一週間もすれば効果は半分以下になりますし、そもそも回復効果だってそれほど強いものではないんですけど」
「それはちゃんと説明したんだがなあ」
その説明を聞いた上で10本もの廉価ポーションを買っていった者がいるという。
なんとも酔狂な人物がいるものだ、とユリーシアは思った。
「どんな人でした?」
「小柄な男の子だったよ。貧民街の子供って感じではなかったかな」
マクセルの説明は簡単なものだったが、それを聞いたユリーシアはつい数ヶ月前に異世界からやってきた不思議な少年のことを思い出した。
――だけど、まさか彼ってことはないでしょう?
だが、この時のユリーシアは頭の片隅に思い浮かべた少年の姿をすぐに振り払った。