#1 錬金術師ユリーシア 1
ユリーシアは日課の錬金術による回復薬の生成を行っていた。
彼女の小さな作業部屋、兼自室である。
作業机の上には様々な色の薬瓶が並べられていた。ユリーシアはそれらを調合すると、魔法陣が描かれた敷布の上に置いた。
手をかざし魔力を込める。すると、魔法陣がぱっと輝いた。
錬金魔法である。
やがて、魔法陣の光が治まると、薬液の色は変わっていた。これで下級ポーションの完成である。
その出来立てのポーションを薬瓶へと注ぎ移し、小さな木箱に納める。全部で3本。
「これで良し、と」
次にユリーシアは薬草を取り出し、卓上の小さな圧搾機へと放り込んだ。
そのまま全体重を圧搾機にかけると、下に置かれた容器へ搾汁液がポタポタと滴り落ち、独特な香りが広がる。
「にぎぎぎぎ……」
華奢なユリーシアには重労働であったが、顔を真っ赤にして頑張った。
「ふぅ」
ある程度で圧搾を止め、搾汁液を薬瓶へと移していく。こちらは丈夫なだけが取り柄の不格好な瓶である。
雑な作り方だが、これが廉価ポーションとなる。全部で10本。
これも丁寧に木箱に納めた。
「今日はこんなところかな」
木箱に入った13本のポーションを前に、ユリーシアは腰に手を当てて完成品を眺めた。
――今日の出来は悪くない。
といっても、出来の良し悪しはあまり売値に関係ないのだが。
気を取り直してユリーシアは出かける準備を始めた。当然のことであるが、ポーションを作っただけでは金にならない。生活するためにはこれらを売りに行かなければならない。
ユリーシアはエプロンを脱ぎ、小さな鏡の前で身嗜みを整えた。
鏡に映っていたのは飾り気のない二十歳の娘であった。胡桃色の髪を後ろに束ね、無造作に一本かんざしで留める。年齢相応の魅力はあるが、生活に余裕のない駆け出しの錬金術師である。身形に気を使うのは最低限であった。
そして、いつもの採取道具を入れた背負い袋を担ぎ、その上から外套を羽織る。最後に先ほど作った13本のポーションが入った木箱を持てば、出かける準備の完了となる。
忘れ物が無いか、部屋を見渡す。
ベッドが一つ。小さな机が一つ。壁には様々な種類の薬草が吊るされていた。
それがユリーシアの小さな自室の全てであった。
「忘れ物なし」
確認の言葉を残し、ユリーシアはその自室を後にした。
◇◇◇◇◇
〈東の木漏れ日亭〉
それがユリーシアが泊まっている宿の名である。冒険者都市ストラーラの裏路地にひっそりとある鄙びた宿であった。
ユリーシアがこの宿に泊まるようになって、早二年が過ぎようとしていた。
「エリザさん、私、そろそろ出ます」
バタバタと二階から下りて来たユリーシアを見て、宿の女将エリザは優しい笑顔を見せた。
「あら、もうそんな時間なのね。気をつけて行ってらっしゃい」
と、出ようとしたユリーシアが、宿の受付の前で足を止めた。
受付カウンターの奥の棚には廉価ポーションが並べられている。それらはすべてユリーシアが錬金術で生成したものであった。
そのいくつかが空瓶に置き換わっていた。
「少し売れました?」
「昨日、いつも来る冒険者がいくらか買っていったかしらね。あ、それと今朝、うちの旦那が使ったから」
「バクドゥさん、怪我でもしたんですか?」
「包丁でちょっと指切っただけさ。ドジよねえ」
と、奥の厨房からエリザの夫であり、この〈東の木漏れ日亭〉の亭主でもあるバクドゥがひょっこりと顔を出した。
「シアちゃんのポーションのお陰で、ほら、この通り。でも、廉価のほうを飲んだから舌が馬鹿になっちまった。今日の夕食の味が変になってたらゴメンな」
「廉価ポーションのほうを飲んだんですか? 素直に下級ポーションを使ってくれたら良かったのに」
「下級ポーションなんて高価なもん、そう簡単に使えないって」
「そうよ。うちの旦那なんてドジなんだから。いちいち下級ポーションなんて使っていたら、お金がいくらあっても足りないわ」
「バクドゥさんからお代なんて頂けないですよ。宿代も安くしてもらっている上に、ポーションの販売までしてもらっているのに」
「良いから、良いから」
「そういうところはキチンとしておいた方が良いのよ」
仲の良い宿の亭主夫婦に笑顔でそう言われると、ユリーシアとしても無理に言い返すこともできない。実際のところお金には常に困っているので、支払ってくれるならユリーシアとしても非常に助かる。
「お代は月末にまとめて渡すから。出かけるなら、ほら、行った! 行った!」
「はーい、行ってきます!」
そうして、ユリーシアは〈東の木漏れ日亭〉を出た。
外に出ると、そこは日の当たらない細い裏路地であった。その狭い路地をいくらか歩くと、すぐに大通りへと出る。石造りの高い建物に囲まれた、露店の立ち並ぶ賑やかな街のメインストリートである。
といってもストラーラの街並はどこも窮屈なものだが、それでも日の光が当たる表通りである。そこを歩く人たちも、通りに並ぶ店舗も、どことなく明るく眩しいものに感じられた。
その表通りに並ぶ露店のいくつかをユリーシアはいつものように巡回した。
〈東の木漏れ日亭〉と同じようにそうした露店のいくつかで廉価ポーションを委託販売してもらったり、買い取って貰ったりしている。
「こんにちは。売れてます?」
「やあ、ユリーシアさん。昨日も売れましたよ。冒険者の中にはユリーシアさんのポーションを探して買っている人もいるみたいだからね。うちとしても評判の良い商品を取り扱えて助かっているよ。はい、空き瓶」
「評判良いんですか? 初耳ですけど?」
「ユリーシアさんのポーションは味は激マズだけど、良く効くって評判だねぇ。また売りに来ておくれ」
「あはは……。また、来ます」
そうしていくつかの露店を廻っているうちに、木箱の廉価ポーションは全て空き瓶に置き換わっていった。
◇◇◇◇◇
露店を巡り終えたユリーシアが次に向かったのは冒険者ギルドであった。
ユリーシアは慣れた足取りで冒険者ギルドのアイテム買取カウンターに向かい、露店では売ることのなかった下級ポーションを取り出した。
「いつも有難うございます。薬瓶は要りますか?」
「お願いします」
「では、お代はこちらになります」
銀貨1枚といくらかの銅貨、それに空の薬瓶3本を受け取った。
はっきり言ってしまうと、これが露店で廉価ポーションを10本売るよりも全然稼ぎになる。実のところユリーシアの生活費の大半はこの下級ポーションの売り上げに拠っていた。
ユリーシアは毎日、下級ポーション3本をここで売っている。それで最近は受付の人もユリーシアの顔を覚えてくれたらしい。といっても、態度はあまり変わらないのだが。
――次は森か。
そうして生活費の換金を終えたユリーシアは、今度はポーションの原料の採取に向かう。原料となるのは森に生えている薬草である。
だが、その採取に向かう前に、冒険者ギルドの中央ホールにある掲示板へと向かった。
ホールには冒険者向けの依頼が大量に掲示されているが、それらには目もくれず、ユリーシアは「魔物発生状況」と書かれた地図へと向かった。そこにはストラーラ周辺で目撃、討伐された魔物の情報が日々更新されている。
――東の森31と45でゴブリン討伐済か。最近あの辺多いな。
――もう少し南寄りに行ったほうが良いかしら。
ユリーシアがポーションの原料となる薬草を採取しているのは、ストラーラの東にある森である。
森に行く前には、必ずここで魔物の発生状況を確認するようにしていた。お陰でこのストラーラに移ってから未だ危険な魔物と出遭わずに済んでいる。
そんな地図を見ているユリーシアの背中を、ぽんと叩く者がいた。
「シアちゃん、調子はどう?」
「ミルフィアさん。私はいつも通りですよ」
「変わりないってことね。怪我もない、変わりないってのは良いことよ」
振り返った先に立っていたのはギルド職員のミルフィアであった。
ギルド受付嬢の制服をきっちりと着こなした長身の女性で、ユリーシアがこのストラーラに来たばかりの頃には彼女にはあれこれ世話になった。
今でもこうして声をかけてくれる。ユリーシアにとって憧れの女性でもあった。
そのミルフィアが「魔物発生状況」の地図を見上げて嘆息する。
「最近ちょっとねえ。魔物が多いのよ。今はまだシアちゃんが行くような森には影響ないと思うけど、ここしばらくは発生状況をマメに確認するようにしてね」
「はい、わかりました。けど、多いんですか?」
「凄く多いって程ではないんだけど。なーんか、ちょっとキナ臭いのよねえ」
このミルフィアという女性は優秀な受付嬢として、この冒険者ギルドで知らぬ者はいない存在である。そもそも受付嬢というものが人気職なのだが、その受付嬢たちの中でもミルフィアはとりわけ優秀な嬢と目されていた。
だというのに、彼女はユリーシアのような一介の錬金術師にも気さくに声をかけてくれる。そんな細やかな心遣いが優秀と目される一因であるかもしれないが、いずれにせよ声をかけられる側のユリーシアとしては嬉しくないわけがない。
「今なら東の森17から21番あたりがおススメかしらね。あそこは討伐が済んだ筈だから、当面は魔物がいない筈よ」
「そうなんですね。17から21か」
「でも、油断しちゃ駄目よ。街の外は何があるかわからないからね」
「大丈夫です。危ないことはしませんから。おススメのところ、行ってみますね」
「うん、いってらっしゃい」
笑顔で手を振るミルフィアを背に、ユリーシアは冒険者ギルドを後にした。
◇◇◇◇◇
ストラーラの街から数時間歩いた先にある森。
東の森19番。もちろんその名称は冒険者ギルドで適当に付けられたもので、数字に深い意味はない。
その静かな森の中でユリーシアは薬草採取に励んだ。
ストラーラの街の近くにも森はあるのだが、そういったところは低ランク冒険者や、冒険者未満の者たちによって薬草など売れる物は根こそぎ採取されてしまう。彼らにも生活があるのだろうから致し方ないことであろう。
ユリーシアのような錬金術師は大量の薬草が必要なので、多少のリスクを負ってでも街から離れたこのような森まで来なければならない。
――季節的に赤月草はそろそろ終わりかな。
――もう紫水葉が取れる筈だけど見ないなあ。もう少し水辺に行かないと無いか。
薬草採取に没頭することしばし、持ってきた籠には良い感じに薬草が詰まっていた。
そろそろ帰ろうか、とユリーシアが思い始めた矢先である。
がさり、と草が揺れる音がした。
――魔物!?
ユリーシアは身を強張らせた。
魔物がいないであろう森を選んできたつもりであったが、街の外に絶対はない。
冒険者ギルドの掲示板を読み解けばこの辺りには魔物が居ないことが予想されるのだから、逆に言うと同業者たる冒険者がいる可能性は低い。となれば、やはり運悪く魔物と遭遇してしまったと考えるのが自然だろう。
ユリーシアは身を低くして気配を殺す。
慎重に草むらを掻き分け、音のした方の様子を伺った。
と、その方向から場違いに呑気な声が聞こえてきた。
「ステータス、オープン。わっ、ほんとに出た。凄いなあ」
そこには小柄な少年が立っていた。
その少年が空中に指を走らせ、何やらブツブツと呟いている。
――なに、この子?
ユリーシアは怪訝に思った。