私が小説で心掛けていること その2
皆様こんにちは。
前回に続きまして、私が小説で心掛けていることの第二弾となります。
それは何かと言いますと、句読点でございまして、句読点は文章に一定のリズムを持たせたり、語感を向上させて読みやすくするのが目的だと私は思ってまして、文章完成後、一度読み直し、或いは作成途中でどうかなと思ったりして句読点を消したり別の場所に付け替えたりして調節しております。
尤も、私はプロではないので、私の感覚に頼っている部分が大きく、読者の中には馴染めないという方もいらっしゃるかもしれません。
尚、推敲すると、その時は違和感なくても全体で見た時に違和感が生じたりすることもあり、文章とは生き物なのだなと痛感させられます。現に、今執筆中の拙作『IOM』でも時折読み返すと作成時にはよかったと思ってたのがこれは違うなあなんて思うことも少なくないですし。
また、くどい印象になるけど、ここはその後の伏線になり得るとか、或いはここは重要なキーワードだから読者に御理解いただくため、敢えて細かく区切ることもあります。
他にも上述で似たような目的では、文章を一定の所で区切ってスペースを作るのもそうですし。最近は読みやすさを重視してスペースが多めの作品もよく見るので、これも時代の流れなんだなと受け容れてます。
何しろ昔の小説は、紙面の都合もあったので詰めがちの傾向が見られましたけど、そうした時代から読んでおられる方の中には、現代のそうした風潮に違和感を覚えられる方もいるかもしれません。実際、『汚れた英雄』の原作を私の甥に読ませたら、『読みずらい』と言われてしまいました(苦笑)。
これだけでも世代の違いは一目瞭然ですね。
こうした現象を受け、古い世代の人の中には、『これだから最近の若者は』と仰る方もいることでしょう。それはそれでその人の意見であり認識なので、私は否定はしません。同時に、それが時代や世代の変化なのだということも、私は否定しません。
以上、私が心掛けていること、句読点についてでありました。
感想などありましたら遠慮なく御願いします。
拙作『IOM』も宜しく↓
https://ncode.syosetu.com/n9671ij/