自信と不安
制服に着替えを終え、ユーリと茶髪の少女は小高い丘の上で座り込み、景色を眺めていた。
汚れは魔法で洗い流されており、身体には先ほど浴びた血の一滴も残ってはいない。
相変わらず空は青かった。薄い雲がゆっくりと南の方角に流れていく。
「なんか、凄かったね」
茶髪の少女がぽつりと呟いた。彼女の名前はアルゼラ。約一か月前に魔法学校へ入学したらしく、ユーリの少し先輩になる。
「うん」
「もっと、先生達みたいに格好良く戦えるかなって思ってたんだよね」
アルゼラはため息を吐いて続ける。
「モンスターって言っても羊型だし、あんまり魔力は強くないって話だったし」
ユーリはモンスターを侮ってはいなかったし、自分の力量ではあまり戦えるとは思っていなかった。
あのような乱戦になるとは考慮していなかった。途中、想定よりも多くなりそうだという注意はあったが、これだけ人数が居るのだから、大丈夫だろうと考えていた。その考えが甘かったと思う。
「でも、実際に戦おうとしたら、足が竦んじゃうし、焦ってばっかりだし・・・」
「そうだね」
初めての経験なのだ、そこは仕方ないだろう。実際、ユーリも冷静に戦えたという印象は無い。
次にカラックメリノのようなモンスターと戦うのであれば、身体強化はもちろんのこと、電撃も水も威力を高める必要がある。攻撃は避けれていたと思うし、防御としても大きなダメージは受けていないため、優先度としては攻撃力の方だろう。
「明日からは護身用としてだけじゃなく、敵を倒す事を考えて修練しないと」
「ユーリさんは、前向きだね」
アルゼラが膝を抱えたまま首だけこちらに向けて言った。
「そ、そうかな?」
決してユーリは前向きな性分ではない。これは、社会人になって身に着けた習慣だった。問題があれば分析し、原因を取り除くために改善する。毎日、何年も繰り返してきた行動で、誰もが実行している事に過ぎない。とユーリは思っている。魔法においては自分自身を改善すればよく、他人や体制が関係しない分、気楽に決める事ができる。
(いや・・・それを実践して結果を出す事が難しいんだよなあ)
自分の想定以上に発達してしまった太ももを睨みつけ、肉体改造もタスクリストに追加する。
「でも、そうだよね。冒険者になるために、私もがんばらなきゃ」
言ってアルゼラは再び景色に視線を戻した。
つられてユーリも視線を戻す。幌を被せられた荷馬車が街の方に向かっていくのが見える。冒険者達は肉や角など素材になる部分の処理をこなしている。教師たちは他のグループと情報を共有しているようだ。別グループからケント教諭が合流し、何かやり取りをしていた。
自分はまだその歯車の中に入っていない。そう実感する。
だが、ユーリ自身自分がどうなりたいのかイメージができなかった。元の世界の職種にしても条件と給料で決めただけであるし、その業界で働きたいなどと業種を選んだ訳でもない。仕事が全く楽しくなかった訳ではないが、生きるために働くだけだった。
ユーリ自身、冒険者という生き方に興味はある。だが、絶対的に冒険者になりたいという理由を持っている訳では無い。
冒険者になる。そう宣言するアルゼラが、ユーリには眩しく見えた。
「よー、新入生組。元気してるか?」
声の方を見ると、今日何度か助けてくれた先輩生徒がフランを連れて丘を登ってきていた。手には昼食の携帯食料と水筒を持っていた。
「ユーリちゃん、お昼ご飯取に来てなかったから」
「あ」
忘れていた。疲労感が強くユーリは空腹を感じていなかったのだ。アルゼラも同じだったようで、苦笑いをしている。
「ありがと、フラン」
「どういたしまして」
フランから昼食を受け取る。まだ固形物を食べたい気分ではなかったが、少しくらい胃に入れておいた方がいいだろう。
「どうだった?アルゼラ」
「全然ダメでした。もっと、パティエ先輩みたいに動けるって思ってたんですけど」
「オイオイ、わたしは入学して1年以上経ってるんだぞ?まだ一ヶ月のお前が、同じくらいできる訳ないだろー」
「でも自身はあったんですもん」
アルゼラの言いっぷりに、パティエと呼ばれた少女が笑う。
(一年かあ・・・)
彼女たちの感覚では、長い時間なのだろう。成人を過ぎて何年も経験したユーリからすると、たった一年という感覚だった。一年間で自信を持てる程の技術を身に着けられるというのは、才能があると言っていい。自身を持つには、案外時間がかかるものだ。
自信が持てる程の才能がユーリにはあるのだろうか。少し特殊な能力はあるようだが、チートという程でもないし、アーシェラのように強力な魔法が使える訳でもない。
夢も無ければ能力も無い。それどころか社会人として達観しているせいで、楽観的な希望を持つこともできない。若さ溢れるコミュニティに置かれ、ユーリは少し疎外感を感じた。アルゼラのような眩しさは刺激にはなるが、それに引きずられて自分も奮い立つような情熱が無い。
魔法に興味があるのも、今だけなのではないだろうか。成長を感じられる時期はいい。能力の頭打ちがあった場合、壁を感じた時、自分は同じように興味を持ち続ける事が出来るだろうか。
元の世界の労働で育てた幾ばくかの能力は、この世界では役に立たない。男性とした生きた経験は、女性の身体では生かせない。
一体自分に何があるのだろうか。そんな事を考えると、急に心細くなってくる。
「いない・・・」
水筒に入った冷たいスープを啜りながら、目だけで辺りを見回す。
しかし、ユーリの視界の中にはアーシェラを見つけることは出来なかった。
◆ ◆ ◆
ワイバーンを追い払ったアーシェラは、遠くからユーリ達を眺めていた。幻影魔法で姿を隠したまま。
戻って来た時、血だらけのユーリを見つけて一瞬焦ったが、フランの様子から本人の血ではない事に気付いてすぐに冷静さを取り戻せた。
七賢者として公的に参加している為、今日はユーリを特別扱いする訳にもいかない。もどかしい気分だった。
調子に乗って色々な種類の魔法を使った事も、今になって思えば恥ずかしい。別に電撃だけでも炎だけでも良かったのだ。ユーリに自分の魔法を見せるいい機会だと思っただけだった。
「子供っぽかったかな・・・」
ため息を吐く。
ユーリは先ほどまで見知らぬ少女と話していたようだが、今はフランを含める数人に囲まれて話をしているようだった。
七賢者でなく、一生徒であればあの中に入れるのだろうか。
「百歳超えてる老人は、流石に無理かな・・・」
強大な魔法も、貴族という身分も、百年生きた経験も全く役に立たない。それどころか、壁として機能する。
『七賢者の役務を捨てて世界中を旅するのもいいだろう』
ロックハート卿の言葉を思い出すが、それもユーリがその提案に乗ってくれるか分からない。
携帯食料の固形ブロックを齧りながら、じっとユーリを見つめる。
なんとなく、目が合った気がした。