連邦の魔女
元々小さな国家の集合体でるモーリアスは、戦後暫くの間までモーリアス連邦と呼ばれていた。七賢者が各国の君主であり、王国と共和国に対抗するために手を結んだ事が国としての始まりだった。文化が違う人々が集まったという事もあってか、書物は様々なものが存在した。
モーリアスには図書館はいくつかあるが、魔法学校の図書館は貴族と学生のみ利用ができるシステムになっていて、一般公開されていない。所蔵される書物は一般図書から専門書まで幅広く、魔法に関するものも多い。当然だが、禁書といった類のものは図書館では管理されていない。
アーシェラの記憶にある範疇では、異世界に関する禁書といったものは存在しなかった。そのため、まずは一般図書の寓話や物語から幾つかの小説を探すつもりだった。参考になるかは別として、考えを整理する事には役立つ筈だ。
ユーリの特殊性は3点。異世界からこの世界に転移したこと、性別と見た目が変更されたこと、視覚情報を正しく理解する事ができる目だ。
見た目と性別が変更されている事から、発生した事象としては異世界転移もしくは召喚だと推測される。赤子でもないし、転生というのは正しくないだろう。これについては現時点でそれ以上の情報も考えも無い。
次に性別と見た目の変化だが、やはりアーシェラと同じか似たような魔法道具の影響である可能性が高い。転移と同時にそのような事ができるという事は、相当な代物だろう。100年間もの間、2つ目が見つかったという情報は無かったが、ユーリのおかげで複数存在する可能性が高まった。
生物によるものであれば、人間ではなく上位存在が関わっている可能性が高い。もしそうであれば、世界的な問題だ。例えアーシェラであっても、全く太刀打ちが出来ないだろう。だが、意志を持つ存在であれば、ユーリに何も告げる事なく放置する事は考えにくいとも思う。上位存在というのは、一方的にでも自己主張をしてしまうものだ。これだけ存在を隠せる訳がない。
この大陸では動物からの人類進化論が一般的であり、アーシェラも特に疑問なくそう考えていた。
最後にユーリの目に関する事だが、これも異世界転移と姿が変わった事に起因するものである可能性が高い。この世界に順応するために機能したもの。文字や言葉を理解して環境に適応する、偽りの視覚情報から身を守る、この事で生存率が大きく高まるだろう。
「うーん・・・難しいな」
異世界転移、見た目の変更、特殊な視覚。いずれも他人からは気付くことが出来ない。実際ユーリが黙っていれば、周りは誰も気付かなかっただろう。最初は疑問に思う点はあったとしても、この世界に慣れてきた時点で違和感はなくなる。現にアーシェラ自身も気付くことができなかった。偶然魔族の反応が重なったため、疑いを持ったに過ぎない。
この国全ての書物を読み漁ったとしても、ヒントが得られるかすら怪しいのではないだろうか。そんな事を考えている間に、数点の本が揃う。物語の他に別世界についての概念書も見つかった。
「ワイヤード卿、貴女が図書館に居るとは珍しいな。何か調べものでも?」
声の先を見ると、目つきの鋭い男性。アーシェラと同じく七賢者のウィリアム・D・ロックハートが立っていた。
「・・・異世界、か」
「うん、ちょっと気になる事があってね。最近は新しい事に手を付けていなかったし、思考実験としても面白いかなと思ってさ」
適当な理由をでっちあげて答える。嘘は言っていない。
しかし、ロックハート卿は大きくため息を吐いた。普段のしかめっ面から、どことなく困ったような顔を覗かせる。無表情な男かと思っていたが、案外表情豊かな所があるようだ。
「アーシェラ嬢、君の好奇心は素晴らしいものだと思う」
「どうしたんだい、急に・・・」
「これは七賢者としてではなく、大人としての意見だ。この世界で最上位の戦闘能力を持っている。王国の『剣聖』と『剣狼』二人を『連邦の魔女』は単独で抑え込む事が出来るとさえ噂されている。しかし、キミは精神的にとても幼い。」
戦時中、『連邦の魔女』と呼ばれていたのはアーシェラの母だったが、帰らぬ人となりアーシェラがその名で呼ばれる事となった。そして、不老不死の事実もあって今でも『連邦の魔女』と呼ばれ続けている。もっと可愛い呼び名にして欲しいのだが。
「それは買い被りだよ。接近戦闘に持ち込まれた瞬間にボクの負けだし、二人を抑え込めるような戦闘経験も無いよ。ただの引きこもりだからね」
実際、アーシェラの戦闘経験は殆どない。戦争終結後は屋敷に引きこもって研究に没頭していたため、近代の戦術についての知識も高い訳でもない。魔法の修練は怠った事が無いが、それを戦闘で有効に使えるかというと自分でも疑問だった。
精神的に幼い事は自分でも自覚があるので、反論はしない。
「というか、なんで急に説教をされなきゃいけないんだい・・・」
「魔王が存在しない今、君はこの世界で最上級の魔法使いだ。その上、100年以上もの時を同じ姿で生き続けている。これだけでも、普通の人間は畏怖を感じてしまうものだよ。そのような人物が、異世界について調べ始めた。となると良からぬ噂が広がるのも時間の問題だ」
「・・・ボクが新しい魔王に成って世界を征服しようと計画しているとか、そういう事だね」
そういった危惧はアーシェラにもあった。自分の特異性は自覚している。だからこそ、人と接する事を避けて生活していたのだ。100年もすれば寿命で死ぬと思っていたのだが、この身体には老いというものが無いようだった。
「でもさ、ただひっそりと生き続けるのは結構大変なんだよ」
「別にそのような事をしろと言っている訳では無い。例えば、七賢者の役務を捨てて世界中を旅するのもいいだろう。最近、冒険者に興味がある友人が出来たらしいじゃないか。彼女と一緒に―」
ロックハート卿の言葉にアーシェラは思わず声をあげていた。
「いいね!それはとてもいい!」
ユーリと一緒に世界中を旅しながら、異世界や彼女自身の謎を解き明かす。ついでに自分の身体の事も。現地の美味しいものを食べ、現地の可愛い服で着飾る。冒険者という職業に今まで全く興味が無かったが、その魅力を少し理解が出来た気がする。
もし一緒に旅をする場合、先にユーリの戦闘能力の向上が必須だろう。野営の知識などは自分にもない。帰りにキャンプの本を借りていこう。
「それで、七賢者ってどうやって辞めればいいんだい?ああ、キミは先代から引き継いだんだっけ、丁度いい。詳しく――」
「そういう所だと言っているんだ、アーシェラ嬢・・・。とりあえず落ち着きたまえ」
「・・・そうだね」
「性急に考えなくともいいだろう。七賢者の役を捨てるというのは冗談のつもりだったのだが、長期の休暇を取得する事は出来るだろう。私も含め、七賢者や元老院の連中に相談してくれればいい」
先日バロッガ卿も似たような事を言っていたが、自分は同僚に心配されていたのかも知れない。純粋な意味でも、危険因子という視点でもだ。
「ありがとう。まあ、確かに急に辞めると迷惑になるだろうしね」
他の七賢者と比べて政治や経済にあまり関わっていないアーシェラだが、流石に一般職員とは違って今すぐ辞めますという事は難しいだろう。
そういえば、直近に官民で連携したモンスター討伐の予定があった筈だ。急な話にはなるが、ユーリに参加の意思があるか確認してみよう。募集は締め切りしているかも知れないが、そこは権力で捻じ込むこともできる。七賢者をやっていてよかった。
「いや、別にそれほど困るとは思えないが」
「・・・やっぱりそうかな」
もう少し真面目に仕事をするべきかもしれない。本当に七賢者を誰かに引き継ぐとしても、その時に白い眼で見られない程度にはしたい。
午後の七賢者会合では、久しぶりに仕事を引き受けるとしよう。
「ところでロックハート卿。キミもなかなかいい性格をしているね」
「ワイヤード卿に言われると、恐縮極まりないな」
そう言って笑う男の表情は、鰐のように狂暴だった。




